• ~旅と日々の出会い~
SNSでシェアする

2 鉄打つ音、馬の嘶き、稲穂と樹木と水の『鉄の道』

― たたら製鉄を包む自然と人びと

「たたら製鉄ってなに?」と素通りされる貴方、「ちょっと暗い、感じ」と触ろうともしない貴方、「インスタ映えするかしら」とちょっと首を傾げた貴方。『鉄』のイメージでなく、古代からの営みとして、「砂鉄」をつくりだす自然と人と生活文化の話を聞いていただけませんか。

そこには人と自然、生活と共存の英知と実行が描かれています。美しく、可愛いものだけが素晴らしいのではなく、情熱という努力と継続という切磋琢磨にも「美」が包み込まれています。たたら製鉄と自然と人を五感で捉えてみましょう。

   「▶」をクリックするとイメージ音声が聴くことができます

中国山地のとあるあぜ道を歩き、雑木林を抜け、朽ちた庵の傍の石に座ると大地の息吹と風の嘆きに混じって聞こえてきます。

「しばしも休まず 槌うつ響き 飛び散る火花よ 走る湯玉 ふいごの風さえ 息をもつがず 仕事に精出す 村の鍛冶屋」(童謡『村の鍛冶屋』一番。1912年「尋常小学校唱歌」)

私にとって、「たたら製鉄」のイメージの先には、武器の生産をしていた刀鍛冶や鉄砲鍛冶ではなく、『村の鍛冶屋(かじや)』のような農具や道具を扱う鍛冶師がいます。先祖代々門外不出の技術としてあったたたら製鉄や匠の技の刀鍛冶とは違い、道具作りに汗を流す『村の鍛冶屋』が身近に居たからでしょう。

今回はそんな身近にあった思い出から『たたら製鉄』について音や光、風を切り札に紹介します。島根にお出かけの際には、皆様の五感で「たたら製鉄」を感じてください。

中国山地

国鉄『出雲横田』駅の真っ黒な材木置き場

今年でなくなると伝えられている木次線のトロッコ列車。廃線の噂に上るスイッチバックのある木次線。その木次線に神社の形をした駅舎があります。JR『出雲横田』駅。

出雲横田駅正面
トロッコ列車

1934年(昭和9年)11月20日に開設されました。 神社型の木造駅舎は開業当初からのものです。入口には出雲大社に似たしめ縄が飾られ、屋根は入母屋屋根、壁は校倉造です。珍しい形の駅舎です。

駅舎に隣接するそろばんの伝統と技を伝える『雲州そろばん伝統産業会館』。昭和40年代まで汽車で運び出される材木置き場で、中国山地から切り出された大木が山積みされていました。その大木を重厚な汽車が煙と蒸気を吐き出し「せつぜに(苦しそうに)」運ぶのです。

材木置き場の足元も大木以上に重厚感のある黒々とした土地でした。掘っても、掘っても黒々とした『砂鉄』。磁石を置くものなら面白いほど吸い付くのです。その頃は、国鉄の線路を使ってたたら製鉄の原料である『砂鉄』を運搬していました。砂鉄の大地、それは柔らかで重厚感のある絨毯です。

※ 鉄道ファンの皆様へ 絲原記念館には木次線の貴重な資料が展示されていいます。

絲原記念館の展示品

  

砂鉄の大地、はだしで歩くとヒンヤリとし、指の間に挟むとくすぐったいような心地よさを感じました。夏になると異様に黒光りし熱を反射するのです。かつて砂鉄は奥出雲の道端で見かけることがありました。

横田駅の構内を、砂鉄のことを想像しながら暫し散策してください。もしかしたら小川に黒い波紋を見ることが出来るかもしれません。その黒光りは逞しさというよりは、スポーツ選手のしなやかな躍動感を連想させます。

出雲横田駅構内

斐伊川の鉄穴流し(カンナ流し)

