• ~旅と日々の出会い~
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美肌・美白の温泉とソロバンの地 奥出雲の温泉場

はじめに

ごめんなさいね。コメコメの「美肌・美白」温泉のお話の前に、ことねに、ちょっと時間をください。

島根に暮らす方や島根を訪ねた方ならお分かりだと思います。「奥出雲」ってね、行政区としての「奥出雲町」と、文化や観光のブランドから広域につかう「奥出雲」の二つがあるの。

ここでは行政区の「仁多郡奥出雲町」でくくりました。初めに、ご了承してくださいね。

では、コメコメ、あとは宜しくね。読者の皆様もお楽しみください。

奥出雲町について

ことね、ありがとう。

では、仁多郡奥出雲町にある温泉、三か所の温泉施設を紹介します。松江や出雲空港に近い順に紹介します。広島なら大雑把に言うと逆ね。

初めに恐竜博物館の前にある佐白(さじろ)温泉・長者の湯。次が『砂の器』で有名な亀嵩(かめだけ)温泉・玉峰山荘。最後が出雲神話のスサノヲ(素戔嗚鵜)降臨と八岐大蛇伝説の斐乃上(ひのかみ)温泉・斐乃上荘。

自然や文化、生活を交えて紹介するよ。同じ奥出雲町でも離れています。次の温泉に行くなら車やタクシーをご利用してください。

場所は?

住所は仁多郡奥出雲町です。

JRの最寄り駅でいえば、佐白温泉が布施駅、亀嵩温泉が亀嵩駅、斐乃上温泉が出雲横田駅です。JRで行くときは、サイトの経路だけでなく、必ずお宿に電話をして、交通の便を確認してくださいね。最寄駅からタクシーが便利です。

松江から車で向かうなら、同じ道で向かいます。近い順に紹介します。あくまでも目安ですので、事前にご確認くださいね。

・『佐白温泉・長者の湯』。松江から県道松江木次線、玉湯吾妻山線経由で1時間。松江自動車道(やまなみ街道)なら高野ICより40分、三刀屋木次ICより20分で着きます。目印は恐竜の像ある「奥出雲多根自然博物館」の建物です。

・『亀嵩温泉・玉峰山荘』は、そのまま三成方面に走ります。JR三成駅を過ぎると前方に亀嵩温泉の案内標識が現れます。そのまま直進してください。

・『斐乃上温泉・斐乃上荘』は、標識のあるT字路を右に曲がり、川に沿って進みます。出雲横田に向かう道です。出雲横田の町中に入る手前を左に、斐伊川沿いに上ります。八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の船通山を目指してください。

温泉宿とJR駅、たたら製鉄の三大鉄師の屋敷を地図で紹介します。

お宿は?

『佐白温泉・長者の湯』は宿泊施設のない日帰りの湯です。近くでの宿泊をご希望ならば、道の前にある「泊まれる博物館・奥出雲多根自然博物館」をお薦めします。グループや大家族なら古民家を再生した「百姓塾」も手ごろです。

『亀嵩温泉・玉峰山荘』と『斐乃上温泉・斐乃上荘』は、宿泊施設も完備されております。ゆっくりお休みください。

効能は?

いずれの湯も「アルカリ性単純温泉」です。美肌・美白が期待できますよ。

ヌルヌル作用で汚れが落ちるといわれています。湯あたりもしにくいので、お湯を楽しむこともできます。

コメコメも、そしてシマネミコーズも、もちろん色白美肌ですよ。

お楽しみの散歩は?

