• ~旅と日々の出会い~
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10 ネクスト『ばけばけ』、小泉八雲・セツの東京散策

風に吹かれて、雑司が谷(池袋)から大久保(新宿)へ

最後の地・舞台東京は池袋と新宿

今年の2026年3月末、熊本で終焉をむかえるNHK朝ドラ『ばけばけ』。しかし、モデルとなった小泉八雲とセツは神戸を経由して東京へと向かい、ここで二人の人生は終焉を迎えます。
今回の「五感で感じる、島根の旅」は、島根ではなく東京の散策を通して、小泉八雲が島根で成した「日本の心」の旅の終わりを感じてみます。

熊本以降の簡単な流れです。詳細は各書籍をご覧ください。

1891年1月、熊本市の第五高等中学校(熊本大学の前身校。校長は嘉納治五郎)に英語教師として転居。

1893年  長男・一雄誕生。

1894年  神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居。

1896年  東京帝国大学文科大学の英文学講師に就職。日本に帰化、「小泉八雲」。牛込区市谷冨久町(現・新宿区)に転居する(1902年の春まで在住)。

1897年  二男・巌誕生。1899年  三男・清誕生。

1902年 西大久保の家に転居する。

1903年  東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)、長女・寿々子誕生。

1904年 早稲田大学の講師。

1904年9月26日 狭心症で自宅にて死去。満54歳没。墓所は雑司ヶ谷霊園。

1914年 田辺隆次が著した『小泉八雲』にセツの八雲との思い出をまとめた「思い出の記」が収められ出版。

1932年2月18日 64歳で死去。墓所は小泉八雲と同じ雑司ヶ谷霊園。

物語の舞台は、二人の最後の地となる新宿の旧居(西大久保)と小泉八雲とセツの墓のある雑司が谷霊園です。あわせて雑司が谷と西大久保周辺の風景や文化も紹介します。
下町と昭和の面影が残る東京を風に吹かれて散策し、ちょこっと小泉八雲について、日本の過去の風景を感じましょう。

・池袋・雑司が谷霊園周辺 鬼子母神、とげぬき地蔵、都電

・新宿・西大久保の家周辺 ゴールデン街、ホテル街、花園神社、西向天神社

「ばけばけ」のポスター
はじまりは池袋

風に吹かれて散策小径(こみち)のはじまりは、JR「池袋」駅東口からです。
時間と体力に余裕があればサンシャイン水族館により魚たちと話し、展望台から富士山への流れを俯瞰するのもいいかもしれません。

とりあえず墓地の近くまで行くなら、日比谷線で隣駅の「東池袋」まで行きましょう。駅の上には豊島区の中央図書館があり、ここで豊島区のことや鬼子母神のことを調べるのもいい選択かもしれません。
池袋西武線の次の駅「東長崎」には、昭和30年代の若き漫画家たちが暮らしていた「ときわ荘」があり、その関係で中央図書館には貸出厳禁ですが手塚治虫や石ノ森章太郎等の大量の漫画本が閲覧できます。千川図書館には横山光輝の漫画がそろっています。

ときわ荘のある東長崎には、『島根国』でも紹介した出雲の神様である素戔嗚尊の妻神・櫛稲田姫を祭る長崎神社があります。出雲神話に魅入られた小泉八雲つながりで機会があればご参拝ください。

全国の出雲の神々 二回 戦後の時代を刻んだ芸術と漫画の街にある「長崎神社」

さくらトラム(都電)が好きななら都電荒川線の早稲田-面影橋-学習院下-鬼子母神」と揺られる散策もおすすめです。学生気分で『神田川』でもハミングしてください。同棲時代やニューファミリーも懐かしい響きをもって蘇ります。
あるいは、JR巣鴨駅で下車し、ご老人の原宿でもある巣鴨地蔵通りで八つ目うなぎをちょい摘まみ、赤パン買って、とげぬく地蔵にお参りした後、都電の「庚申塚」から「大塚駅前」を経由して「雑司が谷」に向うのもいいでしょう。昔なら庚申塚あたりの古本屋がおすすめで、掘り出し物の本に出くわしました。
大塚駅界隈は、かつての色町を感じる昭和の風情を残す建物と飲み屋街があります。だからでしょうか、そこから見るサンシャインシティは、セピア色の霞みがかかり「東京拘置所」(通称巣鴨プリズン)の蔭が揺らぎます。体験がなくても闇市マーケットやカストリ雑誌を懐古できるのもそのせいでしょうか。

