• ~旅と日々の出会い~
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鮎がつくった一期一会

 ― 出会い、縁、繋がり、別れ ―

新橋に鮎専門店の『鮎正』があった。本店は津和野の「割烹美加登屋」。宅配便が全国を網羅する前のこと、毎朝、津和野の高津川で獲れた天然鮎を空輸し、その日のうちに店で提供していた。

厳選された鮎と独創的な技で料理され、フルコースとなると結構な値段がした。食通家や鮎好きだけでなく、評判を聞いた経済界をはじめ各界の著名人も多かった。

私も最初は経済誌の社長に連れてきてもらった。お店から来るB6サイズの印刷物の「おたより」に誘われ一人で行くこともある。その時は一階のカウンターで、島根の酒でうるかと塩焼きを頂いた。

『鮎正』は道路計画により移転し、現在は廃業されている。

さて移転する前のJRの高架橋の傍にあった頃の話だ。トラブル対応が無事に完了し、その慰労を兼ねて釣り好きの部下と協力会社の社員を『鮎正』に誘った。安月給の私が大酒飲みの彼らにコース料理など奢れるわけもなく、鮎で乾杯するつもりだった。ところが店は満員で入ることができず、近くの焼き鳥屋で飲み、『鮎正』の筋向いにあった木造三階建の二階にあるバー『バンカー』に入った。この店も立ち退きでなくなった。

カウンターだけの10人ほどの店で、ここも混雑していた。なんとか詰めて頂き、折り畳み式の椅子と鞄置き場に座りウイスキーの水割りを飲み始めた。そのとき目についたのが、カウンターの端に置かれた石州酒造の『津和野盛』の一升瓶だった。

持ち主のお客に聞けば益田から友を訪ねて上京し、『鮎正』で合流する予定にしていた。しかし友は所要で急遽これなくなった。ゴルフ好きの彼の目にとまったのが、『バンカー』の看板だった。「会えないのもバンカーか」と魑魅魍魎がいそうな階段を上ったという。酒は友への手土産だった。

ふるさと島根のことで話も盛り上がり、打ち解けたところでお願いをした。『鮎正』に入れなかったが、せめて鮎が泳ぐ「高津川」の近くにある酒蔵の酒を部下たちに飲ませたいと。満面の笑顔で快く了承して頂いた。いくら何でも津和野の酒で、鮎を味あうことはできないが、そこは彼の気持とマスターの演出で十分堪能できた。そのせいか『津和野盛』の味は、アユの塩焼きの辛さと清流の円やかさとして今も脳に貼りついている。

数年先輩の彼は益田高校の出身で、私の出た高校の校長の前勤務校だった。校長への評価は随分違ったが、島根の酒への思いは変わらず、互いに石見か出雲で盛り上がった。

後日、会社に訪ねてこられたが出張中で会えなかった。律儀な方で、お土産に『津和野盛』の一升瓶を預けられた。新幹線の中でも大事にされていたのだろう、風呂敷には温かさが残っている気がした。

彼とはその後会っていない。それでも島根の集まりで『津和野盛』を見ると穏やかな彼を思い出す。

松江の友人と益田に暮らす同級生を訪ね、「割烹美加登屋」で鮎料理を囲み高校時代の話でもしようと計画を立てた。ところがなかなか調整がつかず、昨年はコロナウイルス蔓延で中止となり、今年も無理そうだ。

高校の寮で二年過ごした彼とは卒業後、還暦の祝いで再会した。それから十年、会っていない。互いに我を通した文化祭の思い出などを、酒を酌み交わし語りたいものだ。

そんなことを思っているところに、学校創立145年(1876年設立)を記念して編纂された高校の『同窓生名簿』が届いた。

アンテナショップ島根館で求めた瓶詰の「うるか」を肴に『津和野盛』をぬる燗で頂いた。ちろりからふくよかな香りがし、喉元を辛みが心地好く刺激した。うまみのある酒である。ぶ厚い名簿のページをめくると同級生に仲間たち、そして『津和野盛』に惹かれた益田高校の彼や『鮎正』に誘った編集長、そこでお会いした方々、バンカーのマスター、高校の校長など思い出した。

「一期一会」、酒と共に友や教師の名が五臓六腑に染み入る夜だった。

津和野盛
合資会社石州酒造 (鹿足郡津和野町)

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