• ~旅と日々の出会い~
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温泉旅ノベル『シマネミコーズ、温泉の旅路』

一話 赤い糸のあや ―あなたは、気づきを教えてくれた―

三節 袖振り合うも他生の縁 (出雲そば)

島根に来たら食べるのが割り子そば。前回もみんなで食べた。隣のお爺さんが、出汁の代わりにぬる燗のお酒をかけて、美味しそうに食べていた。出雲の黒い蕎麦には日本酒がええと教えてくれたけど、みんな試さなかった。

蕎麦の殻ごと挽く地元の蕎麦粉は黒く、舌触りや味に個性がある。赤くて丸い器に盛られ、通常は三段重ね。もちろん五段重ねで注文もできる。食べ方は、出汁の入った小さな器に蕎麦をつけるザル蕎麦の食べ方でなく、逆に出汁を蕎麦の入った器に掛ける。具は基本、紅葉おろしと鰹節と刻みのり。

三段重ねの割子そばを注文し、『伊豆の踊子』のページをめくった。雨に濡れた帝大生が茶店で踊子たちと同席するところ。互いに相手を気にする心模様の表現が素敵。胸の高鳴りが言葉にできず態度に現れる描写も心にしみる。

こんな風に自分の気持が現わせたら、もやもやした気持を引きずることもないだろうな。それにくよくよしないかも。でも、そんなにうまく言葉で整理できるだろうか。

古代出雲歴史博物館で受けた感動をどう言葉にしよう。凄かった、ビックリしました、綺麗でしたと言えば、きっと返される。何が凄かった、なぜビックリした、綺麗とはなんだ、それで何を感じた。「言語という記号にすることだ」と言うに決まっている。それができれば、あの時、妻子ある人を好きになった訳が言えたはず。行間に自分の体験が滲んでいく。

「この椅子、お借りしていいですか」

顔をあげることなく返事した。

「どうぞ」

入り口から男の人たちの声が近づいて、隣のテープで車座に広がった。周りに配慮しない、無神経な大声の後、「ねえちゃん、トリピー」「わしも」。「そげしたら、生、八だわな」。「すみません、僕、車の運転があります」。「そげか。じゃ、生七と、ウーロン茶だ」。

参道で後ろを歩いていた団体だ。

「よう、幹事、コンパニオンの姉ちゃん、どげしただ」

周りのテーブルに小さく頭を下げた。それに習って日に焼けた男たちも「すんませんな」と詫びる。旅行の女の子たちは見て見ぬふりで応えたが、お年寄りが「ええですよ」と笑って返した。

男の人たちの話す言葉の語尾が耳に残る。これが出雲弁だろうか。

陽に焼けて浅黒い首筋と腕。太くて指の節も瘤のように膨らんでいる。幹事の人だけは、まだ肌に染み入るような赤黒さはなく、どことなくきゃしゃだ。

「めのはとあご焼き、追加でくれるかね」

『めのは』も『あご焼き』もメニューにはない。

「ねえさん、日本酒は何がああかね」

「先輩、僕が見てきます」

幹事が立ち上がり、周りに小さくお辞儀した。物腰が柔らかく、標準語で話している。

じろじろ見る視線に気づいたのだろうか、テーブルの前で立ち止り一歩近づいた。足元を凝視する視線に身構える。

「『雪国』か、素敵な小説ですね」

床に落ちた本を拾うと土を払い渡された。

何かの弾みに床に落ちたようだ。一瞬、言葉に詰まった。「ありがとうございます」といった時には、男の人は背を向けていた。入れ違いに干した海藻と大きな竹輪を盆にのせた店員が現れた。

「つまみはやっぱし、めのはか、あご焼きだな」

店員の割り子そばの食べ方の説明に頷きつつ、視線は隣のテーブルのめのはに向かう。

幹事の男性が一升瓶を二本持ってきた。「ほかは」と問い返す男たちに、何点か銘柄を上げ、「こっちが好いと思いました」と告げた。パシリのように働くだけではない、相手の考えの先を先をと読んで行動をとっている。

「姉さん、これ二合ずつ二本、貰いますわ」

注文した男の人と目が合い、先ほどの礼を込めて会釈した。気が付かなかったようだ。

四節 寄せる小波と静かな湯あみ (稲佐の浜と玉造温泉)

稲佐の浜の打ち寄せるさざ波にスカートの裾が濡れた。それでも心地好い。女の子同士の華やいだ笑いとは違い女一人の波との寡黙な戯れは、どんなふうに映るのだろうか。

この磯に、アマテラスの三番目の使者としてタケミカヅチが高天ヶ原から降り、波の上に座った。オオクニヌシに出雲の国を譲れと迫ったのだ。随分理不尽なことだ。でも力勝負に負けた出雲の神々は譲ることにした。これが『出雲神話』の「国譲り」の話だ。

穏やかな出雲弁を聞けば、大きな争いごとにしなかった出雲の神様の気持がなんとなく頷ける。でも、現象は「略奪」だ。どんな気持で出雲の神様は造り上げた国を譲ったのだろうか。

バスでJR出雲市駅に出、山陰本線で玉造温泉に向かう。駅から旅館までは奮発してタクシー。

一人旅にはもったいない立派な老舗旅館だ。日本庭園のランキングにも名を連ねる手入れの行き届いた庭をしばらく眺めていた。「よお、おいでました」と老人に声を掛けられた。宿の人というよりか、浴衣姿から思うに地元の宿泊客だろう。そんなことからも、みんなからおもてなしを受けている気分になる。

玉造温泉は、オオクニヌシとともに出雲国(葦原の中つ国)の国造りをしたスクナビコナが見つけたと『出雲国風土記』に記載されている。

泉質は、ナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉で、塩酸イオンがお肌に水分を与え、お肌にハリと潤いを与え美肌効果がある。一言でいえば、美人の湯、それとも美肌の湯。

広い湯舟、溢れるお湯、檜の穏やかな香り、大きな窓の向こうに眩い日差しと瑞々しい木々の葉が広がっている。

肌に染み入るような心地よさ。お湯の中で足を延ばし、手を支えにして少し大の字に開いて浮いた。すこし太ったかもしれない。横腹の肉が掴めた。お尻と太腿の肉も柔らかくなった感じ。「むっちりか」と口にした。

露天風呂に繋がる扉の方から賑やか声とともに数人の女の子が現れた。入れ替わりに露天風呂に向かう。木の枝に見慣れぬ鳥が止まっている。青い空と木々の青葉が温泉の波紋に浮沈みする。

おばあちゃんが、「なんまんだぶ」とか「なみあみだぶつ」とつぶやきながら浸かる気持ちが分かる。お腹から「フー」っと息を吹き出して目を閉じた。体育座りの膝を伸ばし、肩までつかる。柔らかな湯あたり。頬の火照りを温泉の湯と風が撫でて行く。

目を閉じて、深呼吸を繰り返すと、風の音が聞こえてきた。陽の薫りも感じる。心が風と光の穴を抜けていく。

護岸工事もされない川岸に、草木とともに月見草の黄色い花が列をつくって咲いている。前かがみに進む下駄の忙しない音もする。三味線の音色も聞こえた。やがて、川に沢山の蛍が弧を描いて舞いだした。遠くで誰かを呼ぶ声がする。川の流れが聞こえてきた。あ、遠くで誰かが泣いている。

つづく

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