• ~旅と日々の出会い~

第3回配信 おすすめスポット

体験的古代史の路

佐藤雄一先生の「日本書紀と出雲」の講演をリモートで聞いた知人からメールが来ました。「古事記と日本書紀の違いは分からないが、一日で出雲神話と、その背景が理解できる本はないか」と。素人の私は知りえる知識で伝えました。神話については「古事記」になりますが、漫画のこうの史代著『ぼおるぺん古事記』(全三巻)、背景については小説家の馳星周著『比ぶものなき』。それが客観的に適切な推薦かどうかは判断しかねるので、三浦祐之先生の『あらすじで読み解く古事記神話』と上田正昭先生の『藤原不比等』(朝日選書)も紹介させていただきました。やはりと言うべきか、「漫画と小説は読んだ」とともに「島根ならどこに行けばいいか」と「出雲ひいきの推薦だな」とメールが返ってきました。佐藤先生の「中央の視点、地域の視点」を概要だけ真似たのかな?

答えは一つ、出雲大社に隣接する『古代出雲歴史博物館』。旅行と言うとついつい過密計画を立ててしまい、見学に時間を要する博物館とか美術館は避け気味です。しかし『古代出雲歴史博物館』は是非、観覧してもらいたいところです。ここに出雲の古代(それだけではありません)が集約されています。(集客のために、縁結び空港からマイクロバスをだしたらどうだろうか)

『古代出雲歴史博物館』内

検索した友人は、すぐには島根に行けないので(コロナ禍)他にもないかと、できうるなら自然と共存する施設が望ましいと。積極的なメールが返ってきました。

それならば、銅剣358本が発掘された荒神谷遺跡の『荒神谷博物館』、銅鐸39口が発掘された加茂岩倉遺跡の『加茂岩倉遺跡ガイダンス』が最適と伝えました。出雲国の古代史を知ってもらうには最適だと判断した次第です。それに「出雲ひいき」と言った彼の意識をあらためるにはいい機会です。二つの遺跡発掘は従来の古代史研究を根本的に変えたと追記しました(二つの発掘前の古代史の書籍を読めば、出雲が如何に無視された存在か分かるだろうと)。ということで、今回は『古代出雲歴史博物館』の周辺と、『荒神谷博物館』、『加茂岩倉遺跡』を紹介します。


日御碕神社と日御碕灯台(日本遺産「日が沈む聖地出雲」) 『古代出雲歴史博物館』
自然のなかの博物館『荒神谷博物館』、『加茂岩倉遺跡ガイダンス』 

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日御碕神社と日御碕灯台(日本遺産「日が沈む聖地出雲」) 『古代出雲歴史博物館』

さて、「国譲り」か「制圧」か、古代の謎は沢山あります。しかし平安時代の杵築大社(出雲大社)は日本最大の木造建設でした(平安時代の貴族の子供が学んだ『口遊』より)。それを裏付ける遺跡や資料が、古代出雲歴史博物館には展示されています。推定約45メートルの本殿の縮小模型の数々(現代建築者の分析による)、それを根拠づける発掘された巨大柱の顕現(けんげん。直径1.35メートルのスギを三本束ねた柱、直径約三メートル)。遺跡を裏付ける千家国造家につたわる神殿を描いた図など。あらためて出雲神話のスケールの大きさに驚きます。また古代史をひっくり返す発掘ともなった荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の銅剣・銅鐸(国宝)も展示されています(展示内容についてはwebサイトでご確認ください)。当サイト『島根国』の『古代史の小径』の「小径①」もご覧ください。

ゆっくり見学して頂きたい博物館です。

さて、出雲大社参拝とともにお薦めが日御碕神社と日御碕灯台です。

■日御碕神社

日御碕神社

日御碕神社は、出雲大社の前からバスで30分弱、帰りの便も定期的に通っていますが事前に確認してください。レンタルサイクルもあります。ただ坂道が多いので電動式自転車がお勧めです。

日御碕神社は、『出雲国風土記』で「美佐伎社」と記載されています。下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の二社からなり、「神の宮」にスサノヲ(素盞嗚尊)が祀られています。松林の合間に見える神社の朱色に荘厳さを感じます。

■経島(ふみしま)

さて、ここまで来たのですから少し足を延ばして日御碕灯台まで行きましょう。

坂道を海岸沿いに歩くと経島(ふみしま)が見えます。小さな無人島で、形状が「経典」を積み重ねたように見えるからついた名前です。経島はウミネコの繁殖地で、2月下旬頃から数千羽飛来し、7月頃に飛び立ちます。

経島

■日御碕灯台

やがてお土産屋さんの通りに出、イカ焼きの美味しい香りが潮風にのって流れてきます。サザエのつぼ焼きもたまりませんね。車や自転車を運転しないならばビールも欲しいところです。

前方に白い灯台が現れます。明治36年(1903)に設置された「出雲日御碕灯台」です。高さは日本一で43.65m、海面から灯塔までは63.30mです。内部に163段のらせん階段があり、展望台へ上がることができます。展望台からの眺めは絶景で、「島根県民歌」通りのパノラマです。また岩場に沿って散歩道があり日本海の青い海原をご覧頂けます。この一帯は日本遺産の「日が沈む聖地出雲」です。

