― 都の戌亥(いぬい)の方角にある隠岐諸島 ―
■旅のはじまりは「問い」
隠岐諸島旅の動機のひとつが、「なぜ、隠岐諸島には神社が多い」の疑問だった。これについては、当サイト『自然と観光』のなかで、稚拙ではあるが考えを述べさせてもらった。『疾風怒濤の情念の島・隠岐 四話神々の島、隠岐諸島― 180の島からなる隠岐諸島には、百余の神社ある ―』。あわせてご一読願いたい。
書きだしはこうである。
「総面積約346平方キロメートルの隠岐諸島には、現在100社以上(あるいは150社という話もある)の神社がある。江戸時代には約300社の神社があったとも伝えられている。(略)
神社が一番多い島が長崎県にある壱岐島(いきのしま)だ。周囲約130km、面積139.42平方キロメートル。公式に登録されているだけで150社以上、小さな祠を含めると千を超える神社が点在する。『延喜式神名帳』に記載される神社は、大社7座・小社17座の計24座(24社)。名神神社は6社ある。
朝鮮半島に近い対馬には、九州全体で98社うち約3分の1にあたる29社(大社6座、小社23座)が記載されている。
対馬と壱岐島を合わせると53社。九州の半分以上を占めることになる。」
ここでは神社参拝、また旅行で神社を訪ねる折、あるいは日々の散歩で寄る神社など、その神社の見方や考え方のヒントをとして、日本海の西側にある島(隠岐諸島・壱岐・対馬)を事例に『延喜式神名帳』を紹介する。
ただ初めに断っておくことがある。国内の神社は『延喜式神名帳』で紹介される神社だけではない、また八百万の神々を祀るように自然崇拝という形もある。あくまでも特定の時期、その時代の中央権力が、とある目的のために選別したことを、前提において考えてほしい。いわば、神社と私たちの関わりのひとつの目安、歴史の一面と認識する必要がある。

■日本古代史のおさらい
『延喜式神名帳』においても、隠岐諸島、および日本海西側に位置する対馬・壱岐の3島に、なぜ神社が多いのか考える前に軽く古代日本史をおさらいしておく。
古墳時代は3世紀中ごろから7世紀。飛鳥時代(都は奈良の明日香村)は592年から710年。奈良時代は平城京遷都の710年から794年。平安時代は平安京遷都794年から1185年、そして武士社会の鎌倉時代へ続く。
学校教育の『日本史』は石器・縄文時からひとくくりにして「日本国」とする。しかし、いったいなにをもって『国』としの成立とするのか、また「日本国」はいつからか。その定義とは。
近代以降は国際社会において独立国としての承認が目安となる。しかし、支配者が軍事的な戦いで変わり、領土が分断・拡大する古代・中世社会ならばどうだろうか。いつからヤマト国でなく日本国なのか。邪馬台国は日本なのか。
結局は今日的な価値観や政治史観で国の概念規定をするしかない。例えば、第一次世界大戦という用語は、第二次世界大戦があったからであり、1914年時に第一次世界大戦という規定は存在いしなかった。
さて、国として存在を規制する概念はなにか。いろんな考えがある。『憲法』とする考えもあるが、これは企業でいう「理念」「ビジョン」であって、重要だが国のあり方の方向を示しただけで十分ではない。ではなにか。議会か、法律か、税金・兵役か、司法か、さらには領主を名乗ることか。
日本国という組織の確立と始まりは、今日的には法律という「律令制度」の制定と施行だと仮定する。組織(国)として継続する機能と運営の機能を果たす、身体で言えば神経系統や血管・筋肉にあたる。「律令制度」よって民衆を治め、組織(※)という国を動かす。しかし、律令という法律だけでは国は維持できない。歴史や文化、教育、そしてそれらを全国で統一的に機能させる標準的な運営マニュアルが必要だ。さらに大衆をひとつにする宗教を含めたイデオロギーがある(これが厄介な課題だ)。
・補足 組織「organization」について
※『組織』の語源は、英語の「organization」やラテン語の「organum(道具、器官)」に由来し、ギリシャ語の「organon(働くための仕組み)」に遡る。働くための道具や、器官を指す言葉。元来、生物の体の一部(臓器)や楽器(オルガン)のように、役割を持った部分が集まって機能する「有機体」や「仕組み」を意味した。
この『有機的』が非常に大切な概念である。
有機体(オーガニック)の意味に注意してほしい。組織は単なる人の集まりではなく、常に進化・変化する「有機体」。有機体とは、生命機能を持ち、有機物から構成される組織体(生物)。単なる物質の集まりではなく、各構成要素が互いに関連・依存し、全体として一つのシステムとして機能している状態を指す。類義語には生物、生き物、生体など。
明治時代、日本語に翻訳するとき、織物の経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織り成される様子から転じて「人や要素を組み立てて構成する」ことを示す。
すなわち「組織」は、特定の目標を達成するために役割や機能を分化・統合し、秩序だった仕組みを持たせた集団を指す言葉となる。
それは生き物、オーガニックである。これを国の考えるときの中心に置かなければならない。国は独立した部品の集合ではない。
歴史の流れをみると次の出来事があげられる。仏教伝来538年、丁末の乱587年、大化の改新645年、大宝律令701年(大宝元年)、古事記編纂は奈良時代の712年(和銅5年)、延喜式神名帳は平安時代の927年(延長5年)。
天武天皇から持統天皇のあたりを起点として、今一度、日本史の本を読むと参考になる。
大宝律令で組織(組織化)としてのルールが定められ、『古事記』『日本書紀』『風土記』編纂を通して「国」の原型が物語化され、その運用マニュアルが『延喜式神名帳』だ。そこにはイデオロギーの統合としての仏教伝来からの神仏習合施策が含まれる。
■日本海に浮かぶ3島の事実
隠岐諸島・壱岐・対馬を考える前に、日本海側の島々を見ておく。
・日本海の島々
日本海側の島々を、北の方か順次南下すると次のように並ぶ。
・北海道・東北沖の島
利尻島、円錐形の利尻山(利尻富士)やウニ・昆布など
礼文島、「花の浮島」と呼ばれる高山植物
奥尻島、豊かな自然とウニなど
飛島、山形県唯一の有人離島
・北陸・中部沖の島
佐渡島、新潟県に所属する日本海側で最大の島で、佐渡金山やトキ
粟島、新潟県、自然が残る島
舳倉島、石川県の沖合にあり野鳥の生息地
・中国・山陰沖の島
隠岐諸島、島根県、島後と、3つの島(中ノ島、西ノ島、知夫里島)からなる島前
青海島、佐渡、隠岐に次ぐ面積で、海蝕による奇岩が多い。山口県に所属
・九州北方
対馬、リアス式海岸が美しく、国境の島
壱岐、『魏志倭人伝』に登場する島
このうち、佐渡島、隠岐、壱岐、対馬の4島の、『延喜式神名帳』に乗る神社について考えてみる。
次の表をまず見てほしい。神社の数は『延喜式神名帳』を基にした。

