• ~旅と日々の出会い~
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銘酒

涙の京都競馬場 テンポイント

  -もしもハイセイコー・テンポイント・シンボリルドルフが走ったら―

1977年の有馬記念。トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスのレースは忘れられない。だが、それよりも忘れられないレースが、翌年1月の京都競馬だ。そこでの競争中にテンポイントは競馬馬の生命を終え、そして馬としての生命も閉じる。私も馬券を買うことをやめた。

馬好きの友と酒を飲むと、もしものレースで盛り上がる。ハイセイコー、テンポイント、シンボリルドルフとトウショウボーイにディープインパクトが走ったら。(あなたならどの馬が勝つと思いますか)。テンポイントを押すのは私だけだ。それでいい。客観的に見て、このメンツなら勝てないと思う。というより無理して怪我してほしくない。なぜなら、テンポイントはこのメンツなら頑張ってしまうのだ。そして四コーナーを回ったところで・・・。

こんな仲間と締めに飲む酒が、奥出雲町横田の簸上清酒合名会社『七冠馬』だ。七冠制覇したシンボリルドルフの馬主と簸上清酒合名会社のご縁から生まれた酒だ。

この酒は常温で、湯呑で飲む。つまみは刺身ではない。いなかの漬物が良い。しょっぱい沢庵もいい。塩分だけの山陰の塩辛もいい。沢庵をかじり、塩辛を舐めて飲む。最高だ。今もこの飲み方は変わらない。親しい友にも強要する。

テンポイントが苦しそうに「ケンケン」してテレビ画面から消える姿を見た夜、新宿の西口にあった『道灌酒場』で、10円の沢庵を食いながらぬる燗の二級酒を飲んだことが記憶と身体にしみ込んでいるのだ。もしかすると七冠のシンボリルドルフにテンポイントを重ねているのかもしれない。簸上清酒の田村社長には申し訳ないが。

七冠馬
簸上清酒合名会社

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鯨カツデートの報復

 -酒は忘れた思い出を連れてくる、だから泣けるー

新宿の市役所通りにクジラ料理の専門店がある、『樽一』。以前は、コマ劇場(現在)の近くの雑居ビルの七階にあり、先代の親父さんが店にいた。出版社で編集の仕事をはじめた私の給与は安かったが、ある女性を樽一に誘った。というのも学生時代、彼女をデートに誘い、散々歩いて西口の「思い出横丁」の鯨カツ定食屋に入った。今でこそ外国人観光客に人気のある横丁だが、あの頃は独特な雰囲気があった。彼女はカウンターに座ることもなく私を一瞥して店をでた。満足いかなかったのだ。その彼女をクジラ専門店の樽一にお詫びを兼ねて誘ったわけだ。クジラのすべてがあり、刺身に、鯨カツに彼女は大喜び。クジラのおいしさを伝えられて満足していた。ところが突然、見知らぬ青年がやってきたのである。「彼、フィアンセなの」。

一人残された私の元に親父さんが一升瓶を持ってきた。それが松江の酒の『豊の秋』だった。「おごりだよ」。その酒が旨かった。旨いから旨いと言うと、誤解されたようだ。「黙って飲め」と注がれた。黙って飲んだ。やはり旨いから「旨い」と言う。すると店の奥から「お前の給料では飲めない酒だ」と特殊なラベルの豊の秋を注いでくれた。確かに美味かった。「旨い」と言う。「旨い酒は杜氏と米作り感謝しろ」と言われた。私は親父さんの気持に感謝し、島根出身であることを告げなかった。もう四十年も前のことだ。

酒は料理だけでない。話に合う酒もあるようだ。出会い酒に、祝い酒、別れ酒に、涙酒、そして思い出酒にひとり酒。酔うための酒から味わう酒に気づくのに随分遠回りをしたような気がする。島根の飲み屋に入ると一合ずつ地元の酒を飲まさせてもらう。そして酒ごとに蒼かった青春時代の思い出を重ねていく。島根には旨い酒が多い。

豊の秋
米田酒造株式会社

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