• ~旅と日々の出会い~
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泊まれる博物館から体験交流型宿泊施設『百姓塾』へ、村づくり 

「不便」が教える「自然」「出会い」の意味と価値

大きな恐竜が入り口で迎えてくれる泊まれる博物館『奥出雲多根自然博物館』に、新たに体験交流型宿泊施設『百姓塾』がオープンしました(2021年8月21日)。

館長の宇田川和義氏に、その目的と考え、そして活用について伺いました。


宇田川和義氏 略歴
1948年奥出雲町生まれ
1967年仁多町職員:仁多米振興課長、
仁多町地域振興課長、奥出雲町地域振興課長等歴任(2006年退職)
公益財団法人奥出雲多根自然博物館副理事長(館長) 
公益財団法人可部屋集成館理事
奥出雲町観光協会理事
NPOさくらおろち監事、NPO奥出雲布勢の郷理事
温泉学会理事

はじめに

『こめ』とは「八十八」と書いて『米』。

平仮名で「こめ」と書けるようになる前に祖父から漢字が刷り込まれました。一緒に「お米を育てるには、お百姓さんの手が八十八回もかかる手間暇のかかる穀物だ。お百姓さんに感謝しなさい」と教えられました。農家でないからこそ、祖父は教えたのでしょう。

もちろん、米粒一つ残しても厳しく叱られた時代でした。やがて社会は製造業を核とした高度経済成長と減反政策に邁進します。その一方で、公害問題や自然の有限性に気づかされる時代でもありました。

米は商品としての農産物だけでなく、育て生産する営為の意義を教え、自然との共存をいかに形成するかを問いただすバロメータでもあったのです。人類は常に農業によって人類の存在を、生き方を教えられてきました。

大きな恐竜が入り口で迎えてくれる泊まれる博物館『奥出雲多根自然博物館』に、新たに体験交流型宿泊施設『百姓塾』がオープンしました(2021年8月21日)。館長の宇田川和義氏に、その目的と考え、そして活用について伺いました。

お会いしたのは奥出雲多根自然博物館の最上階6階にあるレストラン『さじろ』です。

一面の窓に、秋の青空を背にした中国山地の山々から稲刈りの終わった田んぼと色付きはじめた木々の風景が見えます。右にゆっくり視線を移せば、露天風呂のある『佐白温泉長者の湯』の湯けむりを囲むのどかな丘が望めます。

風景に見入る私に宇田川和義氏はお話されました。

「最上階にレストランを置くのは、創設者・多根弘師氏の考えでした。その頃(1990年)は、食事処はたいていビルの一階でしたね。ところが、お客様にこの美しさを見てもらわなくてどうするのだと叱られました」

博物館は「宇宙や生命の神秘」の見学の場所だけでなく、ときを楽しみ、「生れた奇跡・出会いの不思議」を広げ、そしてこの地を堪能する空間としてクリエイトされたのです。お客様に寄り添い、お客様にどのように関わるか。創設者のお客様に、この地に暮らす人たちへの熱い思いを感じます。すでにこの時、この地域の自然と文化を含めた出会いを体験してもらう壮大な博物館構想が描かれていたのです。

地域と連携した体験交流型宿泊施設『百姓塾』も、その考えを一歩も二歩も実現したものだと、宇田川和義氏の案内で確信しました。

レストランからの風景
レストランからの風景

文化と自然と食の郷・奥出雲

『奥出雲多根自然博物館』も『百姓塾』も奥出雲町佐白にあります。

松江市から車ならば国道53号線を下り、大東で合流する県道25号線に乗り換え走ること30分。左前方の穏やかな坂の下に山間部では見慣れぬ白い建物が見えます。その建物が『奥出雲多根自然博物館』(※)で、そのすこし先の右側に広い庭と農家の建物を再生した『百姓塾』があります。

『百姓塾』のある奥出雲の自然と文化と神話について少し紹介します。

 (※ 当サイト『自然とオフィス』の「古民家とリモートオフィス」にて紹介)

百姓塾の全景
たたら製鉄と「鉄の道」

奥出雲町は、雲南市、安来市とともに日本遺産『出雲國たたら風土記―鉄づくり千年が生んだ物語―』に指定されています。『百姓塾』の近場には、たたら製鉄の三大鉄師である櫻井家(奥出雲)、絲原家(奥出雲) 、田部家(雲南市)の屋敷と記念館があります(※)。

『百姓塾』として使用される古民家もたたら製鉄に深い関わりがあります。

(※詳細は、当サイトの『たたら製鉄』、『島根のSDGs』や郷土研究誌『奥出雲』をご覧ください)

