• ~旅と日々の出会い~
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一話 赤い糸のあや ―あなたは、気づきを教えてくれた―

一章 古(いにしえ)につつまれた温泉 (玉造温泉の巻)

22時、東京駅発『寝台特急 サンライズ出雲』で島根路の旅がはじまった。

十年前に同期の皆と出掛けた時は、寝台券がいらないノビノビ座席。今回はひとり旅、奮発してロック付きの個室にした。

お正月の板蒲鉾(かまぼこ)を縦に切り、左右にすこし広げた感じ。真ん中が通路。進行方向に寝るので振動による違和感はすくない。幅は左右に寝返りをうつぐらい。弧を描く側が車窓でホームから丸見え。遮光幕を下ろすと、そこは一人だけの世界だ。毛布と枕と寝巻を広げ、コンセントを確認すると、お菓子と缶ビールで乾杯です。

翌朝の6時、岡山駅で四国に向かう『サンライズ瀬戸』を切り離すと山間を縫って走る伯備線にはいる。いよいよ山陰路の始まりです。

一節 風と光に導かれる松並 (出雲大社)

『サンライズ出雲』を出雲市駅で下車し、バスで『出雲大社』に向かう。旅の始まりの報告と、また島根に来れたお礼を伝えるために。

大鳥居の前で一礼し、左端を進む。鳥居をくぐると本殿に向けて樹齢四百年の松並木が続く。下りのゆるやかな坂道です。気づかない人もいる。そこが素敵。帰りに、おやっと思う。来る時より歩くのが辛くないかと。そこで上り坂に気がつく。上り切った鳥居の前に立つと、町や山を一望できる。苦労は報われる。そのための坂だと感謝する。出雲大社の神々の思いやりにも。

途中、小さなお社の「祓社(はらえのやしろ)」で清めます。「ムスビの御神造」を見、手水舎で口と手を清めたら、ここでも軽く一礼して鳥居をくぐります。少しずつ雑念が払われていく感覚に気づきます。

正面の拝殿に参拝します。しめ縄が他の神社とは違って左右逆です。お賽銭を入れ、「二礼四拍手一礼」。

前回はいっぱいお願い事をした。「お給料が上がりますように」「いっぱい海外旅行に行けますように」「素敵な彼に会えますように」「結婚できますように」「楽しい仕事ができますように」、そして「健康でありますように」と。

それからいろいろな経験をし、辛いことも味わい学んだ。

今あるのは神様のおかげで、これからは自分の努力だ、これからも見守ってくださいとお礼を伝えた。でも、もう三十路の真ん中。良い人に会えるチャンスを下さいと最後にお願いした。

西側にある小さな祠にもお参りし、神楽殿へ。木陰に包まれた道から現れた結婚式の列に遭遇した。すごく眩しかった。

御本殿、拝殿、大しめ縄の神楽殿だけでなく、境内の11の摂末社にも参拝した。もちろんお賽銭もいれました。素戔嗚尊を祀る「素鵞社(そがのやしろ)」にはすこし奮発しました。だって、強くて、格好良くて、教養もあり、愛妻家の素戔嗚尊が理想だから。

帰り道の参道は、健やかな気持で現生に戻る感じです。どことなく感性も研ぎ澄まされた感じがする。

ここには二つの時(とき)が過ぎていく。みんなに等しく過ぎていく「時(とき)」と、その人にあった緩やかな「時(とき)」。そんなふたつの「時」が織りなす世界をみんなは歩んでいる。

列島に暮らす人々は、鎮守の森や八百万の神との関りを大自然の歩みと同じ、ゆるやかな時(とき)で捉えてきた。それが自ずと歩みを緩やかにする。遊牧民族ではなく農耕民族のDNAかもしれない。

