• ~旅と日々の出会い~
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『中海』、ぐるりと半周、不思議いっぱいの旅
―穏やかな水面に照る、神代からの人の思い―

はじめに 

中海(なかうみ)って、島根県なの?鳥取県なの? そして、海なの?湖なの? はっきりして。疑問が浮いたり沈んだり、イライラ。生活に関係ない些細なこと、検索したくない。

「そんなに気になるなら、スタバで本、読むのでなくてさ、旅に出たら」と、背中を押してくれたのが、バックパッカーの姉夫婦と村松友視先生の小説、『時代屋の女房・怪談』。随分古い本よ。(36年前、1986年/昭和61年))

映画『時代屋の女房』(1983年)、真弓(女房)さん役の夏目雅子さん、素敵だった。もちろんDVD。実家のDVDの書棚にあった。両親の思い出の映画らしい(笑)。私が生まれる前、若くして、お亡くなりになった女優さん。白のワンピースとパラソルが印象的だった。

真弓さんのこと、凄く気になった。こんな風に生きたら。で、小説も読み、あわせて『時代屋の女房・怪談』も。舞台は松江と出雲大社、日御碕。家出した古道具屋の真弓さんが、出会った男(ひと)と不思議な旅をするの。中海と美保関も、そのひとつ。

だらだら日々をリセットし、真弓さんになって、気分は夏目雅子さんよ、訪ねました。そんなちょっとハイで、懐古的な気分の紀行文です。

旅の始まりは、①「安来市」。次は、中海を左に進んで松江市の②「揖屋」(いや)を経て、義経さんの一番の家来・弁慶さんがお生まれになった③「本庄」に向かうの。中海に浮かぶ④「大根島」からベタ踏み坂の⑤「江島大橋」を渡り(この橋は鳥取)、⑥「美保関」に。そこがゴール。真弓さんも男の人と出掛け、白いかの刺身を食べるの。

駆け足の旅でした。そんななか、昔の人の愛と、出会いに別れを、随分感じました。

旅のポイントは、神話、伝説。真弓さんや私のように、皆にとっても、出会いがあると、いいよね。なんたって、「ご縁の国」だから。でも、求めることではないのよ。育むこと。

そうだ。中海は両県にまたがり、県境は中海の中、地図の右側の砂州・弓ヶ浜半島沿いです。そして、中海は海水と淡水の入り混じった汽水湖。ということは湖。

願い叶う、安来市

滑稽な踊りのドジョウすくいと安来節の安来から、始まるよ。「出雲名物、荷物にならぬ、聞いてお帰れ、安来節」。

戦国時代、月山富田城を拠点に、尼子家と毛利家で激しい戦(いくさ)がありました。

神々がご休憩される島、十神山 (神話)

安来駅の近くの、中海の湖畔にある十神山(とかみやま)。由来は、10柱の神様を祀ったことから。『出雲国風土記』では研神(とがみ)山、今は陸続き、昔は島だった。

そこから、中海を見た。この旅、不思議な体験があるかしら。

十神山はね。全国の神様が出雲に集まる神在月、出雲大社に向かう神様が、途中、十神山で休憩されるのです。この時期、神様にご迷惑がかかるから、地元の人は、十神山に登らないそうよ。渡り鳥が羽を休める感じ。あるいは、汚れた旅の衣を整えるのでしょうね。

今、そこに立っている。神様に、置手紙しました。古臭いな。でも、信じることから始まる、「神々の国」の旅。

十神山の南側には『毘売塚(ひめづか)古墳』があります。古代人も暮らし、私と同じ、空と水面を見たでしょうね。

弁慶さんの母・弁吉さん、良縁を求めて出雲路幸神社に 

安来は、義経の家来・弁慶さんのお母さん、弁吉さんにとって、とても大切なところ。

松江市で、弁慶さんを生んだ弁吉さん。元々は紀州の女(ひと)。安来に来たのは、ご主人を探すため。「努力家」。マッチングアプリは「出雲の神様」。

細かな話は、このサイトの『歴史と人物』の「義経は天にはばたけ、弁慶は大地に立ちつくす」を読んで。すごくロマンティックなお話よ。

紀州(和歌山)田辺の郷士・誕象(たんしょう)の家に生まれた弁吉さん。裕福な家です。ところが、ご縁に恵まれなかった。不備に思ったご両親は、ご縁の国・出雲に旅立たせたのです。かわい子には旅をさせろ、かな。ひとり旅です。