たたら製鉄は、その製造方法の特殊性や学術性から、製造現場や製造方法が注目されがちです。しかし経済活動の視点から見れば、鉄を加工・消費する産業や市場、運搬という流通があって成り立ちます。また関わる人や仕事によって多くの文化が形成されました。

江戸や明治時代の運搬には牛や馬を使用しました。当然、一日で運搬できることではなく、人が休む所に泊る所も必要です。そこにはサービスする建物ができ、人が働き、集まります。やがて商いが生まれ集団が形成されます。たたら製鉄の鉄を運ぶ道沿いは、運搬という道ではなく、運搬業を相手にした施設や商いも存在する『鉄の道』となりました。

たたら製鉄の現場も自給自足の経済構造ではありません。道具や生活用品を必要とします。鉄を運んだ帰りには道具や生活用品な嗜好品など商品を商いとして運んだのです。

『百姓塾』として使用される古民家は、江戸時代からの大きな農家で、奥出雲地方独特の農具や生活品も残されています(展示コーナーも整備中です)。佐白宿として栄えた当地の街道沿いにあり農業と共に、たたら製鉄の運搬にも深く関わってきました。

佐白地域は、古くは『風土記』(733年完成)に、大原群家と仁多群家を結ぶ要所として紹介されています。江戸時代は、たたら製鉄の奥出雲と松江藩を繋ぐ要所で、貴重な生活街道の支点でもありました。たたら製鉄の鉄の運搬経路として、櫻井家指定の鉄宿が佐白に置かれています(『櫻井家たたらの研究と文書目録」より)。また松江藩主が櫻井家や絲原家を訪ねる御成り道筋の要所でした(絲原家古文書『御道の記写し』より)。

たたら製鉄と日本農業遺産

2021年2月、奥出雲町農業遺産推進協議会が農林水産省に再申請をした「たたら製鉄が生んだ奥出雲の資源循環型農業」が国内認定されました。現在、「世界農業遺産」認定をめざして活動が続けられています。

世界農業遺産とは、「世界的に重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域を国際連合食糧農業機関(FAO)が認定する制度です」。日本では、能登や和歌山など11の地域が認定されています。

奥出雲の「たたら製鉄が生んだ奥出雲の資源循環型農業」とは、視点を変えれば奥出雲の農業だけでなく産業・文化そのものです。

「たたら製鉄」の原料の砂鉄採取は、山々を切り崩し、砂と一緒に流す『鉄穴流し(かんなながし)』です。採掘の水路やため池を再利用して『棚田』を再生しました。
鉄の運搬や農耕のための役牛の改良を重ね肉用牛の『仁多牛』が生まれました。その牛ふんを堆肥化し、良質な『仁多米』を生産しています。たたら製鉄の燃料として支えてきた森林は、炭やシイタケ生産に活用しています。絶滅した「小そば」を復活した『出雲そば』は奥出雲の蕎麦文化を形成しました。棚田には神木を祀った小山(鉄穴残丘)が点在し、神秘的で古を感じる景観を創り出しています。

たたら製鉄を介した農業と森林は、産業という領域だけでなく棚田を頂点とした人間の英知さえ感じることができます。

棚田
神話と自然の『比婆道後帝釈国定公園』

島根・広島・鳥取の三県にまたがる中国山地の『比婆道後帝釈国定公園』には、奥出雲の神話にまつわる船通山と吾妻山などの山々に、高原野菜の三井野原が含まれています。中国山地の穏やかな山並みの深緑や紅葉は、あきることのない自然の美しさを育てています。

船通山のカタクリ群落や吾妻山の広大な風衝草原の亜高山性の植物は見事です。また、『古事記』で紹介された出雲神話とも深く関わりがあり、船通山は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の素戔嗚尊(スサノオノミコト)が降臨した山として、吾妻山はイザナギが比婆山に眠るイザナミを「ああ、吾が妻よ」と叫んだ山とも伝えられています。

船通山

『百姓塾』について 不便という価値

宇田川和義さんの案内で『百姓塾』を訪ねました。

『百姓塾』の名前のいわれを尋ねると、「農業や農家の人たちの英知や生活観への敬意です。そして農業への誇りですね」とお話されました。百姓塾にはすでに、近所のご婦人が、宿泊されるお客様のために花を活けておられました。格式ばったおもてなしとは異なる、母が子供の帰りを待つそんな穏やかな姿です。

玄関

再生された古民家は、築80年の木造平屋建てです。食事もできる台所も含めて6部屋、350㎡の広さがあります。また隣接する牛小屋も奇麗にフローリングされ、蕎麦打ちの体験や仲間とのミーテイングにも使用できます。広い庭にはバーベキューができる道具も用意されていました。

