-闇は灯を際立て、やがて思い出は闇に焼失す-
お城とお堀を燈籠で彩とる「松江水燈路」。2023年は9月と10月の週末を中心に、松江城と城山公園、お堀に沿った塩見縄手、そして堀川遊覧船で開催されました。
燈籠や光のアートで織り成す幻想的空間のなかを、一筋の軽やかなジャズミュージックが縫っていきます。足どりだけでなく、心の灯もスイングしていることに気づくでしょう。
期間限定のイベントです。島根旅行を検討される皆様は、事前に調べ、参加されることをお薦めします。
例えば、今回はこんなひとり旅でした。
出雲大社に隣接する『古代出雲歴史博物館』での撮影を終え、出雲大社を参拝しました。次どうするか。仕事が片づけは気ままなひとり旅。日御碕灯台まで足を延ばすか、参道の喫茶店で珈琲を飲み、少し早めに今宵の宿、松江しんじ湖温泉の旅館に行き、働きずくめの身体を露天風呂で癒すか。
出雲大社の参道は人であふれ、喫茶店にも行列ができています。中井貴一主演、映画『RALWAYS』の舞台となった一畑電鉄の出雲大社前駅のベンチで、まだまだ強い太陽の輝きを避けています。そんなとき、皆様も体験されたことがあると思いますが、忘れた人や思い出が大波となって、あるいはさざ波になって打ち寄せることがあります。今見る景色を払いのけるようにして。
そこに「きみ」はいないけど、「きみ」に会いたくなります。きみの生まれ故郷ではないけれど、なんとなくこんな町に生まれたのではと散策するように。迷い込んだ路地裏で、見たこともないきみの生家を想像するように。ここが大切な人が暮らしていた町に見えてくることさえあるのです。
雲州平田の『木綿街道』、昨年も取材で訪ねました。
コインロッカーからキャリーバッグを取り出すとホームへと走ります。まだまた日は高く、思い出に佇むには早すぎます。ところが、車窓に手を置き眺めるうちに眠ったのでしょうか、気がつくと雲州平田駅。羽田空港7時発の飛行機に乗ってきた身体は、君の面影を追うことより、露天風呂でまどろむことを欲したのです。
ひとり旅の気まぐれ、デラシネさ。予定は直ぐに塗り替えられて新しい予定が進みます。旅館のチェックインには早いけど、松江しんじ湖温泉駅の前にある「足湯温泉」で、暫し読書でもと目を閉じました。
松江しんじ湖温泉駅前の足湯温泉
「起きてよ。聞こえるかな。会いに来て」。そんな電車の振動です。宍道湖の湖面が反射します。
君も見ただろう宍道湖の水面。赤尾の豆単、赤チャート、ざら半紙に刷られた例文、君がいつも手にしていた文庫本のことを思い出します。
ひとり旅はセンチメンタルにし、刹那主義にもします。そして孤独にします。君は見ているのでしょうか、こんなに老いた姿を。
旅館のロビーに貼られた一枚のポスター、「松江水燈路」。
遊び過ぎてひとり帰る小径の星明り、悲しくて歩き続けた月明かり、突然君に会いたくなって出掛けた雪明り、田んぼの彼方に見える町灯、夜行列車から見た家灯、そして旅先の民宿で見たともし火。
巷の街灯や軒灯、紅灯、法灯、あるいは門灯に行燈、祭礼に関わる神灯、常夜灯、灯明に篝火、それとも波間に揺れるいざり火、漁火、魚灯でしょうか。
松江城周辺の「水燈路」の燈籠の灯は、町やお堀の闇にとけ込んでどんな灯になるのでしょう。
蝋燭の芯の燃えるパチパチの音は聞こえるのでしょうか。夏の残り風に乗って蝋燭の微妙な香りもするのでしょうか。『牡丹燈籠』のように手招いてくれるでしょうか。
季節的に浴衣姿の君はいなくても、夜店からイカ焼きの匂いとともにカーバイトの香りが流れて来るでしょうか。闇にとけ込んだお堀の水面に燈籠の灯と一緒に君の面影が流れることでしょうか。
北惣門橋
一年でこの時だけ、船上から灯に照らされる堀端や鎮守の森を眺めることが出来る『堀川遊覧船夜間運航』が行われます。ふれあい広場乗船場と大手町広場乗船場間を結んで。
昼間なら船頭は一人の遊覧船。夜間は前後二人で安全管理。お客も極端に少なくして、小さな子供連れの母親三組との同船。「おじさん、寂しいの」。寡黙さに気遣う幼子に微笑んだ。
初めてのデートに君は小さな弟を連れて来た。父親の二人目の継母と仲が悪いのと呟いたのは、船首の先に広がる闇に閉ざされた城山のベンチでした。
「小泉八雲は卑怯よ」。読書会での君の発言だった。船の先に、その小泉八雲の記念館と旧居が佇んでいます。ここから燈籠の灯が流れます。