1150年のこと。源頼朝さんが生まれたのが、1147年のこと。

弁吉さんが辿り着いた所が、安来の出雲路幸(いずもじさい)神社。安来の駅から飯梨川沿いに、月山富田城や足立美術館に上る途中にあります。あの頃なら、山越えで来た月山富田城辺りを抜けて来たかも。

「良い人に会えますように」と七日七晩、願かけしました。思いは神様に通じるのね。満願の夜、弁吉さんは神様の声を聞くの。「戌の方向へ進め」とでもおっしゃったのかしら。

啓示に従い、枕木山の麓の長海村(現在の本庄)に行き、暮らします。続きは、次の、次の訪問地・本庄で。

ここにはここの御利益あり。出雲大社や八重垣神社とは違うご縁があるの。足立美術館や月山富田城に行く前に寄り道してみる価値はあるかも。思わぬご縁が、あるかもよ。私は、島根に来たことを、感謝。痩せ我慢。

座禅と四季の色の清水寺

子どもの頃の弁慶さん、安来市の清水寺、出雲市の鰐淵寺、次の、次の訪問地・本庄の華蔵寺で修行を積みます。

清水寺

清水寺が開かれたのは587年。いまの寺域になったのが、室町初期(1393年)。ところが、戦国時代の戦で、ほとんどの堂宇が焼失しました。

5万坪余りの境内、沢山の樹木、いろいろな木花、四季折々の色合いをつけます。

木漏れ日を踏みながら、何しに来たのかしらと、ちょっと考えながらの散策。

天台密教の道場。座禅、写経、写仏。雑念を祓い、気を静め、無我の境地になってみる。不満たらたらの自分でなくて、新しい自分がいて、新しい恋がありそうな、そんな気持。インドアの性格が少しは小さくなるかも。帰りは、羊羹を頂きました。

三重塔
横山大観と足立美術館と庭園 

穏やかになった私、足を延ばし、足立美術館を訪ねました。

さぎの湯温泉にある足立美術館。昭和45年に足立全康氏によって設立されました。横山大観をはじめ多くの日本画の展示、四季の自然を織りなす庭園、みんな、素敵。素敵としか言えない自分に、すこし残念。

横山大観の名作「白沙青松」をイメージしたお庭。横山大観の絵画を、印象付けてくれました。2003年から19年連続で庭園ランキング日本一に選ばれています。

抹茶を頂きました。こんな時間も大切。こんな積み重ねに、気づきや意外な出会いがあると思う。

足立美術館

悲しい伝説の揖屋(いや)

中海を左に進みます。

日本には、どうして、沢山の悲しい昔話や逸話があるのでしょう。万物、万人に、必ずおとずれる「消滅」や「別れ」。そんな悲しみ色の「揖屋」で、お聞きした、神話と昔話。

出雲国風土記
娘を偲び、サメ退治

『出雲国風土記』の「意宇郡(現在の安来市から松江市にかけて)」のページにあるお話。

サメに襲われて命を落とした娘さん、復讐を遂げるお父さんの物語です。舞台は「比売埼(ひめさき)」の岬。

674年の7月13日、猪麻呂(いまろ)さんの娘さんが、比売埼の岬で、サメに食べられました。お父さんは復讐を神に祈願します。
しばらくすると、100匹余りのサメが、1匹のサメを取り囲み、やってきました。猪麻呂さんは鉾(ほこ)を振りかざし、真ん中のサメを刺し、切り裂きました。すると、娘さんの片足の脛(すね)が出てきたの。100匹のサメたちは、散り散りに去って行きました。