元牛小屋
地域を体験する『住める博物館

「宇宙と生命の神秘として化石など展示し、また宿泊できる博物館として活動しています。設立時からご存知の方は、年々進化していると言われます」

そのさらなる進化の形態が『百姓塾』です。

「多根幹雄理事長も、私も同じ考えです。博物館を訪ねて頂くのではなく、この奥出雲の地を訪ねてもらいたいと考えています。それは博物館を拠点に広がるというとう導線ではありません。博物館も、たたら製鉄も、神社や遺跡、そして食べ物に温泉もある、奥出雲という地であり文化です。それはすべて生命という意味でつながっています。そして存在という意味があります」

土間に靴を脱ぎ、板敷きの床の奥に改装された台所があります。

6人は座れるテーブルがあります。壁面には昔懐かしい食器棚があり、懐かしい絵柄の食器が並んでいました。リニューアルされた使い勝手の良い水回りで料理を作り、みんなで食事をしながら会話を楽しめるようになっています。

台所

元仁多町役場で働かれた宇田川和義さんは、東京に『仁多米』を紹介しに行ったときの話を紹介されました。

「皆さんは、仁多米が美味しいとおっしゃいます。たしかに美味しいお米です。しかし、ブランドになり、皆様から評価されたのは、仁多米の味だけではありません。仁多米のもつ沢山の物語です。この物語が仁多米を美味しくするのです。東京では、そんな話を皆様にさせていただきました」

「奥出雲は空気も水も、そして食べ物もおいしいところです。それは人と人の関係があるから旨いといえます。人の出会いや縁、そして共になにかをすることが大切です」

宿泊者や利用者にとっての喜びは、この雰囲気のなかで料理を作り、歴史を感じ、そして人に出会い、農業などいろんなことを体験する、その営為です。それが思い出となって心に残り、体験を意義深いものにするのです。

「古民家はきっかけです。ここで地元の人と出会い、一緒になってなにかをする。その物語に意味があります」

農作業の節ごとに東京から戻られ、作業の合間に暮らす人々を撮影される著名な映像クリエイター。古生物学者小畠郁生博士の貴重な遺品を寄贈された奥様。レストランで働く人たちとの出会いと不思議な縁。

宇田川和義さんは、何かを語るたびに出会いの喜びをお話されました。それは案内される私にとって情報というよりは、貴重な体験を共有している気分でした。

小畠氏の遺品
農業を体験し、暮らす人々と交流

見る博物館から泊まれる博物館へ。次は体験する「住める博物館」へ。

宇田川和義さんがお話される「住める博物館」とは、『百姓塾』という建物だけを示すのではありません。この奥出雲を、そしてここに暮らす人たちとの出会いと交流、農作業を通した体験を含めた生活そのものを意味します。

すでに『百姓塾』では田植えを行い、稲刈りも終わりました。また家の前では蕎麦の栽培もしています。

農作業を通して知恵と技に触れ、作業を終えた後の疲労をみんなで分かち合う。農作業の体験とは、働く人との協業を通した感動、辛さにへこたれても地元の人たちと体感した営為を感じ取ることです。

仁多米が美味しいのはその物語です、と宇田川和義さんはお話されました。ここで頂くお米には、地元の人たちとともに作業をし、語り合ったという貴重な物語があるのです。そして奥出雲の自然の中で流した汗と喜びが練りこまれているのです。

「宿泊だけでなく、米や野菜と接し、危険のない範囲で古い農機具にも触れ、体感してみる。また、地元の人たちの行事や祭りに参加する。そんな自然と地元の人たちの交流も計画しています」

稲刈り
餅つき
ここにしかない営為

「不便という価値」がここにはあります。
宇田川和義さんは部屋を案内し終わると悪戯っぽく問われました。
「なにか気づきましたか」
「そうです。『百姓塾』にはテレビがありません」
「小さなお子さんには不満でしょうね」
床の間にある懐かしいブリキのおもちゃを指さされました。
「今後もつける予定はありません。むしろ、テレビを付けないことを基本としています」

襖を開けると広い部屋となる古民家。
「これも多根幹雄理事長の考えでもあります。この『百姓塾』に何しに来るかです。いつもと同じ生活環境を必要とするなら、ここを選択することはありません。ここではここの生活を体感してほしいと考えています」

