• ~旅と日々の出会い~
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遠きにありて思う故郷の酒

 ― 酒かかるも(袖振り合うも)他生の縁 ―

日本全国の酒蔵は1600以上とも言われ、上位三県が新潟(89酒蔵)、長野、兵庫です。47都道府県で平均すると34酒藏。日本の人口が12、533万人。7.8万人に1酒蔵の計算になります。

島根県には30酒蔵があります。島根県の人口(66.5万)比でみれば2.2万人に1酒蔵。新潟県の人口(222.7万)比では2.5万人に1酒蔵です。数字で見ると島根の酒蔵は、人口当たり上位でしょう。当然、県内での販売競争は厳しく、大都市での販路拡大やネット販売の工夫、海外市場開拓も重要な戦略となります。

今回紹介する「飯石郡」の酒は手に入れにくく、私に限ったことですが東京の島根関係の飲み屋でも出会ったことはありません。日比谷シャンテにあるアンテナショップの「しまね館」にもありません(現時点)。手に入れるなら通販か、直接酒蔵に連絡するか、地元の知人に頼むしかありません。理由は別として、ある意味、首都圏では幻の酒です。

二度、飲みました。最初は、飯石郡から来る親戚の土産です。二度目は、今はコロナで中止になっている『しまねの地酒フェア』でした。例年、有楽町の交通会館で開かれ、千円会費で出店酒蔵の酒が飲み放題です。こんなに揃うと友や知人と行っても、それぞれの好みを求めはぐれてしまいます。ある意味、誰にも邪魔されない楽しい試飲です。

地酒フェア

飯石郡の酒蔵のコーナーの前で、「ここよ、私の田舎のお酒は」と三十中程の女性が連れに振った手が私の腕に当たりました。立ったままの小さな紙コップでの試飲。互いにバランスを崩し、女性の持つ酒が私のスーツにかかり、私の持つ酒が横にいた婦人の服にかかったのです。私のスーツはいろんなところで酒を浴びています。ところが私が掛けた婦人の服は新しい服でした。

「もうしわけありません」と平身低頭詫びました。「大丈夫ですよ」と言われても、ただ頭を下げるだけ。隣で先の女性と友人たちも頭を下げています(下げる相手は私なのだが)。寛容な方で、これを縁にみんなで郷土の酒を飲むことになりました。

婦人は邑南町。奇しくも飯南町と奥出雲町と中国山地に沿った繋がりでした。飯南町の赤名酒造の『絹乃峰』は爽やかな味でした。絹に魅かれたのか、滑らか舌触りで流れるような、少し甘味のある酒だと感じました。地元贔屓の酒の話は飲むうちに島根の酒自慢となり、「日本酒発祥の地」の話題で盛り上がったのでした。幸せな飲みは長くは続きません。周りの男が寄って来て若い男たちに若い女性は連れ去られ、婦人はいつの間にかダンディーな男にエスコートされました。不思議なもので島根の酒を飲みに来たのに、一人飲むことになると無性に虚しさを感じるのです。語弊があるかもしれませんが、バーでトイレに行っているすきに、連の彼女が隣の男に連れ去られたような寂寥感です。

こんな切ない時は河岸を変えるにつきます。島根の酒飲み放題に未練を残しつつ、夕焼けに染まる有楽町の街に出たのです。バーが開くには時間があり、小腹もすいたのでガード下の焼き鳥屋に向かいました。

携帯の画面に見知らぬ電話番号が点滅しました。名刺を渡した飯石郡の女性からでした。会場に姿が見えないので電話を掛けたのこと。まるで待ちに待った別れた彼女からの電話に思えました。酒飲みの妄想は果てることはありません。

私たちはパスタで夕食をとると馴染みのバーに行きました。仕事での悩みごとを同県人の先輩の立場で聞いたのです。やりたい仕事をさせてもらえない。会社の人間関係がうとましい。給料にも不満があるある等々。そして転職さえ考えていると。誰でもがぶつかりことでした。郷里の老いた両親への思いなど果てることのない、行ったり来たりする悩み話が続きます。ドライマティーニの楊枝がカウンターに並びました。聞くことが最大の答えでしょう。翌日、お詫びの言葉と共に「すっきりしました」と感謝の電話を頂きました。

昨夜のドライマティーニの味は、島根の銘酒30を混ぜて濾したような味に思えました。ドライマティーニの言葉は「知的な愛」。そうです、島根の酒にも含まれているからでしょう。

さて、赤名酒造は経営破綻の後、町が経営権を買い取り再生しました。現在も地域創生の活動に取り組んでいます。私が言うのもおこがましいのですが、頑張ってほしい酒蔵です。

(※酒の写真は酒蔵のサイトより転載させていただきました)

絹乃峰
株式会社赤名酒造 (飯石郡)

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