― 一杯、一杯、また一杯 ―
高校時代、好きな詩を好んで憶えた。中也、朔太郎、啄木、藤村等々。外国ならばランボオ、リルケ、ボードレール等々。「★」一つの岩波文庫(50円)や『現代詩手帳』『ユリイカ』を持ち女子大生と語った。受験勉強もしない、ませた高校生だ。成績は悪かったが漢文のおかげで杜甫、李白、陶淵明、白楽天等も好きになった。好きだということは暗記して言えることだと豪語した。
下宿から高校までの通学路に二つの酒蔵があり、田中と米田という。ところがまだ下戸だ。当たり前だ。未成年の高校生。ある時、女子大生に「お酒も飲めないのに中也を語るなんて可笑し」と笑われた。無性に腹が立った。退廃的な生活への恰好つけた憧れを見透かされたのだ。
土曜日の午後、田中酒造(今の李白酒造)の近くに下宿する女子大生を訪ねることにした。粋がったのだろうか、酒屋で「李白」の一升瓶を買った。学生服を着る大学生も多い頃、襟章を見ても怪訝な顔もされなかった。
下宿には先客がいた。よく知る大学生だ。「よう」と声をかけられた。無性に腹が立った。「二人で飲んで」と下宿を飛び出し、走った。その頃、大橋川の橋のたもとに貸しボート屋があった。嫁が島に向けて漕ぎ、藤村の『高楼』を叫び、『惜別の歌』を高吟した。彼女でも、付き合っていたのでも、もちろん恋をしたわけでもない。なのに、やるせなかった。それは部屋に感じた距離感のない大人の雰囲気かもしれない。年上の女性にいだく少年の切なさかもしれない。それがリアルな嫉妬と苦悶であるとは、詩を憶えるだけの少年に気づくはずもない。
さざ波を切って進む高校のボート部の舟影を眺め、貸しボートの所で美術部とテニス部の同級生の女の子に声を掛けられ、高校生の感性に戻る。が、下宿のドアに挟まれたブルーの紙に一目散に彼女の下宿へ向かう。「ビックリしたよ、すぐ帰るから」。手製のカレーを食べると「少し飲む」と置いた酒の封が切られた。舐めるだけで酔った横で彼女はギターをつま弾き『ドナドナ』と『真夜中のギター』を小声で歌った。「兄さんよ」。
外はまだ昼間の暑さを残していた。心は「ゆあーんゆよーんゆやゆよー」(中原中也・サーカス)と揺れている。田中の酒蔵に沿って「U」の字に歩く。自然と李白の「一杯一杯また一杯、我酔うて眠らんと欲す君しばらく去れ、明朝意有(いあ)らば琴を抱いて来たれ」(『山中にて友人と対酌す』)詠む。彼女のつま弾くギターの音が月影となって追いかけてくる。
それからの人生、いろんなところで、いろんな人と李白を交わす。たまに「兄妹」と「ドナドナ」を思い出す。それはどこか甘酸っぱい失恋の思い出に醸成していて、呟く「一杯、一杯。また一杯」も、李白と同じで芳醇でまろやかな切なさを帯びている。
李白
李白酒造有限会社 (松江市)
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