高天ヶ原から降臨した須佐之男命(スサノヲ)は、斐伊川の上流でクシナダヒメを八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から助けます。退治した八岐大蛇の尾から出たのが三種の神器のひとつ「草薙の剣」です。出雲神話の始まりです。

スサノヲが遡った斐伊川は、鳥神山(いま船通山)から横田盆地を横切り山間を抜けると出雲平野へと注ぎ宍道湖へと流れます。

船通山

「鉄穴流し」は戦国から江戸時代頃に開発された山砂鉄の採取方法です。砂鉄を含んだ土砂を崩して水路に流します。軽い砂は流れ、重い砂鉄は底に残ります。この「水洗い」を繰り返すことで純度の高い砂鉄を採取します。花こう岩に1%以下しか含まれない磁鉄鉱を水洗いの繰返しで、磁鉄鉱の含有率を80〜90%までにあげるのです。途方もない作業です。

僅かな砂鉄の採取に、鉄穴師と呼ばれる人夫が鶴嘴などで山地(鉄穴)の土砂を崩して鉄穴新設(鉄穴懸開き)をします。それだけではありせん。水を溜める堤(貯水池)、数キロメートルにわたる鉄穴井手(水路)、鉄穴崩し場の造成、走り、足水、精洗場、小鉄置場、石ばね場、鉄穴師居小屋の造成、流し子など多くの労力がかかりました。もちろん働き手だけではありません。彼らや家族に生活用品を提供する店や人もいれば飲食店もあります。

集めた磁鉄鉱を「たたら炉」で精錬し、鉄をつくります。百人から二百人の働き手がいます。砂鉄や鉄を運搬する働き手もいれば、買い求める商売人を泊める宿も出来ました。

このあたりの説明は奥出雲横田の「たたらと刀剣館」を是非見学してください。

「奥出雲たたらと刀剣館」展示品

どんなに水洗いしてもこぼれ落ちる砂鉄があります。川へと流れた砂鉄を採取する人もいました。

出雲横田駅からまっすぐ歩くこと五分のところを斐伊川が流れています。

川幅十メートル、深さ三十センチほどの川を木材で堰止めし、たまった砂と砂を傾げた分離箱に乗せては水を掛けて砂鉄と砂を選り分けます。これも気の遠くなる仕事です。

小学生の私たちは堰き止められた川下で、ハヤやウグイを手掴みして猫柳の枝に刺し、父やこの労働者の酒の肴とあげました。

斐伊川の砂地に行けば今でも砂鉄を見ることが出来るでしょう。磁力の強い磁石を投げてみるのも、藤ヶ瀬山からする蜩の鳴き声を聞きながら砂鉄と戯れるのも一興でしょう。

斐伊川から丁度、船通山を眺め見ることが出来ます。お盆の頃なら両岸に咲き乱れる黄色の花・月見草があなたを幻想の世界へと誘うことでしょう。

斐伊川

流れた砂はどうなるのでしょうか。

多量の砂が川に流され、下流地域の川床が高くなり天井川となって洪水の原因になります。そのためカンナ流しが松江藩の御達しで禁止になることもありました。

有吉佐和子著『出雲の阿国』(中公文庫)の最後、出雲阿国が田部家(三大鉄師のひとつ・吉田町)からの褒美にカンナ流しの中止を願うシーンがあります。

田部家の藏群

鉄を打つ響き・鍛冶屋

「刀はうたねど 大鎌小鎌 馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ) 鋤(すき)よ鉈よ 平和の打ち物 休まずうちて 日毎に戰ふ 懶惰(らんだ)の敵と」(童謡『村の鍛冶屋』三番)

鍛冶屋を見かけることもなくなりましたね。

燃える意志のような赤鉄、独特の鉄の焼ける匂いと重厚な打音、見ているだけで感じる喉の渇きに痺れだす手首の感覚、えも言われぬ赤黒き炎、それらすべてが鍛冶屋であり、「近づくな!」と飛ぶ叱責と「怪我しちゃいけ」とそっけない労わりが包み込む。