お父さんの復讐の願い、神様が聞き入れたのね。百匹のサメに連れてくるよう、命令したのでしょう。

えびす様とニワトリ

美保関に暮らすえびす様。美保関は、この旅のゴールです。

えびす様は、揖屋に暮らす溝杭姫に一目ぼれ。毎晩、毎晩、自分で船を漕いで、中海を渡り、溝杭姫の元へと、せっせと通います。一番鶏が朝を告げと、また船を漕いで、美保関へ帰ります。通い婚ね。

ある日のこと。これからだというときに(何かしら(笑))、一番鶏が時間を間違えて、「コケコッコー」と鳴きました。あわてて船を漕ぐえびす様、過って櫂を海へ流したのです。自分の左足を櫂の代わりに、船を漕ぎます。サメがかぶりと食いついたのです。

えびす様、サメを退治し、美保関まで帰りました。そこで、本当の一番鶏が、コケコッコーと鳴きました。怒ったえびす様、鶏の卵を食べるのを禁じたのです。

この風習は、現在でも、美保神社のお祭り残り、当屋となった人は食べません。

天国(黄泉(よみ)の国)への手紙、郵便ポスト

DAIGOさんの奥様、北川景子さん主演の映画『瞬 またたき』。せつなかったな。

この映画で、北川景子さんが、亡くなった恋人に再会したいと出掛けたのが、松江市東出雲町揖屋の黄泉比良坂(よもつひらさか)。ここは、『古事記』に描かれる、イザナギとイザナミの決別の地です。現世と黄泉の国を隔てる境界点。

亡くなった妻のイザナミを求め、黄泉の国に出かけた夫のイザナギ。そこで見たのは、変わり果てた、醜いイザナミです。地上へと逃げるイザナギを、追いかけるイザナミ。大きな岩で塞いだのです。そこが、黄泉比良坂(よもつひらさか)です。(当サイト『出雲神話と神々』、一話をご覧ください)

平成29年4月、亡くなった人への手紙を投函できるポスト、「天国(黄泉(よみ)の国)への手紙」が、地元の人たちの手で設置されたの。毎年6月、ポストの前で、故人に届くようにと願いを込めて、手紙を火にくべる焚き上げの供養が行われます。

出会いがあれば、別れもあるの。別れがあるから、次の出会いがあるの。そんなこと、みんな分かっている。私だって、分かっている。でも別れは悲しい。誰でも知っている別れの悲しみ。でも私の悲しみは、誰にも分からない。

きっと素晴らしい、出会いがあるよと、青い空に励まされ、揖屋神社を経て、山陰中央本線に沿って揖屋、東松江駅を過ぎ、中海大橋を渡り、湖畔に沿って走ります。

弁慶さん誕生の地、本庄

さてさて時代は平安時代へ。

弁吉さんの前に若い山伏の出現 

神様の啓示に従い、枕木山の麓の長海村(現在の本庄)で、三年過ごしたある日のこと。若い山伏が、弁吉さんの前に現れます。出雲の神の結びで来た夫だと、名乗ります。やった。夢かなう。それにしても三年は長いな。

弁慶島
弁慶森で生まれた弁慶さん

本庄に着いたら、湖畔沿いの「道の駅」に寄りましょう。弁吉さんや弁慶さんの所縁の地図が、看板にしてあります。

道の駅

見学の順は皆様にお任せ。

弁慶さんが生まれた「弁慶森」。案内看板に従って、山道を登った。苔むす石段が続きます。汗を拭いて見上げた先に、忽然と、そんな感じで、大木に包まれた平坦なところに出るの。石でできた小さな祠。弁吉さんが祀られている弁吉女霊社。安産祈願ね。

この祠に、弁慶さん自筆の弁吉さんの来歴や、弁慶さんの修行をしたためた巻物「願文(がんもん)」が納められていました。今は、永見神社で保管されています。また、願文のコピーが展示されています。

弁慶さんは、生まれると自分で、産湯を汲み上げた井戸を掘り。生後2ヶ月、歩き出した弁慶さんがお母さんに会いたい一心で、石臼を引きずった坂道「越えた坂」。弁慶森の入り口には、弁慶さんが5歳の時に運んだ2メートルの大石。などもあります。赤ちゃんの頃から怪物、弁慶の逸話が続きます。

