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8. 鐘は響き渡る、永井隆記念館(雲南市)【動画配信】

― 伝えられし心、「如己愛人」「長崎の鐘」―

鐘は響き渡る、永井隆記念館

シリーズ『島根の文化と歴史』
「神々の国」島根の歴史と文化を美しい自然と人とひとの出会いの物語を通して、島根の旅をお考えの皆様にお送りします。

1945年8月9日午前11時2分

永井隆著『長崎の鐘』(アルバ文庫)は、「昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのであった。」(原爆投下の日)で始まる。

11時2分、原爆搭載機ボックス・カー機から投下された原子爆弾は一瞬にして7.4万人の人命を奪い、建物の36%を焼けつくした。焦土と化した長崎の苦しみのはじまりでもある。

永井隆博士も爆心地近くの長崎医大で被爆、右側頭頸動脈切断の重傷を負いつつ救護活動にあたる。数日後、焦土と化した家に帰った永井は骨片となった妻と溶けたロザリオを発見する。9月、昏睡状態に陥った永井隆は、平和への思いと幼子を残して死にゆく現状に著作活動をはじめる。そのひとつが『長崎の鐘』であった。

1949年(昭和24年)リリースの作詞・サトウハチロー、作曲・古関裕而、歌・藤山一郎の『長崎の鐘』は、永井隆の書籍『長崎の鐘』を基とした作品である。

 (※詳細は、当サイトの同コーナー掲載のテキスト『永井隆記念館(雲南市)―伝えられし心、「如己愛人」「長崎の鐘」―』を一読ください)

永井隆博士
ロザリオ

長崎と雲南市

『永井隆記念館』は、長崎の浦上教会の近くと島根県雲南市の二か所にある。赤貧の永井隆のために皆が建てた二畳ほどの『如己堂』も、原寸のモックが雲南市にも建てられている。

長崎の長崎原爆資料館とともに、是非、両県の「永井隆記念館」もお訪ねください。また広島市の平和記念資料館や原爆ドームを訪れたなら、広島と松江を結ぶ高速バスで雲南市をお訪ねください。

永井隆が松江に生まれ、現在の雲南市で育ち、旧制中学(現在の松江北高校)まで島根で過ごした。

永井博士記念館入り口 モニュメント

■永井隆記念館

永井隆記念館は、展示場・図書館・如己堂の三か所とロビーの展示物、そして外のモニュメントや碑で構成されている。

詳細は動画でご覧ください。

如己愛人
■語り
永井隆記念館 館長・藤原重信

■制作協力
雲南市・永井隆記念館
〒690-2404 島根県雲南市三刀屋町三刀屋199-3
電話・FAX (0854)45-2239     E‐mail  un-nagai@bs.kkm.ne.jp
開館時間および休館日は直接お尋ねください。

制作 webサイト『島根国』
制作協力 株式会社オウコーポレーション

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