• ~旅と日々の出会い~
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十八回 アニメ『君の名は』の聖地、須賀神社

―誰そ彼 迷いし時を 組紐に たぐりし石段の 彼は君ぞ―

誰そ彼、と歩みし石段

今でも、人気と話題が衰えることのない、アニメ映画『君の名は』(2016年上映)。

『君の名は』の主人公「立花瀧(タキ)」とヒロイン「宮水三葉(ミツハ)」は、姿の見えない求めあう心に誘(いざな)われ、この石段で牽き合うことで組紐となります。記憶にないのに、その思いをたどる感性、それはなに? 

最後の数秒のシーンに、「君の名は」の意味すべてが、凝縮されています。そう、「君の名は」と問いしことは、恋焦がれた見ぬひとへと導かれし告白のうごめきなのです。

「この石段」、JR四ツ谷駅から10分程のところ、須賀(すが)神社へと続く須賀神社男坂の石段のこと。

『君の名は』

立ち止まった私は、思案する。ここには来たことがあるかも? ずっと昔に。

須賀神社男坂の石段

映画のはじまりに、古典のユキちゃん先生が、黒板に書かれし万葉集の「誰そ彼」。「誰そ彼」が「黄昏(たそがれ)時」の語源だと語られるの。その「誰そ彼」こそが、二人が唯一確かめあった飛騨の黄昏時、「君の名は」とは探し求める恋心に変身する。

見上げたわ、石段の上に君の姿があるかもと。でも、夏の熱い輝きだけが流れていた。

須賀神社男坂の石段

「誰そ彼」時。昼と夜が交じり合う、黄昏時。求めあう二人なら、君の顔がぼやけても、感覚と思いで分かる時。そして、言葉や姿形だけでなく、心に刻んだ襞(ひだ)で、微かな明りと闇でも感じあうことができる。それは、互いが求めあう思いの成す組紐。

黄昏時は、「本当」と「嘘」が交じり合う「亜フィクション」の世界。もうひとりの自分を演じることができるとき。酔った時、意地悪な私が、いい人になる。嘘ではない、だって、いい人になりたいのだから。境内でも同じ、私は、素の自分に、優しい自分になる。「いい人に会えますように」とお願いはしない。「ありがとうございました」とお礼する。だって、私は、そんな人になりたいから。

須賀神社の境内

石段の坂道を、問いかけながら上った。私にも、あったはず、突き動かされる衝動に、無我夢中で走ったことが。でも、思い出せない。いつなのか、どこなのか。せつなさだけが灼熱の陽にとけこんでいる。憎いアブラゼミ。

この世とあの世の境目、「糸守湖」。タキとミツハは、この世と幽世(かくりよ)の境界がボヤケて入り混じる黄昏時に、出会う。

『古事記』にもある。イザナギが、亡くなった妻イザナミに、会いたくて訪れた黄泉の国(あの世)。醜く変わり果てたイザナミに、イザナギは地上へと逃げる。追いかけるイザナミの前に、イザナギは大岩を置いて遮断した。そこが、この世と黄泉の国の境、「黄泉比良坂(よもつひらさか)」。現在の、松江市東出雲町揖屋(いや)。(当サイト『出雲神話と神々』、一話をご覧ください)

映画『瞬 またたき』で、「泉美」役の北川景子さんが、亡くなった恋人「淳一」に会いたくて出掛けたのが、この黄泉比良坂。(当サイト、「心に残る風景」の「中海、ぐるりと半周、不思議いっぱいの旅」をご覧ください)

あの世とこの世。石段の上で、iPhoneに書き込んだ。「あなたは誰」。反応のない私のSNS。ひとり異次元の空間に残された気持。

石段から見る四谷界隈、不思議。いろんな色の糸が、クモの糸となって飛び交っているみたい。

八雲たなびく地に、訪ねし我

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」。素戔嗚尊(スサノヲ)が詠われた日本最初の和歌。

解釈 (八雲立つ出雲の国を幾重に取り囲む雲のように、めとった可愛い妻(クシナダヒメ)を籠らせるために、俺(スサノヲ)は家の周りに幾重の囲いを作るよ、その八重垣の囲いを)

島根県雲南市「須我神社」の碑

ぶらりと出かけた「出雲路の旅」。出雲大社から寄り道して訪ねた、雲南市大東須賀の「須我(すが)神社」。日本初之宮。

高天ヶ原から中国山地の鳥髪(現在の奥出雲の鳥上)に降臨したスサノヲ。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、助けた稲田比売命(クシナダヒメ)と結ばれた。一緒に暮らす土地を求めて来たここで、「気分がすがすがしくなり」、「須賀」(すが)と名付け、宮殿を建てられた。須賀の宮(須我神社) 。(『古事記』。当サイト「出雲神話と神々」)。

「須賀神社」の「須賀」は、この地のこと。

母神イザナミを慕ったスサノヲ。もしかしてと、中海に近い、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで足を延ばした。雨上がりの、秋のことだった。その夜、美しい満月を意宇(おう)の郷でみた。