父の助言で自立する弁慶さん、弁慶島

弁慶島は、中海に浮かぶ小さな島。直ぐに見つかります。

弁慶島

乱暴者の弁慶さんに手を焼いた弁吉さんは、7歳の時、中海の無人島に弁慶さんを置き去りにします。そこが、弁慶島。

一人の山伏が現れ、剣術や兵法を教えます。2年ほど経つと山伏は、お前の父親の天狗だと正体を明かします。そして、向こう岸に連れて行くことはたやすいこと。だが、自分で工夫して渡りなさいと言い残し、飛び去りました。自力更生ね。

10歳になった時、袖や裾に石をいれて運んでは海に落とし、ついに長海に渡る道をつくりました。

修行のお寺、華蔵寺

枕木山の山頂付近にある華蔵寺で、修行を積みます。

ここには運慶の作ともいわれる、仁王像あり。覗き込み、目を凝らして見ました。蛇には注意して。冷や汗ものよ。

長い石段が華蔵寺まで、根性試しのように続きます。登ると分かります、お寺の脇に車道があることに。でも、歩いて登るのよ。いろんな出会いがあるはず。

石段
華蔵寺

15歳の時、弁吉さんの生まれた紀伊國に向かいます。この後は、京の五条の橋で牛若丸こと源義経さんと出会うことになります。

弁慶さんは、松江でお生まれになり、幼児教育と修行を積むの。

中海に浮かぶ大根島

日本という島国の中にある、中海。その中海の中にある大根島。可笑しくない。やっぱり、可笑しくなる。約19万年前、噴火によってできた火山島。

牡丹苗の日本一の生産地で、また高麗人蔘(雲州人蔘)の栽培地です。

「中海、旅、してます」と、『つぶやく』と、「ちりて後おもかげに立つぼたん哉」とフローしたひと、どういう意味かしら。君のこと、知らないし・・・

中海
ボタンの花、流れる由志園

由志園は、約1万坪の池泉回遊式庭園です。苔むす庭園を進むと、樹木や小川とともに、牡丹をはじめ、様々な草花が迎えてくれます。ゴールデンウィーク頃、三万輪の牡丹の花が、池を埋め尽くします。庭園全体が、牡丹の園と大変身(池泉牡丹)。

ベタ踏み坂の「江島大橋」を渡る

覚えてますか、ダイハツ「タントカスタム」のテレビCM (2013年)。俳優の豊川悦司さんが、「ベタ踏み坂」と呼んだ、急こう配の橋。車のアクセルを限界まで踏み込まないと、登れない急勾配「ベタ踏」。最上部は高さ約45mです。

島根県松江市と鳥取県境港市の境江島またぐ江島大橋のこと。所在は鳥取県。

真弓さんが来た頃は、まだありません。

べた踏み坂

これを渡り、境港の堺水道大橋を渡ると、ゴールの美保関へと向かいます。

時代屋の女房・真弓さんが、鬼太郎空港からタクシーで、最初に訪れます。モノトーンな出会い。そして終わりは、セピア色の朝焼けのなかでの別れ。

ここまでは来ないけど、中海朝焼け遊覧のツアーがあるよ。是非、参加してね。(このサイトのこのコーナーに動画で紹介されている)

朝焼け

神話の美保関

出雲神話で大切な役割を果たす美保関、ここは交易の要としても栄え、また隠岐の島に流される人の、別れの地でした。

美保関と岬
岬から海を見詰める大国主命

出雲神話や縁結びというと、つい出雲大社を口にするよね。ここも、重要で、ご縁のあるところなの。

出雲の国を、そして葦原の中津国を統合した大国主命。でも、国造りに悩み、美保関の岬から海を眺めていました。孤独な支配者、経営者ね。そこに現れたのが、カガイモの葉に乗り、ミソサザイの羽を羽織った小さな神様、少彦名命(スクナビコナ)。二柱の神は力をあわせ、豊かな国造りに励みます。