都電(大塚駅前)
小泉八雲が好んだ墓・雑司が谷霊園 

生まれた時代や生い立ちにつつまれ、色とりどりのいろんな思い出や感慨をもって歩くのが、雑司が谷霊園までの散策小径(こみち)です。

『目標地』(あえて目標地としました)の「雑司が谷霊園」に着いたら霊園の事務所に向かいましょう。あてずっぽうで歩いては、小泉八雲のお墓を訪ねることがなかなかできません。かつて事務所には雑司が谷霊園マップの印刷物がありました。『ばけばけ』ブームの影響でしょうか、案内の図が貼ってあります。これを頼りに向かいましょう。

入口
案内図

小泉八雲とセツのお墓にお参りに行くのか、二人の墓のある霊園を訪ねるのか、それとも漠として小泉八雲の世界を垣間見るために来たところがたまたま霊園なのか、ひとそれぞれでしょう。でも、ここは公園ではなく墓地です。いろんな方が眠っています。礼はわきまえましょう。
それでも風に吹かれての散策小径は、目標に固執するのでもなく、また儀礼にこだわるのでもなく、小泉八雲を介して日本の文化・風習を感じて歩きましょう。

「外国人の旅行者にとっては、古いものだけが新しいのであって、それだけがその人の心を、ひきつけるのである」(小泉八雲)

明治という時代・文化から見れば、現代人はすこし可笑しな日本語を話す外国人かもしれません。

広くて区画整理された霊園、整然とした区切りの中に弔う遺族の個性と心が具象されます。そんな墓と墓の間の境界線はお墓の形と同じで千差万別。ブロックで明確に壁を作るところもあれば、雑木で仕切るところ、曖昧に小石を並べるところ、時の流れにまかせるところもあります。

雑司が谷駅の入り口近くにある二人のお墓。
セツの『思い出の記』のなかに、小泉八雲が好きなところに「お墓」があります。ここをお墓とみるか、町の一角とみるか、流れゆく小径とみるか、散策小径の意図にもかかわってきますが、軽く手を合わせましょう。

三寒四温の谷間の、割と温かい昼下がりでした。木立の木々はまだ目ぶることなく、枯れた草はそこはかとなく春を伝えています。歩き続けたためでしょう、ダウンコートとセーターの下にうっすらと汗をかいていました。お墓には、『ばけばけ』ブームの影響でしょうか、新しい花がさしてあります。

お墓
お墓

霊園をでると次は大久保の家の跡に向かいます。地下鉄副都心の「雑司が谷」までは五分くらい、そこから東早稲田・東新宿の二駅です。歩くのもいいでしょう。見慣れた新宿ではありません。昭和の小径が続きます。

その前に、せっかくですから鬼子母神に寄りましょう。明治・大正・昭和だけでなく、江戸から古とタイムスリップした空間が迎えてくれます。

悟りとは諦め、鬼子母神

「鬼子母神前」駅から鬼子母神堂に続く小径は「ケヤキ並木」。天正年間(1573年~1592年)に数十本の欅が植えられ、その距離は約100メートルあったとも伝えられています。古い欅は樹齢400年を超え、東京都指定の天然記念物となっています。当時は高級な料亭や茶屋が並び、茶人が句会や茶会が開かれたそうです。夕日に色を染める、あるいは夕日に緑葉や紅葉を照らした武蔵野の欅を、小泉八雲やセツも見たことでしょう。

欅の落ち葉や小枝を踏みながら境内をすすむと大イチョウに出会います。「子授けイチョウ」「子育てイチョウ」とも呼ばれ、推定樹齢700年、樹高33メートル、幹周約11メートル。赤坂の氷川神社境内の銀杏にも似ています。