それに鳥居から本殿まで続く松並木の間隔が、穏やかな歩みを乱すことのないリズムの節となっている。

初夏の木漏れ陽が、参道に松の木の翳を網状にかけている。稲佐の浜の微かな潮の香りを含んだ風が頬をなでていく。

人の世は悪戯だ。ふとした心の迷いや苛立ちに歩みのリズムが乱れてしまう。乱れた歩みは心を乱し、視界に入る景色も乱れ始める。

突然、男の人たちの荒々しい話し声と笑いが背中に貼り付いた。静寂な気持と穏やかな心が乱される。独りよがりの我がままだと分かっている。でも意識した不快感は簡単には拭い去れない。苛立ちは小さな塊となって心に住みついた。

鳥居で振り向き、男の人たちの影を避けてから本殿に向け深々とお辞儀をした。言葉もないお辞儀。男の人たちも話をやめ、バラバラだがお辞儀をする。小さな子が真似てお辞儀をする。一陣の風が吹き抜けた。ほんの少しスカートが広がった

二節 蘇りし出雲王朝 (古代出雲歴史博物館)

家族連れは、お店屋さんが並ぶ参道を一の鳥居に向かって進む。右手の駐車場に向かう男の人たちを目の端で見て、左手に隣接する『古代出雲歴史博物館』に向かった。

島根旅行を知った上司から、古代出雲歴史博物館の見学を薦められた。本当のところは時間のかかる博物館見学には行きたくない。ところが「アイディア出しは急に考えても生まれない、日頃の好奇心と既成概念の破壊が大切だ」のアドバイスに、名刺の肩書『マーケティング・クリエイター』の自尊心が少しくすぐられた。

広い緑の敷地ごと厳粛な神代の森に溶け込む『古代出雲歴史博物館』の建物。

入場のゲートを抜けると朽ちた大きな切り株が迎えてくれる。2000年に出雲大社の境内から発掘された直径1.4メートルもある大木を、3本束ね3メートルにした大きな柱。宇豆柱(うづばしら)と言う。出雲大社の境内にもそれを伝える丸い印があった。

何のための大柱か。その答えは次の部屋に展示されている。束ねた柱を9本使い建てた高さ48メートルの社殿。建築設計会社が柱をコンピュータ解析し、造り上げた縮小模型の社殿の柱だ。

地中から大柱が発見されただけでなく、『金輪御造営差図』として代々伝わる設計図のような御本殿平面図とこの大柱が整合した。どういう形の社殿かは別にして鎌倉時代の建築物で、『古事記』で伝えられるような高い社殿だ。

目の前の事実に驚かない人っているかしら。島根って、だから神々の県なのだ。

驚きは続く。次の部屋に入ると絢爛豪華な銅剣が迎えてくれた。幅10メールもある巨大な壁面全体に50センチ程の銅剣358本が眩いばかりに並んでいる。

1983年、出雲市の荒神谷遺跡から発掘された銅剣。一度に発掘された本数が、これまで発掘された銅剣の総数よりも多かった。そして約10年後の1996年、直線で3キロほど離れた雲南市の加茂岩倉遺跡から39口の銅鐸が発掘された。一か所からの出土数としては最多の数だった。

この発掘で今までの古代史の通説『近畿文化圏と北九州文化圏』説が見直され、出雲文化圏とともに複数王朝説が主流となった。古代史が大きく変わる発掘だった。

「そのとき、歴史は変わった」。確かにそうだ。

驚きと感動を上司にどう伝えようか。

「おい、マーケッターとしての感想をきかしてくれ」と好奇心にあふれた顔で話しかけるだろう。ありのままのことを報告すれば、哲学科出身の上司のこと、それは現象に過ぎない、本質を考えろ。「なぜ」を探して仮説を立てろと言うはず。

古代の生活文化コーナーの椅子に座って大きく深呼吸をした。困ったときや思考をやめたときの癖だ。出雲は「不思議」がいっぱい。私は、そんな不思議を一人で体感しようとしている。

上司の策略にまんまとハマった感じ。入社の時から何度も何度も言われてきた。本質を見詰めるのはテクニックでも方法でもない。自分の考え方や見方を変えることから始まると。意識を変る行動を起こすこと。もしかして、その体験が今回の島根の旅かもしれない。

→つづく

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