• ~旅と日々の出会い~
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友からの酒に歯車が動きだす

 ― 胸襟を開くことができなかった宴 ―

前回の『酒と出会いと別れ』の「愛酒の日・特集」を読んだ友人から荷物が届いた。

同封された手紙には、近況と共に「紹介されていない酒を送る」と綴られていた。

東京で仕事の経験を積むと帰郷し家業を継いだ彼とは、飲み歩いた思い出も遊んだ記憶もない。そんな彼の気遣いに感謝しつつ、紹介していない10の酒蔵のなかで、なぜ地元の蔵元でないこの酒かを考えた。盃を重ね酔ううちに、遠くなった若き日に彼が話した夢や故郷への思いが蘇った。

この酒は既に何度か頂いた。味わい深い酒である。ただ東京の酒場ではなく、島根県出身者の集まりの席が多い。思い出に残るのが膳を挟んだ大先輩の「お流れ頂戴」の宴会でのことだ。

「お流れ頂戴」というとどこか目上に媚びたような厭らしさを感じるが、初対面の紹介や考えを直訴する良い切っ掛けでもある(場と時間と話題には配慮しなくてはならないが)。

ところが世の中を斜に眺めていた私は、盃を頂くことができなかった。というよりしたくなかった。皆が上座に鎮座するビジネス界の大先輩に「お流れを頂く」姿がわざとらしく、滑稽で、膝で進む姿を末席のその角で眺めていた。無礼講の宴会となっても手酌で飲む私が、糊のきかない裃を羽織る田舎侍にでも映ったのだろう、数年上の先輩が腕を引っ張った。

会社を興す前のサラリーマン時代、差し出した名刺に大きく頷かれ、話したこともない本社社長のことを尋ねられた。私には雲上人ですと返事をし、ただこの会になぜ来たのかの考えを二言三言話し、「お流れを」と割って入った人に席を譲るとトイレに立った。

高額な会費の元は取り戻すことはできなかったが、もういいだろうと退席することを決意したのだ。そこに現れたのが、かの大先輩。「面白くないかな」。否定はしたが「顔に出ちょうが」と出雲弁で笑われた。とっくに用は終わったのだが、出身地や卒業年度を尋ねられ、相手が終わるまで話に付き合うことになった。宴席に戻り、席に呼ばれもしたが周りを意識してフランクには話せなかった。

竹下本店の酒『我が道を行く』。第74代内閣総理大臣竹下登氏を見たことはないが、竹下氏の揮毫(きごう)をラベルにした一升瓶は、辛口であるだけでなく、重かった。

取り巻きの皆さんに囲まれた大先輩に「おい、君も来い」と誘われたが、取り巻きの皆様の刺々しく、嘲笑的な視線に、「ありがとうございます」と辞退し、僅かに残った『我が道を行く』を手酌で飲んだ。お流れ頂戴で頂いた時より、繊細でまろやかさが舌に残り、酔っていない胃袋にしみじみと染み渡った。今思えば、大らかで、聞く耳をもつ、気配りのある人物だった。

酒は友との語らいを楽しくするものであり、心を和らげ桃源郷へと誘う妙薬でもある。そして、年取った今、ゼンマイ仕掛けの柱時計が突然動き出すように古く錆びついた思い出を引き出してくれる。

コロナウイルス蔓延で故郷を訪ねることができないと、友からの思わぬ酒のプレゼントにいろいろなことを思い出す。あえて忘れようとした背伸びした日々や、家庭を顧みず仕事に邁進した日々。それだけではない。ドラマの世界にでも飛び込んだような一人の女性を取り合った日々、言い知れぬ寂しさから衝動的に飛び乗った夜行列車。しかし、がむしゃらに頑張った甘酸っぱい失敗やこだわりだけではない。彼がくれた酒で、大先輩の話も思い出した。

「どこからでも、島根のために何かはできる。しかし、君たちは島根だけではない。日本、世界、そして地球という概念で考えることだ」

友がチョイスした酒『我が道を行く』は、故郷や酒という旨味だけではなく、彼ならではの私に対する「謎かけ」の刺激的な味でもあった。それが、彼がこの酒を選んだ意図であったのかもしれない。

我が道を行く
株式会社竹下本店 (雲南市掛合町)

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