― 惜別の恋歌、「なびけ、この山」 ―
シリーズ『心に残る島根の風景』
『万葉集』の歌人柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は謎に満ちた人物です。
生没年,経歴ともに残された歌からの推測です。ところが、その歌は、689年から700年(持統3~文武4)に集中し,草壁皇子、高市皇子、舎人親王、弓削皇子など天武天皇の子たちに捧げた挽歌、また天皇の行幸に供奉しての作品が多くあります。このことから宮廷に仕えた宮廷歌人であり、地方の役人であったと考えられています。
『萬葉集』の中に長歌16首,短歌61首と、歌人として最も多く納められています。ほかに『柿本人麻呂歌集』の歌とされる作品が約370首あげられます。壮大な長歌の一方で短歌の叙情詩人として偉業を成し、最大・最良の万葉歌人と言われています。
■話す人・川島芙美子氏
今回、柿本人麻呂についてお話して頂くのは、ながく柿本人麻呂の研究を行い、現在では「山陰万葉を歩く会」の会長職を担い、精力的に活動を続けておられる川島芙美子氏です。
当サイトの『文芸のあやとり』「出会いと別れ、万葉の小径を行く」も、川島芙美子氏のプロデュースによるものです。
今年(2023年)は柿本人麻呂没後1300年です。いろいろなイベントや事業、されには書籍出版が計画されています。
多くの皆様に関心をもって頂ければと考え、「柿本人麻呂と石見、山陰の万葉」について、短い時間ですがお話しして頂きました。
高校の教職にもついておられた川島芙美子氏の、授業のように噛み砕いた説明、そして柿本人麻呂研究のなかで育まれた情念あるお話をお楽しみください。
これを機会に是非、石見の地を訪ね、皆様の五感とイマジネーション力で『柿本人麻呂』の魂を探してください。
■萬葉集『石見相聞歌』
川島芙美子氏も情緒たっぷりに朗読された、石見の妻である依羅娘子(よさみのおとめ)との別れを悲しむ『石見相聞歌』。
石見と柿本人麻呂との深い関係を立証するとともに、柿本人麻呂の才能と情念を最大に表した千切れるほどの惜別の作品です。
「石見(いはみ)の海 角の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来寄れ 波の共(むた)か 寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山」
柿本人麻呂が石見の妻・依羅娘子を置き、都に戻る時の別れを悲しむ歌です。
「波こそ来寄れ 波の共(むた)か 寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を」
昨夜の寝屋を、あるいは妻の媚態を思いだしたのでしょうか。だからこそ妻を見たいと叫ぶ、最後の体言止めの「靡けこの山」が冴えわたり、そして音から感じた寝屋の淫靡さというか性愛が陽炎のごとく彷徨うのです。この絶唱は、死を悲しむ慟哭の叫びではなく、再会を誓う情念へと収斂されていくのです。
男(おのこ)はこんな柿本人麻呂になり、あるいはそんな柿本人麻呂の思いを求めて、女子(おなご)は別れを悲しむ歌人でもある依羅娘子となり石見の地を旅してみませんか。
依羅娘子は石見の国の郡庁があった、現在の江津市・恵良(えら)里の豪族の娘です。
■柿本人麻呂没後1300年祭の計画
2023年は柿本人麻呂が亡くなって1300年目です。『古事記』編纂1300年目が2012年、『日本書紀』編纂1300年目が2020年でした。そして『出雲國風土記』編纂1300年目が2033年です。ちなみに大宝律令制定から1300年目が2001年、大海人皇子と大友皇子が争った壬申の乱から1300年目が1972年のことです。柿本人麻呂が生き時代です。
今年、益田市を中心に、4月から7月、8月に「柿本人麻呂没後1300年祭」のイベントや事業が計画されています。
美しい海、なだらかな山の石見、霧に包まれる江津、益田の高津柿本神社。これを機会に『萬葉集』を旅の友として巡ってみましょう。
詳細は市役所の観光課でご確認ください。
■柿本人麻呂(石見)、門部王(出雲)、山上憶良(伯耆)、大伴家持(因幡)
山陰地方に国司として赴任した四人の歌人の歌を紹介します。それぞれの歌に、できたばかりの国(日本※)に対する憂いや、恋する女性への思いが綴られています。
・柿本人麻呂(石見) 「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」
・門部王(出雲) 「飫宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の念ほゆらくに」
・山上憶良(伯耆) 「春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつやはる日暮らさむ」
・大伴家持(因幡) 「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」
(※)日本国の成立にはいろいろな考えがあります。私は律令制の制定をもって「国」としての姿と質を完成したと置いています。その律令制度の国司として山陰に赴任した歴史的な実行者、そして慣れぬ環境で自然に、社会に、境遇に、歌人としての感性が開いたのではないかと考えています。
窓辺から見る風景。それは、その店に、その建物の中に入らなければ見ることも、眺めることもできません。
その町に暮らす人は、「窓」からの風景を生活の一部として感嘆とともに受け入れています。ところが、旅する人は、風景の側(外)から建物の「窓」を見るだけです。
旅する人が見る「窓」の多くは、歴史的建造物、歴史と風雪に彩られた建物、ビジュアルな建物のひとつの構成要素です。それはそれとしての価値があり、鑑賞対象になり、思い出に残ります。
では何気ない環境にある普通の「窓」はどうでしょうか。その多くは心に残ることなく、流れる風景の車窓ほどの意味もなく消えていくはずです。
歩くだけでは気づけない、建物に入ったからこそ得ることのできる「窓から見た風景」。そこには建物にいる人との出会いとコミュニケーションもあります。そんな出会いは「窓」からの風景を、風景だけにとどめるのではなくいろいろな形に彩ってくれます。
そんな「窓」からの風景にスポットを当て、今回から、ここに来たから眺めることのできる「窓」からの風景と出会いを、取材と撮影を通してお伝えします。
『Cafe PUENTE』
第一回は、松江の大橋川沿いの松江大橋北側にある『Cafe PUENTE』(松江市末次本町36 E.A.Dビル1F)からの風景です。
川島芙美子氏の萬葉集『石見相聞歌』の朗読を聴きながら、カメラをまわす私は島崎藤村の『惜別の歌』を重ね合わせていました。藤村の歌の「君」は、売られていく姉か妹と解釈されていますが、私のなかでは結ばれることのない「思いを寄せる女(ひと)」です。
『石見相聞歌』の悲恋に限らず、別れは人の世の常でしょうか。
『Cafe PUENTE』は好きな酒を呑めるだけでなく、その日の心模様にあった音楽を、大量のレコードの中から選んで流してくれます。若いオーナーであり店長ですが、シルバー層の青春時代も十分過ぎるほど理解した選曲です。レコードの枚数は不明です。映像の中で推測してください。
島根の幸を堪能した千鳥足の二軒目、決まってドライマティーニを頼み、ジャックダニエルのロックに切り替えます。夕方に寄った時はギムレット。
お昼ならカウンターに座り、大橋川を眺めながら薫り高い珈琲をお楽しみください。
撮影させて頂いた時は、ランチのみ「monkey curry」のお店が営業し、味深いチキンカリールーロー飯と自家製ティラミスを頂きました。東京でいろいろな料理を提供されてきた店長の話にも、料理を通しての「創る」意義を教えられます。
■動画制作 語り手 川島芙美子(山陰万葉を歩く会・会長) 「島根県立万葉公園」のサイトをご覧ください 撮影協力 Cafe PUENTE 松江市末次本町36 E.A.Dビル1F 制作 webサイト『島根国』 https://shimanekuni.com 協力 株式会社オウコーポレーション https://www.ou-c.com
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