中国山地の自然と文化、食とお酒とのどかな人柄に接してね。もしかしたら、「オロオロやクシナ」のような素朴な天使に会えるかもしれないよ。

・たたら製鉄の生んだ風景

奥出雲は安来市や雲南市と一緒に、日本遺産『出雲國たたらの風土記―鉄づくり千年が生んだ物語―』に指定されています。ぶらっと歩いてみましょう。

穏やかで美しい山々だけではありません。青い空を映し、金色の海原となり、やがて雪におおわれる棚田も、貴方を優しく迎えてくれます。

棚田は「たたら製鉄が生んだ奥出雲の資源循環型農業」として日本農業遺産に認定されました。今、『世界農業遺産』を目指して頑張っています。応援してあげてね。

さあ、貴方の旅物語をつくりましょう。難しいことではありません。深呼吸をして、明るい気持ちで、ちょっと飛び上がるだけでいいのです。

夕方の棚田
昼の棚田
文化的景観

・鉄師の御屋敷と記念館でひと休み

『たたら製鉄』には三大鉄師がいらっしゃって、それぞれ展示施設を運営されています。

奥出雲では櫻井家・可部屋集成館、絲原家・絲原記念館、そして雲南市では田部家と土蔵群・菅谷たたら。

ちょっと敷居が高い。おや古風な方ですね。そんなことはありませんよ。お訪ねして、眺めて、楽しんで、休んでください。

『島根国』サイトでも『たたら製鉄』や『島根とSDGs』のコーナーで、今後のことも含めて物語風に紹介しています。合わせて読んでね。

櫻井家
絲原家
田部家

・駆け抜けた戦国の武将たち

戦国武将の人気者といえば誰でしょうね。

織田信長、上杉謙信、伊達政宗、真田幸村、徳川家康、豊臣秀吉かな。三本の矢の毛利元就や難攻不落の月山城の尼子経久はどうかしら。

その毛利家と尼子家の領土争奪戦に翻弄されたのが、奥出雲の地であり、領主の三沢氏でした。

尼子氏の月山城を攻める経路は、海側の道とこの山側の道なの。

三沢氏は、「七難八苦」の尼子一途の山中鹿之助に負けても、尼子攻めの時には毛利に加担するのよ。弱小領主は、時世を先読みし、風見鶏のように寝返るのが戦国の処世術でしょうね。

出雲横田の藤ヶ瀬小跡を訪ね、美味しい仁多米の田を眺めてはいかがでしょうか。遠くに船通山を望めます。

戦国時代の奥出雲に関心のある方は、『島根国』のコーナー『奥出雲』に掲載されている郷土史をご覧ください。

藤ヶ瀬山
藤ヶ瀬城

・カタクリの花 船通山

4月中旬から5月初旬、船通山の頂上は、一面「カタクリの花」におおわれます。「綺麗」、その一言に尽きます。苦労して登ってきたかいがあります。

7月末の船通山頂上で開かれる「宣揚祭」もおすすめです。オロチの尾から現れた天叢雲剣を手にスサノヲが剣の舞を演じます。

登山の後は、『斐乃上温泉・斐乃上荘』で汗を流してください。

カタクリの花
宣揚祭

天然記念物 オオサンショウウオ

「生きた化石」オオサンショウウオの生息地です。奥出雲では、「はんざけ」「はんざき」とも言います。半分に切っても生きているからでしょう。国の特別天然記念物に指定されています。触ってもダメダメですよ。

オオサンショウウオ
オオサンショウウオのたまご
地元の酒は?
  • 簸上清酒合名会社 (奥出雲町横田) 七冠馬、玉鋼
  • 奥出雲酒造株式会社 (奥出雲町亀嵩) 奥出雲、仁多米

ソロバンのある奥出雲

観光案内とはすこし違うかもしれませんね。でも、奥出雲の町の文化や経済を支えた「ソロバン」についてお話させてください。出雲横田駅横にある『雲州そろばん伝統産業会館』を訪ねてほしいです。

雲州そろばん伝統産業会館

・ほろ苦い思いで

小学五年からは学校の算数でソロバンを習いました。私は、小学三年生のころからソロバン塾に通いました。
遠くの小学校からもお友達がバスで来て、お話するのがすごく楽しかった。初恋もその時。相手はこの町の子。六年生になったらボーイスカウトに入団し、来なくなって終わっちゃった。

その頃、奥出雲には中小の工場も37軒ありました。それとは別に、家族で生産する家や農業の合間や農閑期に生産する個人の家も130軒ほどがありました(下記添付の資料をごらんください)。ソロバン生産は大切な産業でした。ソロバンの材料で、鳥かごや花瓶敷、おもちゃを作る器用な人もいらっしゃった。

