• ~旅と日々の出会い~
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結婚式の祝い酒

 ― 娘のためにとオヤジは東京を目指す ―

祝い事、とくに結婚式の披露宴に日本酒はつきものだと思っていた。ところが、狭い情報範囲のことだが、結婚披露宴の飲み物のメインがビールとワインに移りつつあると聞いた(コロナウイルス前)。もちろん、ビールと日本酒がメインの披露宴もあるだろうが、時代と共にお祝いの仕方や内容は変わるものだ。

昭和や平成の頃、新郎新婦のご両親が地方だと、祝いのためにと持参された地元の酒が一升瓶で必ず数本あった。ご両親のよろしくお願いしますという気遣いと、子供たちの披露宴を盛り上げようする心遣いだ。もちろん私たちも遠慮することなく丁重に頂いた。一杯だけでない、二杯も三杯も飲んだ。宴もたけなわになるとご親戚のおじさんやおばさんが一升瓶をもってやってこられた。それがご両親や親戚との一期一会と絆だった。返杯すると、「頼みます」とべとべとの手で握られたものだ。(個人差あり)

出雲大社で結婚式をあげる従妹に招待され、前日入りした夜のことだ。

出雲大社の真ん前にある、シンガーソングライター竹内まりや氏のご実家の『竹野屋旅館』に泊った。それはそれは品数も多く美味しい豪華な晩御飯だった。連れでもいれば酒も進んだのだろうが、一人だとそんなに飲めるものでもない。ご飯を頂き早々に部屋に引き上げた。

竹野屋旅館

立派な部屋に興奮したわけではないが、なかなか寝付けない。そこで旅館を抜け出し近所のスナックのような店に入った。宴会の流れの団体で、店内はタバコの煙とカラオケの音量で溢れかえっていた。失敗したと思いつつも案内されるままに奥のカウンターに座り、地元の酒を注文する。

客の歌に、手の平を練りつけるような手拍子をとる「ママ」が来た。旅の寂しい男に見えたのだろう、いろいろ話しかけてくれる。従妹の結婚式に来たと返事をすると、満面の笑顔で「そげですか。おめでたいことですが」と酒をすすめ、『祝い酒』を歌ってくれた。竹内まりやの『うれしくてさみしい日』ではなかった。

背中を叩かれた。団体客の一人が一升瓶をもって立っている。歳の頃は還暦ぐらいだろうか。ママとの会話を聞いたようで、「祝いに飲んでくれ」と言う。

つい最近のこと、東京に暮らす娘の結婚式に地元出雲市の酒を持って行くと伝えると、断られた。それでも持参したのだが、有名なホテルのレストランで出しそびれたそうだ。その酒瓶ではないが、代わりに私に飲んでほしいという。

新郎新婦や店が悪いのでもない。もちろん出雲市の酒に責任などない。新郎新婦の上司や同僚に娘を思う父親への配慮がないとフォローした。ところが、初めて飲んだ高価なワインもうまかったと泣き笑う。日に焼けた胡麻塩頭で、ゴム手袋のような手をした、憎めない、本当に良いおじさんだった。

娘の自慢話を聞きながら頂いた出雲市の酒の一本が、板倉酒造の『天穏』だった。

「無窮天穏」、天が穏やかであれば窮することはない。たしかに天乱れることがなければ地は穏やかと感じる、柔らかで、穏やかで、すっきりした酒だった。ママの作った煮物をあてに頂いた。さっぱりした舌触りに飲み続けた。

「旨い酒ですね」と褒めると、嬉しそうな顔をして、「そげでしょうが。飲ませてやりたかったわ」と、酒の残った一升瓶を持たされた。

今回、アンテナショップで購入して飲んだ。あの円やかさは多分に娘自慢をするおじさんの人柄と愛情だと思っていたが、たしかに穏やかな味のする酒だ。出雲には旨い酒と、良い人がいる。

さて、いつになるか分からないが、娘の結婚式には島根の酒を持って参加しよう。30蔵元の酒となると多すぎるが、それもよかろう。

私と酒を飲んでくれる男ならいいが。まあ、そんなことは心に秘めておこう。

天穏
板倉酒造有限会社 (出雲市)

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