日御碕灯台

■海底遺跡

近年、話題になるのが日御碕の沖合で発見された海底遺跡です。人工的に岩を削った祭壇のようなものもあり、ダイバーにとって人気のスポットです。自然と文化の織り成す不思議な世界です。

シマネミコーズからの一言
荒神谷遺跡の近くに湯の川温泉と玉造温泉があるの。お肌にもよく美肌になるって言われている。美肌日本一の島根県だよね。でも、それだけではないの。長旅に疲れた身体にも、関係に気遣った心にも効くわ。私、ときどき出かけるよ。そうよ、ずっと昔からあったわ。いろんな逸話や神話もあるの。島根国の人に早く紹介してほしいな
ウサッピ

自然のなかの博物館『荒神谷博物館』、『加茂岩倉遺跡ガイダンス』

この二か所の発掘で、古代史研究は大きく変わりました。梅原猛先生は、この発掘で自説を否定し、出雲大社へ「間違っておりました」と謝罪に赴かれました(梅原猛著『葬られた王朝』)。余談ですが梅原猛先生の『森の思想が人類を救う』はお薦めです。10年前になりますが「3.11東日本大震災」の折、教えられました。

さて、二か所とも最寄駅からは車をおすすめします。山の中にあるからこそ、古の時代を五感で感じ、発掘の奇跡と興奮を体感できると言っても過言ではありません。

■荒神谷遺跡博物館

1983年(昭和58年)、斐川町神庭地区で広域農道の建設に伴う遺跡分布調査がありました。この時、奇跡が起きたのです。調査員の一人が田んぼの畦で須恵器の破片を拾いました。翌年から本格的な発掘調査を行うと、これまでの古代史をひっくり返す発見があったのです。なんと、358本の銅剣が発掘されたのです。何が凄いかと言うと、それまで全国で出土した銅剣の総数は約300本で、それを上回る出土数でした。さらに1985年、銅鐸6個、銅矛16本という大量の青銅器が出土しました。発掘場所にはレプリカもあり見学できます。本体は出雲古代歴史博物館に展示されています。

銅剣

●古代ハス

荒神谷史跡公園には約3000株の古代ハスがあります。6月中旬から7月中旬にかけて咲き、古の季節を感じます。なお、ハスの花は午後には花びらを閉じます。午前中に鑑賞してください。正式名称は大賀ハス。大賀博士が、約3千年前の地層から出土した種を発芽させたものです。

●高瀬城址 

ここから二キロ程のところにある尼子十旗のひとつです。講演会「島根の戦国時代」の紹介の折、触れます。

■加茂岩倉遺跡ガイダンス

さて、古代史がひっくり返る荒神谷での発見があってから八年後の1999年(平成11年)、また奇跡が起きたのです。場所は、荒神谷遺跡から山々を挟んで直線で3キロ程の加茂町(現雲南市)岩倉です。

銅鐸

農道の工事中に重機から異常な音がし、操縦者が覗くとポリバケツが見えました。「だあが、埋めたかね(誰が埋めたのだ)」(筆者の勝手な出雲弁です)と近づくと、それはポリバケツではなく銅鐸でした。現地にレプリカが埋められていますが、青いポリバケツに見えます。

荒神谷遺跡の発掘もあったからでしょう、工事は直ぐに中止。二年間にわたって調査が行われ、一か所からは日本最多の39口の銅鐸が発見されました。歴史学会のみならずメディアも仰天でした。掘れば何かが出て来て歴史を変える、出雲の国。発掘された銅鐸は銅剣と同様に古代出雲歴史博物館に展示されています。どんなところから発掘されたか、荒神谷や加茂岩倉を訪ね、自然の中で誰がなぜ埋めたか瞑想してください。

さて、銅鐸のなかには、顔、トンボ、シカ、イノシシ、スッポンなどの絵があり、銅剣と同じで「✖」のついたものもあります。「✖」とはなんでしょうか? 不良品という印か、未完としたのか、選別するためか、考えてみるのも面白いです。

●神原神社古墳

ここから2キロ程のところに神原神社古墳があります。

1972年(昭和47年)、河川拡張工事で神社が移動することになり、あわせて古墳の発掘調査が行われました。本殿下の神原神社古墳から「景初三年」銘の三角縁神獣鏡などが発掘されました。邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送り銅鏡百枚を賜ったと伝えられています。「景初三年」と銘あるものは全国で二事例です。

神原神社古墳

出雲の古代史を学ぶには大変貴重な施設です。時間に制約のある旅行です。でも一か所でも訪ねて頂ければ「古代出雲」感じる意味で貴重な体験になると思います。

シマネミコーズからの一言

ドローンで意宇の里や島根半島の上空を飛ぶのもいいわ。でも私、思うの。スピルバーグにメガホンをとってもらい、スサノヲのヤマタノオロチ退治を映画化して頂いたら凄いだろうなと。斐伊川をドローンで遡ったら面白い映像が撮れるでしょう。ところでヤマタノオロチは斐伊川の氾濫を現わしているという説もあるのよ。古代は農作と治水を治めることが大切だったよ。神原遺跡の発見も、川の工事からだし、荒神谷も、加茂岩倉も農道の工事ね。大切な工事だけど、すこしずつ自然がなくなるのも悲しいな

コメコメ

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