鬼子母神堂の横には金剛不動尊を安置した法不堂妙見堂と帝釈天王の石像があり、裏には妙見大菩薩をまつる妙見堂があります。また一字一石妙経塔、大イチョウを囲む倉稲魂命(うけたまのみこと)を祀った武芳稲荷の鳥居。そして幕末の山岡鉄舟の碑があります。

鬼子母神の故事を思い浮かべながら暫し休憩。

永久の別れはいつかおとずれ、誰にもあること。自然な別れも、理不尽な別れも、暴力的な別れもあります。人それぞれ異なっても、いつか別れは来ます。しかし、ひとは、その別れを嘆き悲しみ、ときに運命を恨みます。分かっているが諦めきれません。でも、「諦める」しかない。それが「悟り」のような気がします。「諦める」、それは「節理」に諭されることのように思えてきます。

鬼子母神もお釈迦さんに教えられました。変わらぬモノやコトはないことを。終わりは常にあることを。そして誰にも終わりは来ることを。なによりもお前だけが特別ということはないと。

金沢の鈴木大拙記念館を訪ねたとき、展示品(数点の掛け軸)のないことに考えました。禅とは知識ではない。そして教えではない。それは自分で発見する道(径)だと。

小泉八雲が愛した日本の風土。それは宍道湖に沈む夕日のように、いつか終わりがやってきます。

「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」
朝ドラ『ばけばけ』の中にもありました。セツが語る昔話を聞き書きする小泉八雲は、怪談話の内容以上にセツの「生きた言葉」を大切にし、自分の言葉で話すように要求したのです。それはセツの心であり、セツの生きざまの写しであり、なによりもセツが育った環境であったのです。

お釈迦さんから諭された鬼子母神のように、鈴木大拙や西田幾太郎も、そして小泉八雲も、終わりというあきらめを感じていたのでしょう。だからこそ、今の自分にこだわったのです。

鈴木大拙記念館
鈴木大拙記念館の庭
松江のヘルン旧居との違い

松江の旧居は現在も存続し、ヘルン旧居として室内の見学もできます。東京の住居はありません。記念碑だけです。さらっと見学して、あとは二人の、そして日々や生活を想像しましょう。

東京に来て初めに暮らした冨久町家は、現在の成女学園で、庭に旧居跡の石碑が建っています。小泉八雲は隣の自証院(瘤寺)が好きで散歩をし、『異国情緒と回顧』にも門の写真を掲載しています。きっとこの界隈を、下駄で踏みつつ散歩したことでしょう。

大久保の旧居は、地下鉄副都心「東新宿」駅より歩いて10分ほどのところにあります。現在、区立大久保小学校正面脇に石碑が建っています。隣接して新宿区とレフカダ町の友好都市提携を記念した八雲公園があり(平成5年)、ギリシャ政府から送られた小泉八雲の銅像が建っています。

さて、新宿での散策小径はこれからです。それはモノをみるのではなく、コトを感じ、感性の世界に思い描く散策です。小泉八雲がセツの怪談話を聞きながら、訪ね歩いた日本の心を重ねあわせるのと同じです。そして、それをいつか言葉にしましょう。

といっても長い散策小径にお疲れになったことでしょう。喉も乾き、何か水分でも、一層のことビールでもと思われていることでしょう。
終点を新宿にしたのも散策小径の終わりのビールを美味しくするためです。

やはり「とりビー」(とりあえずビール)

松江の大橋川の松江大橋の北詰めに、小泉八雲がビールを求めに来た漢方薬のお店が今もあります。『ばけばけ』の中にも出てくる店で、「山口薬局」です。そこの若女将に聞くと「先代から聞いた話だ」と前置きし、「小泉八雲が裏口から買いに来た」と話してくれました。

ビールが好きで、牛肉に、バターに、卵が好きな小泉八雲。そこで風に吹かれた散策小径の終わりは、「酒」を飲みながら池袋から新宿を振り返ってみましょう。インバウンドの影響で日本の飲み屋横丁とは思えないゴールデン街で。