でっかいアルミの薬缶に湯呑と塩の入った壺。神棚の下に掛けられたよれよれの手拭に毛皮。

そこは『南総里見八犬伝』に登場する刀・村雨丸(むらさめまる)のような「抜けば玉散る氷の刃」という名刀とは程遠い耕作と工具の鍛冶屋の世界です。

ややエロい描写のある『眠狂四郎』を読み、『赤銅鈴之助』『矢車健之助』や『隠密剣士』を見て育った世代には、『るろうの剣心』世代とは異なる「日本刀」への擬人化された魔剣・邪剣崇拝もあったのかもしれません。

村雨丸とは、抜けば刀のつけ根(なかご)から露を発生させ、寒気を呼び起こします。使い手の殺気や邪気が高ぶれば水気を増し、人を斬ると勢いよく流れだした水気が刃についた鮮血を洗いおとす、そんな妖刀。

もしかすると深夜に刀を打っているのではないかと想像することさえありました。しかし、翌日、朝早く覗いてもいつもの変わらぬ鍛冶屋が、いつもと同じように鉄を打ち、お百姓さんが持参した鍬の柄にはめ込むのでした。

奥出雲を、吉田町を、そして中国山地の麓の小径を歩くと聞こえてくるはずです、『村の鍛冶屋』の歌とともに鉄打つ音が。

循環農業と仁多米と仁多牛

山を崩して砂鉄を採集するには多岐にわたる労働と事の大変さをお伝えしましたが、どのくらいの山を崩したのでしょうか。

一回のたたら製鉄に使う10tの砂鉄を採掘するには1,000㎥もの山を崩します。それが繰返されるだけならば荒涼とした台地が広がったことでしょう。人びとは、切り崩されたあとを棚田に再生したのです。食の獲得です。

棚田の中に小山があります。これは鎮守の杜や墓地など神聖な場所は削らずに残したのです。風習文化への尊厳と祖先への敬愛を大切に守ったのです。もし、資本主義という生産の原理が先行したのなら、こんな無駄なことはしなかったでしょうし、田んぼへの再生という考えも思いつかなかったことでしょう。

こんな土着信仰を守り続けた風景を棚田とともにお楽しみください。

鉄穴残丘
棚田

鉄製品の運搬や農耕用の牛や馬の糞や山草は、有機質堆肥として水田に撒き『仁多米』を生産し、資源循環型の農業システムが営まれました。また和牛改良を重ね現在の「奥出雲和牛」の基礎を築きました。

たたら製鉄に関わる産業が連携して美味しい食を提供するのです。中国山地の田畑の風景を楽しみながら、美味しい食の味もご堪能ください。

煮しめ

森林との共存

たたら製鉄に必要な木炭を焼くため、山林は大規模に伐採されました。只切るだけではありません。永続的に炭焼きができるように約30年周期の輪伐を繰り返し、循環利用してきました。

年間110haの森林が必要です。持続的にたたら製鉄を行うためには、110ha×30年で3300haの山が必要となります。山も計画的に伐採し植林することで持続できたのです。

櫻井家可部屋集成館

おわりに

たたら製鉄は鉄製品や鉄製造の過程だけでなく、山を崩して砂鉄を採集するとともに棚田に再生する。森林を伐採してたたら製鉄に必要な炭を生産するとともに計画的に植林する。運搬用の牛馬の糞の再生と品種改良。その結果として誕生した仁多牛と仁多米。「人と自然」とが共生する産業でした。

このように、たたら製鉄は製造過程だけでなく自然との共存の中にも見つけることが出来るのです。

たたら製鉄に関わる多くの物・行為・営為は、中国山地の大自然と人間の英知が創り出した田畑や路に、自然との共生の音として、光として、匂いとしてしみ付いているのです。

皆様の五感で大きな意味での「たたら製鉄」に触れてみましょう。たたら製鉄を自然との出会い、食との堪能からでも楽しんで下さい。

音の提供:

   © Sound in Nature / Image Factory

 

→「五感で感じる、島根の旅」に戻る