テレビがない代わりに子供と一緒になって遊びを考える。あるいは、親が子供の頃の思い出を語り、子供の願いや夢に耳を傾ける。

「ない」という現実を前に、遊びや会話を「創造」する。そんな創意工夫が「交流」や「体験」の原点でもあるのです。

「すこし大げさですが、不便という価値をみんなで共有する。その不便を家族で、あるいは仲間同士でどう乗り越えるかです。そんな語り合いもいい経験です」

「長い歴史と多くの人たちの知恵と努力によってできた原風景が受け継がれています。都会にない暮らしを通して、自然との共生や自然の大切さを実感してもらえたらと考えています。そうすれば、泊まるだけでも立派な体験です」と微笑まれた。

確かに利便性と効率性、簡素化と贅沢を追求する生活文化にあって、「我慢する」「不自由をする」「不便」はいい体験です。自分を生活環境や自然に合わせる体験は、生活を振り返ることに必要なことです。それが自然との共生を取り戻す一歩であり、創造の原点でもあります。

「ここでは、ここの生活を体験して頂く。次は、用意された交流や体験から、自分から外に出て交流し、体験してほしいですね。ここが、その一歩です」

板敷きに座り土間に置いた靴を履こうとしました。昔の農家のままの高さです。老人には辛いかもしれない。宇田川和義さんはまた微笑まれた。

「みんなで助けあえばええです。そうが、大切ですが」

知恵だけでなく互いに助け合う、それも「住める博物館」の意義だろう。

訪問する側の意識 コミュニティー

今回、webサイト『島根国』を手伝ってくれる東京と地元の仲間でお訪ねしました。

地元の人たちとの新たな出会いや農業体験を話題にし、ビジネス検討の合宿地として、テレワークのできる長期滞在として、仲間や友との創作作業の場として、『百姓塾』の活用を口にしました。

PCを手にする私に、宇田川和義さんは「Wi-Fiの環境はあります」と指差されました。

「インターネットでのゲームではなく、仕事での使用ですね。長期の宿泊、遠方からの訪問、あるいは多人数での研修や合宿や集中した検討会議にも使って頂きたいですね。そのためにはWi-Fiは大切です」

インターネット環境があれば、遠く離れた会社との会議や打合せもできれば、遠隔での企画・デザインの協業も可能です。距離や時間の弊害はなくなります。会社の仲間たちと宿泊しても、ビジネスに支障はありません。 

ワークスタイルの変化から意識の変化へ

コロナウイルス感染で、企業はインターネットをつかったリモートオフィスに移行し、会議だけでなく、展示会や営業活動もインターネットへと移行しました。出勤は全体の3割と制限した企業も沢山あります。非常事態宣言によって交流も制限されました。会いたくても会えない、話したくても話せない状態が続きました。これを契機にワークスタイルだけでなくライフスタイルも変わるでしょう。むしろ企業は今回の経験を活かし、効率化と経費の削減に向けリモートオフィスを加速すると予想されます。

余った時間はどうするのでしょうか?週休三日制も一時話題になりましたが、どうでしょうか。働く人たちがリモートワークで検討することは沢山あります。お客様の概念や価値観も変わり、業務の流れも変化するでしょう。それに合わせて自分自身の思考方法も考え直す必要があります。

「ここに来たら仕事だけでなく、この自然との体験や地元の人たちとの交流を深めてほしい。もしかすると、新たな考えの閃き、柔軟な思考を得る機会かもしれません。新しい働き方になればいいですね」

宇田川和義さんと栗を拾いながら考えました。

遠隔地でのリモートワークならば必ずしもここである必要はない。でも、ここにはここならではの農業と自然と人との関り、出雲神話に包まれた文化と風土がある。この独自性をどのように活かすかは私たち訪問者の創造力と奇抜性だ。

Wi-Fiがある古民家だから仕事ができるではなく、これまでの思考ややり方を壊してみる。Wi-Fiによって遠隔地で仕事ができるだけでない。奥出雲の山の中での「交流と体験」が仕事への考え方や生活観の変革のきっかけになる。自分自身が変わる。それがワークスタイルやライフスタイルの変革の原点だと思います。

椎茸体験
自然や地元との交流

「ここならではの経験をするのも良いことですよ」と宇田川和義さんは映像クリエイターのお話をされた。

「いつもは農作業する穏やかなおじさんが、神楽(かぐら)の練習となると憑依するそうです。日常とは違う顔つきになる。その姿を映像に収めておられます」

都市生活で固まった感性を、ビジネスという偏った概念を、ここでの体験や交流で壊してみる。別な自分で考えてみるいい機会かもしれません。地元の人との交流による新たな創意。生活者からの創造。異なる視点に気づく、別な自分になる、そんな自己変革にもなるはすです。

