-変わらないものはないと教えてくれた・女ひとり旅-
別れは哀しく辛いもの。そんな別れを織り込んだ物語や詩は数限りない。今も私の横を別れの歌が流れていく。どうして、どうして、どうして、ひとは幸せになりたいのに別れという悲しみに寄り添うの。幸せを強く感じたいからなの。違うよね。悲しみも失いたくないの。心に残しておきたい別れや悲しみ。辛くてもそれはそれで幸せな思い出。そういえば、「幸せ」は「辛い」という字に似ているね。
ねえ、貴方、聞こえますか? 私の足音が、私の息遣いが、そして私の鼓動が、みんな聞こえますか。私も来ました貴方が来たという「黄泉の国」の入り口「黄泉比良坂」(よもつひらさか)に。
この島(オノゴロ島)や八百万の神々を、そして生命の息吹を成された(造られた)伊弉諾尊(いざなぎのみこと・男神)と伊邪那美(いざなみのみこと・女神)の夫婦神。(『古事記』『日本書紀』より)
※詳細は当サイトの『出雲神話と神々』をご覧ください
イザナミは火の神ヒノカグツチを産んだために女陰(ほと)を焼いて亡くなりました。神様も永久不滅ではなかったのかしら。いいえ、違います。怒りにヒノカグツチを切ったイザナギはイザナミを連れ戻しに黄泉の国を訪れるのです。そこにイザナミはいました。
会えることなら会いたい、触れることが出来るなら抱きしめられたい、お話しできるなら「好きです」と伝えたい。
黄泉の国の入り口でイザナミに出会ったイザナギは、「帰って来てほしいと」と乞うのです。美しき妻のイザナミは「もう少し早く来てくれれば」とつぶやき、痛いほどに見つめるイザナギに応えます、「黄泉の竈で炊いたご飯を食べてしまいました」。貴方の元に帰りたいのに、貴方が来るのが遅いから、もう貴方とは暮らせないという意味でしょう。責められるのも責めるのも辛い、愛し合っているのに戻れない道。イザナギの苦悶の顔に耐えられなかったのでしょう、あるいはもう一度イザナギと暮らそうと決意したのでしょうか、「黄泉の国の神様に話してきます」と微笑んだのです。そして一言、注意します、「その間、けっして洞窟を覗いてはいけません」。
天の浮橋での果てることのない交わりを思い起こして待ったのです。でもイザナミは帰ってきません。
貴方も私を待ってくれました。携帯電話も普及していない頃の話。銀座四丁目の時計屋さんの前で。歩行者天国も終わり車が走り出しても、冷たい雨が雪になり、ショウウィンドウの灯さえ消えても貴方は待ってくれました。そこから十分ほどの皇居の前のホテルで抱かれる私を。
待ちきれなくなったイザナギは洞窟に入ったのです。
貴方はどうして「待っていて」と言った私の嘘を信じたのですか。私には断ち切れない関係があることに。夜になると貴方の知らない世界に生きる女でもあることに。それとなく告げたのに、来るまで待つと微笑んだ貴方。
洞窟の奥で見たものは、身体の至る所に蛆虫(うじむし)がたかり、八種類の雷(いかづち)が頭・胸・腹・陰・両手・両足に絡みつかれたイザナミです。恐ろしくなったイザナギに、イザナミは「恥をかかせましたね」と激怒し、逃げるイザナギを醜女(しこめ)ヨモツシコメなどに追わせたのです。
黄泉の国とこの世の境の黄泉比良坂で、麓の桃の実三個投げて撃退したイザナギは大岩で蓋をしました。千引(ちびき)岩。永遠の別れ。
貴方を見ることも、話しかけることも出来なくなった。貴方は私を責めてはくれない。罵倒されれば楽だった。「そうよ、私はそんな女」って、EVEの紫煙をふかしたかしら。ロングピースのお似合いな貴方に。そして、そして、貴方を断ち切れたはず。
島根がこんなに近いとは思わなかった。東京(羽田空港)から島根(出雲空港)まで飛行機で一時間と少し。出雲空港から空港バスで松江駅に向かい、JR山陰本線で二つ目の「揖屋」まで約一時間。駅から徒歩かレンタル自転車。出雲大社にも、松江城にも、安達美術館にも寄らずに黄泉平坂坂に来ました。
貴方に会うため。貴方を探しに。
あれから沢山の月日が流れましたね。貴方は信じてくれないかもしれない、肌も重ねても誰も愛さなかった。
貴方がくれたテレホンカードをお守りに頑張りました。返済が終わり両親を見送ると鏡のなかに輝きを失くした女がいました。こんな私なら誰も相手にしてくれないはずですね。
