― 見知らぬ酒が教えた亡き父の姿 ―
世の中にはいろいろな営業があり、手法がある。SNSが普及する前、喫茶店で目にしたのが、タイトスカートの女性が「エリカ(たとえば)って呼んでね」と色仕掛けで英会話のDVDを学生に売りつける姿だ。車がエンストしたとお客様から連絡があると真新しい白のワイシャツに着替え、わざとワイシャツを汚す車のセールスマン。子供の入学や成人式など儀式の前に、同じデータ元だろう誤植のダイレクトメールや営業がやたらときた。
私も営業をしてきたから面談にはいろいろな工夫をし、会えるとなるとWEBサイト以外に社史や社内報を取り寄せ調べた。もちろん提案書はお客様を中心に丁寧に作成した。
父の初盆の数日前のことだ。ひとりで提灯や仏壇づくりをしていると「線香をあげさせてくれ」と品のいい初老の男が訪ねてきた。ところが数珠は用意しているが、香典袋を持参するわけでもなく、意味もない話しを続け帰ろうともしない。父とどういう関係かと尋ねても曖昧で、提灯が破れていますねなどと言う。名刺をくれといと問うと退職したという。では連絡先を教えてくれと追及すると引っ越しするところだという。携帯電話で友を呼ぶ振りをすると、慌てて「仏壇仏具の営業です」と名乗った。
聞けば、仏壇仏具だけでなく冠婚葬祭の記念品を扱う個人営業で、地方紙に掲載された「お悔み」広告をまとめ、初盆の最も多い地域に営業を掛けるという。近所で道を尋ねるふりをして故人の情報を仕入れる。宗派ごとの経や作法は会得していて、老人家庭にはすんなりと打ち解けるという。この手の営業が何人も訪ねてきた夏だった。
盆に入った13日、八十ぐらいの老人が、「線香をあげさせてほしい」とやってきた。仏壇の父の遺影に手を合わせると、目を閉じて経を上げると呟き始めた。何を言っているのか聞き取れない。私の方を向くと鞄はと聞く、手ぶらでしたよと答えると、風呂敷包はと問う、手ぶらでしたよと返す。暫く天井を見詰めていた老人は、「すこしここで待たせてくれ」という。新手の仏壇営業かと疑った。
初盆の供養にいらっしゃった方に対応しつつ、ロッキングチェアに座る老人をちらちらと見る。地元の知人に「知っているか」と問うが、誰も知らない。やがて気持ちよさそうに鼾をかきだした。クーラーはないが通り抜ける風が心地好かったのだろうか。晩年の父に似ていて可笑しくもなり、タオルケットをかけた。
小一時間ばかりすると、玄関口から「ごめんください」「おじいちゃん、いますか」と若い女性の声がした。老人がぴくっと身体を震わせ目を開けた。「おう、ここだ」。
父と旧知の仲で、益田から孫娘が運転する車できた。奥出雲の小そばを食べに行く孫の車に鞄と風呂包を置き忘れたのだ。
香典袋を差し出し、老人は湯呑を四つ借りたいというと風呂敷包から一升瓶をとりだした。父の母の遺影の前に酒を注いだ湯呑を置くと、お世話になった、生きているうちに会いたかったと語り掛け、湯呑を口にした。それは初盆に相応しい供養だった。
訪問者の対応をお孫さんにお願いし、老人と私は父と母を当てに盃を交わした。「吉田松陰を御存じかな」。父の書棚の本や久坂玄瑞など松下村塾の一門の名をあげると、父と幕末談義をしたことを楽しそうに話され、互いに地元の酒を持ち寄っては「教育論と郷土史観」を戦わせたと、知らない父の話をしていただいた。
益田の岡田屋本店の酒『石見野』を初めて飲んだ。酒と一緒に初めて知った若き日の父の姿や考え方が、心地好い川風のように流れて行く。私は地元の酒を差し出した。老人は美味しそうに飲み干し。「かくすれば・・・」と呟かれ、私は続けた。「・・・かくなるものとしりながらやむにやまれぬ大和魂」。「親子ですな。父上も好きでしたよ」。吉田松陰の句に、仏壇の遺影が一段と笑っていた。
父が交わした益田の酒。晩年は互いに行き来することができなくなった二人だが、若き日の議論と酒の味は忘れることなく続いていた。「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも留めおかまし大和魂」と立たれた老人に、「どちらかというと、三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい、が好きですね」と返した。
老人の皺だらけの手が私の手を握り「高杉晋作ですな。父上を越えたがいい。時代を越えて行きなさい」。営業と誤解した老人だったが、初盆に相応しい訪問者であり、若き日の父との出会いとなった。
その夜、私は頂いた石見野を仏壇の前で空になるまで飲んだ。穏やかな味だった。飲めば飲むほど見知らぬ山河が過った。父も母も現れなかったが、いろんなものが舞っているような夜だった。携帯電話に出ない私を心配して地元の友が訪ねてきた。
「生きとったか」。友とは有難き者なり。
石見野
株式会社岡田屋本店 (益田市)
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