素戔嗚尊(スサノヲ)を祀る須賀神社

須賀神社の主祭神は、須佐之男命(すさのおうのみこと・素戔嗚尊のこと)と宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)。

須賀神社の始まりは、「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と稲荷社の二つの神社であったもので・・・明治にはいり須賀神社とあらためられました」(須賀神社パンフレットより)。

稲荷社の由来についても、二つの説が伝えられています。一つが、寛永11年(1634年)に、赤坂の清水谷にあった稲荷神社を、江戸城外堀の拡張のため、ここに移した説。二つが、神田明神に祀られていた牛頭天王を合祀し、稲荷天王合祀社となった説が伝えられています。

天保7年(1836年)に、大岡雲峰の絵と千種有功の書「三十六歌仙絵」が奉納されました。三十六歌仙絵は、平安時代中期、藤原公任(ふじわらのきんとう)が、優れた歌人36名を選定したものです。柿本人麻呂や山部赤人などが含まれています。現在、新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されています。これだけでも、凄い神社ですね。

須賀神社のパンフレット

須賀神社の周辺は、江戸時代から坂道が多くありました。散策を兼ねて歩きます。「誰そ彼」坂と、しましょうか。

周辺情報

石段を下り、帰りは新宿通りを新宿へと向かいます。

あの日、信濃町の駅から須賀神社の石段に来たのかしら、タキとミツハ。糸守湖のことを話したのはどちらかしら、電車の中で渡した組紐のこと、学校のこと、イタリアンレストランの奥寺先輩のこと、そして互いの身体。もちろんおっぱいのことも。

須賀神社を散策して、私の夢や想像が、う~んと広がった。会える。いつか、必ず会える。

須賀神社の神様、スサノヲさんだって、会えたから。父神イザナギの指示に大泣きして拒否したスサノヲさん、高天ヶ原では大暴れして追放されたスサノヲさん。そのスサノヲさん、出雲の国に降臨するや、ヤマタノオロチを退治して、助けたクシナダヒメさんを妻にして、大きなお家を作って守った。二人の子供の子孫が、あの大国主命(オオクニヌシ)さん。そう、出雲大社の神様。

クシナダヒメさんだって、上のお姉さん七人がヤマタノオロチに食べられて、不安と恐怖の日々だった。それが、ある日、突然、現れた、スサノヲさんに助けられた。

スサノヲさんは、強いだけでない。愛妻家で、教養もあって和歌も詠う。

須賀神社の石段。いつか、必ず、会える。君に。

だから、寄り道した。奥寺先輩のような人に会いたくて、タキに会いたくて。

・イタリアンレストラン「カフェラ・ポエム新宿御苑」

お洒落で、西洋的な店内。奥寺先輩やタキを、勝手に思う私。でも目の前のビールとピザに満足。新宿御苑を前にした、ステキなお店。爪楊枝なんかあるわけないよ。

カフェラ・ポエム新宿御苑

喫茶日記

ここの果物のサンドウィッチは話題よ。要予約。事前に情報を確認してね。

新宿縮御苑

伸縮御苑は、江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷がありました。明治39年に、皇室の庭園なり、戦後、国民公園となりました。春の桜、秋の紅葉には、多くの人が訪れます。広さ58.3ha、周囲3.5km、散歩にも、また仲間との団らんに最適です。店内にスターバックスもあります。

新宿縮御苑入り口

新宿御苑の横にあるのが、都立新宿高校。Y.M.Oの坂本龍一(ミュージシャン)さんも、そこの卒業生。

おわりに

須賀神社の神様や宮司さんに氏子さん、ごめんなさい。須賀神社には関係ないけど、『君の名は』の「誰そ彼」が気になります。検索すると、『万葉集』に詠み人知らず、でありました。

「誰そ彼とわれをな問ひそ九月(ながつき)の露に濡れつつ君待つわれそ」

解釈 (そこにいるのは誰ですか?と、私に聞かないでください。九月の露に濡れながらあなたを待っている私のことを)。

私流に想像しました。

黄昏時、貧しい我が家の、露に濡れたススキの穂の陰で、来ぬ君を待ち続ける私に、声を掛けないで。そうでなくても悲しい私なのに、誰かに気づかれるなんて、もっと悲しくなってしまいます。それにあなたへの偲び愛だから耐えられたのに、気づかれたら、もう待つこともできないわ。

「待つ」気持。君の名を綴った大学ノート。何度も検索した君のSNS。私も会いに行こう。せっかく、須賀神社を訪れたのだから。あの石段ではないかもしれない、でもきっと君に会えるはず。だってステキなクシナダヒメに会えたスサノヲを祀っているのだから。すこしはチャンスがあるはずよ。

須賀神社
須佐之男命、宇迦能御魂命
東京都新宿区須賀町5番地
最寄り駅 東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅、JR・地下鉄四ツ谷駅

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