変わらない静かな日々が過ぎ、スケジュール帳も何冊も替えました。いつのころからか、見ることもない映画をバックミュージック替わりに流す癖がつきました。私のいない物語の世界に佇んでいたかったのです。そんなつもりで北川景子主演の映画『瞬(またたき)』を流したのです。恋人と花見に行った帰りに交通事故に遭い一人残った女性(北川景子)、記憶喪失の中で記憶を真実を求めて行動を起こすのです。北川景子が来たところが、ここ黄泉平坂坂でした。私の心の弧線が久しぶりに揺れたのです。せつなさが、捨てたはずの心が、失った出会いが蘇ったのです。会いたい。
貴方に会いたくなった。美容室やエステに行き、はじめてネールもしてもらい、貴方が昔に好きと話してくれた黒のタイトスカートも買いました。すこしだけ笑顔を取り戻した私は、昔の知人に貴方のことをたずねたのです。知らなかった。私が退社すると貴方も辞めたことを。そして誰とも連絡を取っていないことを。
ただひとり貴方の友人が知っていました。でも、ずっと前のことです。貴方は大学に戻ると古代史の勉強をはじめたのですね。あんなにプロモーション企画の仕事が好きだったのに。もしかすると島根にいるのではと教えてくれました。「会いたい」というと「君が彼をつぶした」と優しく叱ってくれました。愛されていたのですね。そこまで愛されていたのですね、私は。
黄泉比良坂には「天国への手紙」を投函する手作りの木のポストがあります。投函された1年間分の手紙が毎年6月にたき上げられます。その時、許可を得た手紙の何通かを読み上げるそうです。そばに紙と鉛筆がありました。私は書きません、だって貴方と私はまだこの世にいると信じているから。でも公衆電話があったら、貴方に頂いたテレホンカードで掛けたでしょう、まだ局番が三桁のご自宅の電話に。
黄泉比良坂でイザナミとの永遠の別れを決めたイザナギは、血で汚れた身体を洗います。左の目を洗いて成りし神がアマテラス、右目を洗いて成りし神がツクヨミ、次に鼻を洗いて成りし神がスサノヲ(素戔嗚尊)。
アマテラスの支配する天上界で大暴れしたスサノヲは追放されると、奥出雲の地で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して助けた串稲田姫(クシイナダヒメ)を娶り、妻神のために大きなお社を造ると日本最初の和歌をお詠みになった、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」。正義心があり博識で愛妻家なのですね。
柴犬のような貴方は自分のことを「マザコン」とよく言っていました。それが新人の私には物足りなかった。でも貴方の同僚はご存知でした、事なかれの上司に盾を突き独走することも、短歌か趣味で小さな手帳を所持していることも、そして何よりも地位に対して無欲であることを。
参拝者の邪魔にならないように隅に佇むと、自然と身体が揺れました。朝一番の飛行機で少し眠いのかもしれません。それとも、ここには「別れ」というさざ波が打ち寄せているのでしょうか。
寄り添う岩の間から風が流れてきます。擦れ合う木々に林が泣き、池の水面が波立ちます。明るかった日がかすれ、土を掘り起こした匂いがし、空気が湿り濃くなりました。貴方は生きているの。貴方は待っていてくれるの。そして会えるの。
愛って瞬間の心の蠢きなの。それとも永遠へと続く心の安寧なの。あるいは成就してこそ認められる心なの。
イザナギはイザナミと決別した後にも、ひとりで神をお成りになられる。黄泉の国に閉じ込められたイザナミはどうしたのでしょうか。互いに新しいパートナを見つけたのでしょうか。それとも自然の摂理に朽ち、神として成就したのでしょうか。
やがてスサノヲが母神を慕って黄泉の国へと旅立つのです。
黄泉比良坂からゆっくり歩いて20分の揖屋神社を訪ねました。そこは黄泉比良坂で体感した風や湿り気や空気の密とは違う静寂さに包まれています。
数十年ぶり会った友人は、「なぜ、いまさら」と首を傾げました。子供も大きくなり再就職し、働くことや会社の飲み会が楽しいようです。昔に比べると静かな飲み会で物足りないけど、それが家庭もちには程よい時らしい。心に深入りしないフラットな飲み会。そうかもしれない。でも私はあの頃の貴方たちの豪快な飲み会が好きです。あんなことさえしなければ、私は貴方のそばにいれたのに。私にはお金が必要だった。
神々の国・島根に来て最初の参拝。手水屋で清め鳥居の前で一礼。
痛い。
こめかみのところから熱い針が突き抜けたような感覚が残っています。一歩踏み出すと痛みが四肢を走り抜け、胸を縄で縛りあげるような波状的な圧迫感がします。入ってはいけないの。
