• ~旅と日々の出会い~
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温泉旅ノベル『シマネミコーズ、温泉の旅路』

一話 赤い糸のあや ―あなたは、気づきを教えてくれた―

二章 歴史が織りなす松江しんじ湖温泉の巻

二節 風に吹かれて、風土記の丘 (意宇郷)

神魂(かもす)神社をゆっくり参拝した。静かに、慌てず、無作法にならずに、境内を意識してゆっくり歩く。腹式呼吸を感じ、少し腰を落として上半身がブレないようにする。どことなくぎこちなく感じる。きっと滑稽な歩き姿だろう。

静寂さに心も身も包まれた。木漏れ日の輝きより葉陰の薄暗さに心が誘われる。大樹の前で問うた、銅剣や銅鐸が埋められた時、神様は何をしていたのですか。木々は成長し、周辺は地整され、やがて人が集まり暮らしだし、神様の居場所は狭くなる。それでも保ち続けられる心安らかな時。

実家の風景が過った。稲が風にあおられて海原のようにうねっている。畔に立つ泥だらけの長靴を履いた老人が呟いた、今年は豊作だ。隣りで父が首を上下に振り、今年こそは頑張ると言っているような気がする。兄の口元が震えている、正念場だ。

楽し気に話す女の子のグループに会釈して、最後にもう一度、本殿にお辞儀した。神様、なぜ、隠したのですか。

大きな石でつくられた石段を手すりに触って降りて、もう一度見上げた。神社って見学する所ではなくて、自分と話すところかな。そんな殊勝な気になるほどの霊気に満ちた静かな神社だ。
桜木の参道をしばらく下ると左に折れた。草の蒼い息吹に胸が詰まりそうだ。
突き当たると、樹木に覆われた丘の緩やかな山道を左に半円を描くように進む。

この丘の続きに昨夜泊った玉造温泉がある。会うことはないだろう彼の生き方を思い出した。東京での人との付合いと休みのないシステム開発に、明日を見出せなくなったと漏らしていた。ここにあるかと言えば、もっと厳しい自然があり大変だと話してくれた。でもここには、十年後の自分が見えると誇らしげに呟いた。「不細工だけど美味しい野菜よ」と女将さんは彼の野菜作りを褒めた。

八重垣神社の奥の、樹木に覆われた鏡の池で、和紙を浮かべる良縁占いをした。
社務所で買った和紙に、十円玉か百円玉をのせ、池に浮かべる。早く沈んだら早期の良縁があり、池の奥まで進めば遠方の人との良縁。
百円玉を奮発したのに和紙が沈む前に穴が開き、お金だけが池に落ちた。そんなものだと笑った。隣の女の子たちも忍び笑いをする。ただ中年の夫婦だけは神様でもないのに申しわけなさそうな顔をした。それでもいつか、あの和紙も良縁に恵まれて沈むだろう。

本殿に戻る石段を上るとカップルの華やいだ笑い声がした。大木の中と小さな祠の横に木製の大きな男の人の一物が祀ってある。昔なら縁結びと子宝は一貫していたのだろう。
祖母はお見合いで嫁ぎ、妊娠を知ってホッとしたと話してくれた。嫁入り婚の頃は、妊娠の使命と家業の繁栄が第一で、祖父と祖母が二人で旅行をしたのは子供が自立してからだ。
ちょっと恥ずかしい気持もあった。祠と巨木に手を合わせた。どんな人生が待っているのでしょうね、と心の中できいてみた。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治すると助けた稲田姫(クシナダヒメ)を妻にし、大きなお宮を建てられた。その時に詠まれた和歌が日本最初の「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」。正義心があり、逞しく、そして教養があって愛妻家の神様だ。

出雲・松江の旅は、東京で考えていた旅とはまったく違った考える旅になった。それは、神々の国・島根の不思議もあるだろう。でも、それよりはここで出会った人たちだ。Iターンの彼、仲居さん、お風呂であったおばあさんたち、そして彼に誘われて訪れた飲み屋さんのご夫婦、荒神谷遺跡や加茂岩倉異を案内してくれた運転手さん。
そこには、知識というより、気づきと感謝という感情の刺激があった。なによりも、自分自身が素直に受け入れて、変わろうとしたことだ。幻の声も聴いた、空を飛ぶ夢も見た、それは私が何かに気づきだした心の綾だろう。

松江市内に向けてバスが進む。また聞こえてきた、山の中の草木の激しく擦れ合う音が。その先にきっと大切なものがある。

つづく

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