ゴールデン街

ところがゴールデン街が開けるのは遅いので、その前に二箇所寄り道をしましょう。ひとつは西向天神社、もうひとつは花園神社。
西向天神社も花園神社も『島根国』の『全国の島根の神々』で紹介しています。まず、そちらをご覧ください。

全国の出雲の神々 十二回 時代の先端を走る新宿の昼と夜を見てきた「花園神社」

・藤圭子の『新宿の女』

日本に来た時、ラフカディオ・ハーンはどんな気持だったのでしょうか。『古事記』を学んだといえど、「何を書くか」、「どうやって」アメリカの新聞社に売り込むかだけを考える流浪のルポライター。そんなラフカディオ・ハーンに、「なぜ書くか」を教えたのが怪談話をするセツや松江かもしれません。その集大成が『知られぬ日本の面影』で、それがラフカディオ・ハーンを作家に作り上げたのです。
ラフカディオ・ハーンが松江を通して日本の心を紹介したのではなくて、松江という町と風土がラフカディオ・ハーンに「なぜ書くか」という魂を教えたのです。

同じように新宿にはここをスタートに飛び立った人が多くいます。その一人が『新宿の女』の藤圭子です。
1969年11時8日、西向天神社をスタートに25時間、新宿の飲食店を歌いまわり、これを契機に売れなかった『新宿の女』は大ヒットします。
1960年代後半の文化の薫りのする紀伊国屋書店、中村屋、風月堂、演歌やロカビリーの新宿コマ劇場、フリージャズのピットインのある新宿東口ではありません。地下鉄東新宿駅もない、歌舞伎町のはずれの暗闇の盛り場です。
18歳の歌姫となり、やがて「なぜ歌うのか」を問い始めたのです。かつて日活ロマンポルノの大看板であった田中真理が問うた、「なぜ脱ぐのか」のように。

おなじように小泉八雲も問うたことでしょう、なぜ東京帝国大学退職したのか、なぜ書き続けるかを。

・新宿文化を支えた花園神社

前衛芝居やフリージャズ、ヒッピーに学生運動、1960年代の新宿は百花繚乱の街でした。その街に時の移ろいを眺め、やがて時の移ろいをなしてきた花園神社があります。ここには芸能神社があり、藤圭子の「けいこの夢は夜ひらく」の碑もあります。
酒を飲む前か、それとも飲んだ後、散策小径のお礼と今後の散策の無事を祈願しましょう。

さて、そろそろゴールデン街にも灯がともり待っていることでしょう。最後の締めを書き終えて、私もビールを飲むこととします。

考えること、書くということ

小泉八雲の言葉にこんな言葉があります。
「諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからないときは、いつでも机に向かって何かを書きつけるのがよい」
「文章は九回推敲する」
耳の痛い言葉です。作品を生み出し世に送るためには、深い思考と徹底した推敲だと教えてくれます。ピアノに向かい練習をする未成年の藤圭子が、日活窮乏の危機を救った若手映画監督と名もなき女優が、やがて「なぜ歌うか」「なぜ作品を作るか」「なぜ脱ぐのか」を問うようになる。

散策小径の終わりにひとつの解をみた気がします。「何を」「どうやって」するのではなく、「なぜ」するのかを考えるが大切だと。それの行き着くところに「悟り」の門が開けるのだと。

小泉八雲のギリシャ―アイルランド―アメリカ―日本という長い旅路は、東京で終わります。日本の心に接した小泉八雲は、「なぜ書くか」をこの地で問い続けたことでしょう。

終焉の地である池袋から新宿までを歩いて、ひとつの「目的」が見えてきました。最初にあえて断った「目標」の意味であります。小泉八雲を追って新宿まで散策することが「目標」ならば、この散策の「目的」は自分を見つめることであり、考え抜くことです。歩くのは、現実の「道」であるとともに心の「径」であるのだと。

帰ったら机に向かい、今日、見てきたことを考え、文字にしましょう。そして「私はなぜ書くのか」を最後に問いましょう。それが小泉八雲・セツの東京散策小径の意義のような気がします。

小泉八雲記念品

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小泉八雲「生霊」
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小泉八雲「雉子のはなし」

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