・奥出雲のソロバン

そろばんは16世紀の終わり(戦国時代)、中国から伝わり全国に広まりました。
 

奥出雲のソロバン生産は、1830年頃、亀嵩の村上吉五郎によってはじめられました。もちろん他にもいたでしょうが、吉五郎のソロバンが優れた品質で、全国に知れ渡りました。

明治に入り、行商販売によって『亀嵩そろばん』は評判を得ることとなります。

吉五郎の技法を習得してつくりはじめたのが、横田に住む常作や朝吉たちでした。やがて製法を公開し、生産量も高まり「雲州そろばん」として広く売り出したのです。
明治に入り、近代化とともにソロバンの需要は増加し、大量に販売した『雲州そろばん』の名は全国へと広まったのです。

・奥出雲の地場産業

近代化はソロバンの増産を求めました。技術革新だけでなく、業態や流通・宣伝も変わります。会社が変わるように働く人の意識も変わります。消費地を控えた大規模生産の大阪に、沢山の職人が収入の安定を求め転出しました。

大正年代に入ると、大阪・播州のソロバン生産の機械化によって亀嵩や横田の製品は厳しい状況になりました。
大正6年に横田に雲州算盤製作所を設立、大正11年亀嵩に亀嵩算盤合名会社が創設されました。職人の養成とともに分業体制を取り入れたのです。地場産業の始まりです。

昭和に入ると、イノベーションとマーケテイングの戦いとなります。

コメコメがソロバン塾に通ったのは、そんな時代の最後の頃でした。工場から出てくるお兄ちゃんやお姉ちゃんを待って一緒に帰るお友達もいました。お家でソロバンを作っているお友達は、毎日、お母さんと一緒で羨ましかった。

この町が、この村が、ソロバンの町でした。

高橋一郎著「雲州そろばんの今昔」
(昭和52年刊、報光社、松江文庫)

・電卓・パソコンの時代
昭和50年年代になると、高かった卓上計算機も安くなり、あっというまに普及しました。そろばんの需要も停滞し、業界内の競合、合理化によって淘汰がすすみ、ソロバン産業自体が厳しい時代になりました。

パソコン・ソフト「Excel」は、数式という概念だけで計算という思考自体を不要にしました。

ソロバンよ、永遠に 

 会社や家庭からソロバンの姿は消えました。「珠算検定」の受験者も減ったそうです。

でも、近所には「ソロバン塾」や「ソロバン教室」があります。全国のソロバン教室は、6753軒です。

「ねがいましては、6円也、28円也・・・」の読み上げ算。指の動きと頭のなかでした暗算。検定用に買ったボタンを押すとご破算できる「ソロマチック」。

市場規模は小さくなりました。それでもソロバン塾は残り、そこに子供たちは習い事として通い、ソロバンに触れ、上達とともに頭のなかのソロバンを弾いて計算します。
指を使う「計算」というプロセスを学ぶことは大切なことだと思います。

奥出雲には、自然や文化、神話や昔話、食にお酒といろんなものがあります。みんな素晴らしいと思います。できることなら、地場産業のソロバンの世界にも触れてほしいと思います。

農家に行くと、大切に保存してある「煤竹(すすだけ)」を目にすることもあります。茅葺きの家の天井に置いた竹です。百年も二百年も囲炉裏の煙で燻された貴重な竹です。煤竹も大きく寄与してきました。
茅葺き屋がなくなり、ソロバンが近代化されていくにつれ、貴重な煤竹もなくなっていくことでしょう。

煤竹

奥出雲を訪ねられたら、たたら製鉄とともにソロバン産業も見学してくださいね。できたら、職人技ともいえるソロバンの玉を弾いてみると、その滑らかさに驚かされます。

雲州そろばんに関心のある方は、もう絶版かもしれませんが、昭和52年出版の高橋一郎著『雲州そろばんの今昔―歴史とその技術』(報光社・松江文庫)をご覧ください。

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