もちろんWi-Fiを使ったネット会議を否定するのではありません。必要によっては活用します。ただ体験を通し、自分の意識や考え方を捉え直してみるいい機会ではないのでしょうか。

「自然との関係を考え直す、いいきっかけですね」と宇田川和義さんは話される。

「化石の展示で、宇宙や生命について案内してきました。つぎは、この奥出雲の自然や農業という生活を体感することで、自然や自然との関係を伝えたいですね」

「ある意味で、お子さんの方が素直ですよ」

奥出雲多根自然博物館の館長室にいても、化石の展示物に驚く子供たちの歓声が聞こえます。

「ここの展示物も大切です。重要なメッセージを発信しています。奥出雲の文化やたたら製鉄を紹介しています。しかし、それは情報という知識です。ここに奥出雲の自然や生活を展示しても体験できません。というより自然は自然。田んぼは田んぼですよ」

『泊まれる博物館』も『住める博物館」も、博物館を箱だけの固定概念で捉えておられないのです。自然や地域、文化へ発展する空間として考えておられるのです。

奥出雲の展示

今後について

「多根理事長からも言われます。奥出雲の博物館はビルである必要はない。住める博物館ならば、もともとの村、もともとの生活、あるがままの自然や文化のなかに、あるべきではないか」

「今後も、暮らす人のいない古民家を再生して、新しい博物館にすることを検討しています。それが、どんなモノであり、何を演出するか、楽しみです。ただ、ここに来る人のために、ここに暮らす人のために、体験を通して何かに気づいてい頂ければ、そんな博物館になればと思います」

「その解の一つが再生した古民家の体験です。こうした古民家の再生の連携によって、奥出雲らしい村づくりに役立つ博物館を考えています。」

『博物館』という概念は大きく変わることでしょう。物を見せる箱、感動する箱という機能としての外観はあっても、『博物館』は人と出会い、共に作業をし、感動と共に何かを生み出す空間になるのでしょう。物ではなく行為と創造の世界へと発展する『博物館』です。

 

まとめ

宇田川和義さんの思いや多根幹雄理事長のお考えをお話して頂きました。また、レストランで働く皆様の明るくて元気な姿勢、百姓塾で見たおもてなしの花を生けるご婦人の姿、補修に来られた大工さんのお辞儀。百姓塾に係わる皆様の姿や雰囲気を思い出すと、この事業は訪ね来る旅行者への提案だけでなく、多根自然博物館や百姓塾に係わる人たち、そしてここに暮らす人たちへの「村づくり」の熱いメッセージでもあると確信しました。

だからこそ、旅する人とここに暮らす人が相互に影響し合い、感性を触発し合い、互いに新しい自分に気づく。旅する人は日常生活に戻った時に、ここでの感動を生活や仕事への考えに活かしてみる。ここに暮らす人は、ここに来て感動した旅行者の思いをこれらの村づくりに活かしてみる。

多根幹雄理事長や宇田川和義さんの考えに、旅行者を招くことによる奥出雲町の村づくりの思いを強く感じました。ならば、私たち旅行者は、研修でも、仕事でも、友との遊びでも、その目的は何であってもよいのです。ここに暮らす人たちと交流することが、「村づくり」に少しでも協力できることではないのでしょうか。

一方が一方に価値やサービスを提供するのではない。互いが相手に価値や思いを提供する。『百姓塾』とは文字通りここに来た旅行者にとっても、ここに暮らす人にとっても、自然と農業を介した「学び舎(や)」なのです。

泊まれる博物館から住める博物館へ。そして古民家を再生した村づくりへ。旅行者と地元の人々の交流を通し「奥出雲多根自然博物館」は、ますます変化成長していくのでしょう。

その変化は、私にとっても楽しみであり、刺激です。私自身、既成概念にとらわれることなく感性を磨かなくてはと励まされる次第です。

「次回は宿泊します」と言いつつ実行していない私たちです。次回こそは、仲間たちと訪れ、朝霧に目覚めて地元の人とアイディアを議論し、午後は地元の人と農作業を体験し、夜は星を見ながら露天風呂に入り、就寝する。是非、実現しなくてはいけない。もちろん必要以上にインターネットに接続しない古民家生活を体験してみたいものです。

           

 体験交流型宿泊施設『百姓塾』

ホームページ
http://tanemuseum.jp/
住所
島根県仁多郡奥出雲町佐白236-1 
電話
0854-54-0003 
アクセス
最寄り駅:JR木次線出雲八代駅より歩いて20分 

インタビュー

『奥出雲多根自然博物館』 館長、宇田川和義氏のインタビューの模様を動画でご覧ください。

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