子どもを連れた母親の横顔に寄り添う翳が君に見えます。まさか水あめを求めて来たのではないでしょうね。(小泉八雲『怪談』「飴を買う女」)
塩見縄手の武家屋敷通り。ライトの壊れた自転車に君を乗せ走りました。あのころ、ここは真っ暗でした。松の大木の陰で震える君の唇に触れた時、ロングピースって甘い薫りねって君は俯いた。
思い出でしょうか、それとも憧れだったのでしょうか、もしかすると片思いの夢想でしょうか。どちらでもいいのです。ひとり旅の創り物語でも。戯言でも、嘘でも。
赤く照らす燈籠に酔ったかもしれません。それとも貼り付くような闇に心を託したのでしょう。
ドラマにもよく使用される木造の「宇賀橋」。端から端まで誰ともすれ違わずに歩けたら・・・。そしたらなに。大学に行っても変わらないでください。少女と少年のままごとのような恋話だった。口にする言葉に酔っていた。未来に夢と憧れを抱いていた。そして、何度も何度も二人で渡りました。
燈籠の灯と思い出を頼りに歩きます。何度も渡ったことでしょう。三年間暮らした青春時代、仕事で訪ねるようになってきたときに。誰と渡ったか忘れました。
ちょっとした段差につまずきました。人生では沢山つまずいたというのに、ここでは初めて。つまずきは心に重く落ちていきます。
幼い弟との三人デートの次の日、君は左頬を腫らしてきましたね。それからデートは部室と学食になりました。そして新しく出来た県立図書館。
灯に誘われて歩きます。
お堀の水面に映る灯はなんでしょう。虚像でしょうか、幻想でしょうか、それとも忘れられない思いでしょうか。
灯籠
塩見縄手の通りと違って城山公園の灯は、点から点への連携から面の織りなすスペースへと様変わりします。見せ方にも工夫がなされ、思い出を辿った通りと異なり、未来への飛び立ちのように華やいで感じられます。
過去と未来。そこに存在する現在のひとり旅。恐る恐る踏み入るように石段を踏みます。灯の交わる光の帯を手さぐりに進んでいきます。
松江城石段
もしきみが来ていたなら、きみは誰に出会ったのでしょうか。きみは何を見たのでしょうか。そうではなく、漆黒の闇にきみは何を映したのでしょうか。
光の帯に立ち切れた闇、燈籠の灯に穴開けられた闇、喧騒に揺れ動く闇、そんな闇に居場所を求めて飛び込む光の粒子。それがきみの思いなら、この漆黒の闇にまだ思い出がきみと一緒に残されている。
松江城屏風燈籠
「松江水燈路」は限定された時期の灯と闇と水面のイベントです。計画された旅行時期に運よく遭遇されたら体感してください。今回は18時から開催で、送迎バスがありました。
暮れる前から松江城やその界隈を散策されるのも旅の楽しい思い出になります。また、この話のように、貴方の思い出を、あるいは創作を、燈籠のつくる怪しげな雰囲気に混ぜ合わせ、幻惑の世界を彷徨うのも、旅の楽しみ方です。
高校の三年間、この町で下宿生活を過ごし、旅立った長い年月。翌日が、旧友たちとの同窓会です。そんな前夜の「松江水燈路」、思い出は深く燈籠の灯に交じり合い、心を震わす時となったのです。
灯は、見送る別れというより、出会いの迎えの代名詞だと思います。あの灯に向かって進めば村があり、家族がいると漕ぎ進める漁師たち。黄色い月見草の咲く小径の先に赤く手招きする灯に微笑む農民たち。君に会いたくて、君に詫びたくて手をすり合わせする灯りは、無償の愛さえ超越した真の吐露。
山頂から眺める百万ドルの灯も美しく、深夜高速道路から見る工業地帯の灯も美しい。でも今宵見た、連なって咲く曼珠沙華のごとき燈籠の灯は、美しいというのではなく、淡く残る思い出に語りかけ、思い出を美しくするのでした。
この旅にも新しい出会いがありました。その思い出もいつか燈籠の灯となって迎えてくれるでしょう。再会が誤解を紐解き新しい灯となって照らすことでしょう。
「松江水燈路」。来年、再来年、お出かけください。また灯や光の織りなすイベントにもお出かけください。
その夜、晩御飯を食べそこね、宿の近所のスナックで懐かしい歌をリクエストし、青春のはかない思い出を噛みしめました。それを松江の新しい味として思い出にとどめます。
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