― 河井寛次郎と廃業した安来市の天界酒造 ―
以前『島根国』でも紹介しました『柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年』展。2022年2月13日(日)まで東京国立近代美術館にて開催されています。
「民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。美しい観賞用の芸術作品中心の工芸美術界にあって、無名の職人が作る日常の生活道具を『民藝(民衆的工芸)』と位置づけ、美術品に負けない美しさがあると唱えたのです」(『島根国』より)。
鑑賞の動機はいたって単純で、安来市出身の陶芸家・河井寛次郎の作品や活動に興味を憶えたのです。出会いとは不思議なものです。インターネットで「河井寛次郎」の生き方を検索しているうちに「天界酒造」に辿り着きました。
天界酒造は、1896年(明治29年)創業で、2006年(平成18年)に廃業しました。友人に聞けば、「旨くて良心的な価格だった」とのことです。
天界酒造は河井寛次郎と縁の深い酒蔵でした。天界酒造三代目の山本与三郎は河井寛次郎と非常に仲が良く、ともに東京の大学に進みました。
河井寛次郎は京都の窯業試験場で試作品をつくると、山本与三郎の母であるユウに評価をお願いしたそうです。世に出なかった作品もあったことでしょう。
民藝の主力メンバーの柳宗悦、浜田庄司、バーナード・リーチ、棟方志功たちも、河井寛次郎の関係で天界酒造に出入りするようになりました。山本与三郎やユウは手厚くもてなしたそうです。「天界」を飲みながらおおいに芸術論を交わし、『民藝』の考えや活動をまとめたのでしょう。河井寛次郎の作品に『天界』と記された壺の作品「象嵌雲竜文蓋付壷」があります。
現在、藏はイベントなどの貸しホール『寛のくら』として活用されています。
思わぬことから安来の酒「天界」に触れることが出来ました。飲む機会はあったのでしょうが、残念なことですが飲んだ思い出はありません。ところが・・・
高校での美術・音楽・習字の授業は、一年生の時にいずれか一科目を選択すると終わりでした。絵を描くことが好きだった私は美術を選択しました。おぼろげな記憶ですが、写生ばかりしていた気がします。写生ですから、絵も描かず受験勉強をする者もいれば、適当に書いて遊びに行く者もいる自由な時間でした。
私はクソ真面目にリアリズムな写生をしていました。当然、時間内(週1コマ)では終わらず、提出の期限日が近づくと昼休みや放課後に教員室にでかけました。
美術の教員室は大小六棟ある木造校舎の一番外れの、そのまた端にあって、川に面した随分小さな教員室でした。教員と助手の女性、二人だけの部屋でしたが、画材や皆が描いた絵に溢れていました。というか整理がおおざっぱでした。それが心地好く集まる生徒もいました。
ある時、重ねられた絵の中に未完の私の絵を探していると、教員から「河井寛次郎、知っちょうか」「当校の先輩で、安来が生んだ偉大な陶芸家だ」と話しかけられました。絵を描くのは好きですが美術史にはまったく興味がありません。ただ、文化勲章や人間国宝推挙など辞退し無位無冠を貫いたと誇らしげに話していたことは残っています。結局、鉛筆で下書きした私の絵は見つかりませんでした。
三年の二学期が始まった頃です。教員に呼び出されました。「未完の絵が見つかった」と。理科室の薬品や実験器具の置いてある小部屋の写生です。「瓶一つ一つ、丁寧に色付けしてみたらどうだ。面白い作品になるぞ」と指導された絵ですが、色付けする前に行方不明になったのです。
「この絵を完成してみないか」「たまには顔を出せよ」と珍しく誘われました。なぜ見つかったのか、なぜ完成したらとすすめたか、分かりません。私は行かなかったと思います。
卒業して何十年もした同窓会で、この教員のことが話題になりました。生徒の悩みを理解した教員だと高い評価でした。机の下にいつも安来の酒の一升瓶があったと。その先は、それぞれの想像の域をでない噂話でしたが、随分破天荒な生徒思いの教員で、慕う生徒も多かったようです。
私は教師との未完の絵物語に色を付けようとしています。机の下の一升瓶は、青春の蒼い色の安来の「天界」だと。私に河井寛次郎をとうとうと語りながら口にした湯呑に入っていたのは、未完の黄色い色をした「天界」だと。
進学校にあって軽んじられた美術。そんななかでも創作する意味を語り続けた、名前を忘れた美術の教員に、手にすることはない廃業した天界酒造の「天界」で乾杯したい。「その節はお世話になりました」
もし、天界が復活することでもあれば、一升瓶を買いもとめ、今はない旧校舎のあった川辺にでも行き飲みたいものである。
「天界」の酒瓶は、皆様で検索してください。
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