― いつか見ん、争う二梃の漕艇を、大橋の上から ―
県人会など同郷の集まりで、初対面の方から最初に聞かれるのは、決まって出身地(市町村)と出身校(中高)。そこから話のつながりや共通項を得て話題となる。同じ出身市町村なら次の字へと、学校なら何年卒業となる。
出身地も高校も違うとどうなるか。人にもよるだろうが私は高校の部活を聞かれることが多かった。運動系の部活なら大会や試合などで接点もあるが、文科系では吹奏楽など一部を除いて盛り上がらない。その盛り上がりのない文科系に私は属していた。
三十代の頃、故郷から東京に戻る交通手段に寝台列車を使っていた。三段ベッドの寝台車で、乗車しても暫くは一番下のベッドが三人並びの席となる。三人同士が向かい合う六人掛けの空間で、就寝時間が来るまではこの状態が続く。
話しかけるにも、弁当を食べるにも、酒を飲むのにも気がねする。上手く話題を振りまく世話好きな人がいると安堵するが、暫くは妙な時間が続く。打開の方法として、分けることができるお菓子を準備し、親睦に配った。
ある時、松江駅から乗車した私は愕然とした。私が寝るベッドに既に男が横になり爆睡しているのだ。
車掌に起こされたところに小さな子供を連れた女性がきた。聞けば酒に酔ってトイレに行き、席を間違ったようだ。幸せな酔い方だ。それに平身低頭な奥さんに連れられて隣の車両に向かう男が羨ましく思えた。
暫くすると男が戻ってきた。先ほどのお詫びに飲んでくれと言う。連結デッキに移動すると子供用の水筒から注いでくれたのが日本酒だった。江津に住むという男は、出身地と出身校を尋ねた。出身地には無反応の男だったが、出身校に嬉々として反応し、ボートのインターハイ予選の結果を話し始めた。
日本のスポーツ界の発展に尽力し、ボートの選手であり晩年は協会の会長でもあった岸清一の出身地の島根県。今でこそ四校の高校にボート部があるが、あの頃は、私の出た高校以外に2校しかボート部がなく、インターハイ予選などは2校か3校の決戦であった。記憶する限り江津の高校が勝つことが多かった。
ボート部員でもない男が、ボート部員でもない私に、インターハイの戦いを、ボート部の練習風景を情緒たっぷりに語るのだ。ただ一度敗れたことがあるらしい。その悔しさを自分の敗北のように悲しむのだった。私にはまったくの無縁のボートの戦いを饒舌に語る男を羨ましく思った。奥さんが子供と現れなければ、車掌に叱られるまで続いたことだろう。
翌朝、寝台車のカーテン越しに話しかける男の声で目が覚めた。横浜を過ぎたあたりだろう。昨夜のお詫びに東京駅で朝食をご馳走したいという。
テーブルに置いた風呂敷を広げると一升瓶が二本あった。
高校時代の友の結婚式に参列するため上京したという。友は学年一の秀才で、卒業とともに東京の大手の会社に就職し、そこの役員の娘と結婚する。すでに郊外に家を建て、順風満帆の人生だと。そんな学年一の出世男の結婚式に出席することの嬉しさで、つい昨夜は酔い、ご迷惑をかけたと奥さんと共に謝られた。テーブルの酒が、今でも憶えている地元江津の『都錦』だった。
友の幸せと出世を心から喜ぶ夫婦。その嬉しさから、私との共通の話題を探し、ボート部連覇の「覇者」の喜びを口にしたのだ。たとえ私が母校のボート部員であったとしても、男の話を不愉快に思うことはないだろう。
『都錦』。東京(都)で出世し、いつか地元に「錦」を飾るだろう友の結婚式に持参する酒。ここで飲んでもらいたいのだが見るだけにしてくれと素直に話す男から、友の幸せを喜び、母校を誇りに思う気持が充分伝わった。
列車の中で飲んだ子供の水筒から注いだ『都錦』の味が、朝定食の塩鮭とかまぼこの味とともに蘇った。それは店の薄茶色のコップに奥さんが注いだ水筒の『都錦』だった。
今回、しまね館で買い求め飲んだ。あの時の味かどうかは分からないが、嬉しそうに話す連覇したボートの戦いの話を思い出した。甘味のある、円やかだが微かに喉を刺激する『都錦』。地元に錦を飾るというより、ほろ苦い青春の味だ。たしかに良い酒だ。
松江市大橋川で毎年、市民レガッタが開かれる。いつか、母校と江津の高校の年代別の競争を橋の上が見てみたいものだ。その時は、松江の酒と「都錦」を見知らぬ相手と飲みかわしたい。
都錦
都錦酒造株式会社 (江津市)
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