理不尽な命令、国譲り、事代主神

葦原の中津国はアマテラスが治める国だと、その命を持ってタケミカヅチが、大社の浜に降りてきます。大国主命も事代主神(ことしろぬし)も譲ることにしました。理不尽だなー。今なら、住民投票よ。私たちの知らないところで、決めないで。

稲佐の浜
事代主神を祀る美保神社

美保神社は、大国主命の妻神・三穂津姫命(みほつひめのみこと)と、大国主命の子ども神の事代主神を祀っています。どちらも音楽にゆかりが深い神様です。

事代主神は別名、えびす様。美保神社は、全国の3000以上もあるえびす様の総本社。本殿は「美保造り」、大社造りのお社が2つ並んだ、珍しい神社です。

本殿を眺めさせていただきました。「中海、ぐるりと半周、不思議いっぱいの旅」の仕上げにぴったりの、厳粛で、雅な空間でした。

美保神社
ご利益は、二倍三倍

美保神社は「えびす様」、出雲大社の大国主大神は「大黒様」。昔より、出雲大社のお参りと美保神社のえびす様を合わせてお参りすることを、「えびすだいこく両参り」と言ったそうです。両方合わせてお参りすると、よりよい縁に恵まれるということ。

60年代まで、それは、それは繁盛しました。船で来る人が多く、港は大変な賑わいでした。

私も、両参りしました。でも、お願いというより、感謝。縁があるのも、ないのも、すべて感謝。ここに来ただけで充分。殊勝な気持に、ビックリ。

美保の町並みは、ロケ地

神社の前は、海の香りと幸の香りのする港町。

鳥居の前から仏谷寺までの石畳。雨で濡れると淡い青色になる、青石畳通りです。港町として栄えた雰囲気と、港町独特の筋。昔を感じる、旅館や老舗の醤油藏に酒屋さんなど、情緒豊かな風情です。与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など訪れました。

島根半島最東端の美保関灯台。山陰最古の灯台で、世界の歴史的灯台100選にも登録されているとのこと。岬の下に見える鳥居は沖の御前島。美保神社の祭神えびすさんが釣りを楽しんだ所と云われています。

おわりに

来てよかった。

駆け足でめぐった『中海、ぐるりと半周、不思議いっぱいの旅』。どうでした。

訪ねた先で古いお話をききました。道に迷うと、丁寧に教えて下さったみなさん。美味しい食べ物も頂きました。また、くうだわ、と手を握ったお婆さん。

『時代屋の女房・怪談』の真弓さんが、ニヒルでダンディーな男性に出会い、東京にいる彼のことを思いつつ、二人で旅した気持、分かるな。真弓さん、浮気したのでも、恋をしたのでもない。相手を通して、自分を探しているの。それが幻という世界だったとしても、神話の国・島根なら、不思議なことには思えない。

みなさまも、思いませんか。自分のことが不安になって、大親友に相談しても、彼に尋ねても、要領を得ない。でも、ちょっと愚痴ったお店のマスターに、女将さんに、妙に納得させられたこと。悩んでいたことが、不思議におさまっている。

旅の出会いの会話って、そんな感じに思えます。私が変わったからだと思う。どう思います。

島根では、生物的な別れでなくて、「哲学的」な別れに会える。「哲学的」? 上手く言えないから「哲学」と言っただけ。物理的に別れるのでなくて、心に居続ける「別れ」を許す感じ。それも悲しいとか、怖いとか、忘れられないとは違う。私の一部となり、これからの日々の喜びを私と共有する「別れ」。迎い入れる「別れ」かな。

北川景子さん主演の映画『瞬 またたき』の黄泉比良坂(よもつひらさか)、イザナギとイザナミの別れ。生と死の対立として描かれている。でも、そうじゃない。諦めを教えているだけ。神にも叶わぬことがある。それが「別れの悲しみ」。

悲しみが私の一部になる、そんな神話や伝説や伝統との出会いが、島根にはあるの。

「悲しみ」もご縁。だから、次の出会いがある。これまでとは違った、心にしみる出会いが。島根は、神々の国。癒しの国。そして、私の中にいる私と話すことができる国。

いろんな出会いが、沢山ありました。それは、来月、掲載予定のYouTubeチャネルをご覧ください。

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