石段の脇に座りじっと待つ、時が過ぎゆくのを。
朝まで降り続いた雪は膝まで積もる大雪になりました。恐る恐る入ったオフィスには貴方しかいない。大雪で首都圏の鉄道は止まり、道路も乗り捨てられた車と事故車で麻痺していた。遅刻や休暇の電話対応が終わったところで貴方は笑顔でおっしゃった、「どうした」。てっきり昨日の約束のことだと思った。「雪が心配で、早く出たのか」。約束を破ったことに触れない貴方。みんな知っているのに。
貴方が着ている服に気づく余裕もなかった。まさかロッカーに置かれた緊急の喪服だとは。だからネクタイをしていなかったのですね。お昼のランチで書記さんが教えてくれた。休出した貴方は退社後、深夜に戻ってきたと。警備のおじさんが、「お宅の課長は働き者だね。雪が心配で深夜に戻ってきよ」と話したそうだ。貴方は雪の中で私を待っていた。
貴方はずるい。絶対ずるい。良い子さんぶっている。良い子では生きていけない社会なのに、貴方は良い子さんでいる。それが辛かった。だから私は辞表を書いた。身体を売らなくては病気の親の借金も治療費も払えず、弟も妹も暮らせなかった。
老夫婦が手を取り合って石段を登っていく
ゆっくり立ち上がり、大きく深呼吸をする。胸を鷲掴みされたような圧迫感は消えていた。
揖夜(いや)神社は意宇(おう)六社のひとつ。残りの五社は熊野大社、真名井神社、六所神社、八重垣神社、神魂神社。あなたに会うためには八重垣神社に御参りすべきかな。それともへそ曲がりの貴方らしく神魂神社か熊野神社かしら。こんなこと言ったら神様に叱られますね。
大きな注連縄が付いた神門をくぐると広々した境内。老夫婦から少しずつ距離をとる。
本殿の左右には境内社の祠があり、右に三穂津姫神社、左に韓國伊太氐神社。正面には荒神神社、奥には火守神社や稲荷神社があります。
神社揖夜神社はイザナミを主祭神に、大己貴命(オオクニヌシ)、少彦名命(スクナビコナ)、事代主命(コトシロヌシ)、武御名方命、経津主命、そして素戔嗚尊と『日本書紀』に記載されるスサノヲの子ども神五十猛命(いそたけるのみこと)が祀られています。
イザナギとイザナミの岩を挟んだ最後の口論に、夫婦として神産みに励んだ日々の思いを感じます。
イザナミは叫びます、「こんなことをするなら、一日に1000人の人間を殺す」と。イザナギは応えます、「ならば1500人の人間が生まれてくるようにしよう」
神を産んできた二人だから分かる世代交代。二人は一緒に役目を果たしたからこそ次の世代に譲る意味を理解し、次の世代の新たな変革と創意工夫を信じたのです。
私、思います。イザナミはイザナギに、「老いた私たちは次の世代に役目を譲りましょう」と乞うたのです。それにイザナギは応えたのです、「賛成だ。老いたものは去り、熱き思いの次の世代に譲ろう」と。そのためには老いた二人は朽ちることを選択したのでしょう。
陰湿な黄泉の国に住み、醜くい姿で残虐な心を持つイザナミを主祭神として祀るのは、イザナミが黄泉平坂坂で、次の世代による新たな国造りのビジョンと戦略を示した神だからではないのでしょうか。その証しが、スサノヲ、オオクニヌシ、コトシロヌシという新たな世代神を合わせて祀る意味だと思います。
ジェンダー論ではありませんが、不当に醜く描かれる女神イザナミは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれない。女になるのだ」(第二の性)で解釈すれば、執着する女、嫉妬深い女、我儘な女、そして待つ女、従順な女にしたかったのです。本来のイザナミは、産みを成したなら、次の世代への交代を必要とした革新的な考えをもつ神なのです。それが新たな国造りでした。
貴方もそう思うでしょう。イザナミは新しい国造りに、そして真の心を知る意味で祀らなくてはならない神様なのです。黄泉平坂坂は醜い口論の場ではなく、イザナギに次世代への交代こそが国造りだと伝えるこの身をかけた場でした。
出雲國風土記の神話
辞表を出した日、初めて二人で飲みにいきました。理由を尋ねない貴方。私も話したくなかった。貴方といるだけで心がポロポロになってしまう。永い、永い沈黙が過ぎました
沈黙を破ったのは貴方だった。高校時代の寮生活のお話でした。高校に入るまで地元では鶏の卵を食べなかった寮生がいたと。「そんなの嘘よ」と貴方の瞳を見つめた私。はじめて見つめ合った。
揖屋神社から中海を挟んで反対の島根半島にある美保神社。ここに祀られるのが大国主命(オオクニヌシ)の子ども神の事代主命(コトシロヌシ)。
事代主は小舟で中海を渡り揖屋の三嶋溝杭姫命(みしまみぞくいひめのみこと)に夜な夜な通い、明け方になると美保の社にお帰りになっていました。ある夜、夜が明ける前に一番鶏が間違って刻の声をあげたのです。寝すぎたと事代主は慌てて舟をこぎ出し、あせったばかりに櫂を流してしまい、足で掻いたのです。その足をワニ(サメ)に噛まれてしまいます。やっとの思いで美保に帰り着いた事代主は、そこで正確な刻をつげる鶏の声を聞き、激怒したのです。以来鶏を忌むべきものとし、美保関の人は鶏肉、鶏卵を食べず、鶏を飼うこともしなくなりました。(小泉八雲の随筆にもあります
「食べないなんて嘘よ」
否定した私に貴方はおっしゃった、「嘘でもいいじゃないか、たとえ食べていたとしても、僕は、生活に生きる神話の話を信じてみたい。それに今でも祭事の当屋になると一年間、口にしないそうだよ」
貴方は嘘でも信じると。信じてもいい嘘があると。ひとは嘘をつかなくてはならない場合があると。貴方は、八岐大蛇退治、稲羽の白兎、国引き神話を話してくれましたね。そして、神話に生きる生活を嘘というよりは、神話の中にも真実や真心があると、それを見つけるのだとお話しされた。
「嘘をつかなければならない理由がある」。私の事だったのですね。
本殿の斜め正面に、「荒神社(祭神・スサノオ)、大蛇神(チイナマイト)」の看板の立つ、木に大蛇に似せた藁を巻いた祠があります。
かまどの神として台所に祀られている神様、「荒神さん(こうじん)」でしょうか。荒神様は日本の神様で三宝荒神(さんぽうこうじん)とも、また荒ぶる神の一神としてスサノヲ(素戔嗚尊)の子神とも言われています。
スサノヲを祀る京都の八坂神社。艶やかや祇園祭は、鉦の音で疫病神をおびき出し、スサノヲが退治します。荒ぶる神スサノヲの物語です。また大晦日から元日にかけ、「をけら灯籠」につけられた火を藁につけた「をけら火」を、くるくる回しながら家に持ち帰り、神前の灯明や雑煮を炊く火種とする行事があります。残った火縄は台所に祀り、火伏せ(火難除け)のお守りとします。なにか根本的なことが似ていませんか。
※【神話と神々】全国の出雲の神々:二十回 出雲国を造りし神々が守る古都・京の街
揖屋は静かな通りです。九号線を進み松江に向かうことも考えました。中海沿いにタクシーを使って美保関に進むコースもあります。また安来の駅から足立美術館もあります。暫く考えましたが、貴方が話してくれた「国引き神話」の意宇(おう)の杜に行くことにしました。ここにも貴方が伝えたい神話に隠されたメッセージがあるのでしょう。
イザナギとイザナミの永遠の別れは醜きことによる憎悪ではなく、次の世代へのバトンタッチの儀式だとすれば、黄泉平坂坂で感じた風の意味は知らず知らずのうちに変わっていくことなのですね。
最愛の人を失った人が黄泉平坂坂に来るのは、別れが悲しいからでも、思いを断ち切れないのでもないのです。ここにくるのはもう一つの生きる道を見つけているのです。それを心に染み入るために来ているのです。
ここには亡くなった人はいません。貴方もいないのです。風になって神々の国を飛んでいるのです。八百万(やおよろず)の風になって至る所を飛び交っているのです。あの草木にも、そこの石にも、そして砕け散る波しぶきにも、もちろん青空にも、雨粒にも、霧にもいるのですね。
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし」 (鴨長明『方丈記』)
変わらぬもののない世界にあって、その朽ちることを嘆くより、むしろ変わることを喜び迎えることが心の支えとなりましょう。それを思えばこの一時の感情さえいかほどのものだというのでしょう。
でも、凡人の私は言うの、貴方に会いたい。貴方に会って謝りたい。そして許されることなら残り少ない人生、貴方を見つめて生きていきたい。だから私は来ました、貴方がいるという出雲國に。
■ 黄泉比良坂 島根県松江市東出雲町揖屋 JR揖屋駅より徒歩20分 ■ 揖屋神社 島根県松江市東出雲町揖屋229 TEL:0852-52-2043 JR揖屋駅から徒歩10分
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