注目してほしいのは、日本海の西側の島、隠岐諸島・壱岐・対馬の3島は、他の島に比べて中央権力が認定した神社の数が際立って多い。さらに小さな島だが、「名神大社」(延喜式神名帳のなかで特に神威が高い神社。また国に重大な災難や異変が起きた際に臨時の祭祀を行う神社)も多い。
他の島と比較して多いという事実(比較した現象)が、3島の「重要性」と「意味」を示す。さらい中央権力が編纂した『延喜式神名帳』であることが、政治的な意味合いをもつ。
ものの見方は、まず何かを基準に比較することである。多様性の社会で価値は多様であり、見方も考え方もいろいろある。しかし、まず物事を考えるとは、比較とグルーピングは頭の整理になる。その次に、それぞれの個性や独自性、さらには読み取る側の考えを反映すると、そこに新たな創造の領域が生まれる。その意味で、ここでは「比較」をしただけであり、続きは皆さんの思考の深耕にある。
では、『延喜式神名帳』とは、「名神大社」とはなにかを歴史的に位置付け、そこから中央権力から見た3島の政治的・文化的な意味を探ってみる。
表『延喜式神名帳』にみる隠岐諸島・壱岐・対馬の神社についての査証や仮説については、あらためて掲載させていただく。というのも、不思議や疑問がありすぎ、まだまだ不思議や疑問を見つける可能性が大であるからだ。

■なぜ延喜式神名帳にこだわるか
『延喜式神名帳』とは、『延喜式』の巻九・十の一部を指す。
・『延喜式』とはなにか
『延喜式』は、平安時代の927年(延長5年)にまとめられた法制書。その時代の国家・社会・文化等の4つの領域に分け、それぞれに基準を設けてマニュアル化した。特徴として、次の四点があげられる。
① 律令国家の運営マニュアル
中国を模倣して7世紀から「律令国家」を目指してきた古代中央権力が、その集大成としてまとめた官僚制・行政システムの運用マニュアルである。
これ以後、時代は「摂関政治」や「武家社会」へと移行し、国家による大規模な法典編纂は途絶える。ある意味で古代律令国家の記録(遺言)である。
➁ 国が認めた神社基準
「神名帳」9・10巻に、北海道と沖縄を除く全国の神社のなかで、国が認めた由緒正しい神社を記載する。その神社を「式内社」という。
また、伊勢神宮の式年遷宮の決まりや、大祓の祝詞など、現在も神社で執り行われている祭祀の作法や形式が記載されている。神道儀礼の教科書的な役割を果たす。
③ 平安時代の社会の実態を数字で標記し、経済や暮らしを網羅
全国の産業マップが示され、「どの国から、どんな絹・魚・薬草を税として納めるか」の租税を明記する。また宮中のレシピ(調味料や食材の量)や染物の技術、薬の処方箋まで書かれている。
④ ほぼ「完全な形」で現代に残った記録
残った理由としては管理が優れていただけでなく、実用性の高さから戦禍から免れたと推測できる。後世の朝廷や武家(室町幕府や江戸幕府)など多くのところで、政治・儀式のマニュアルとして保管されためであろう。推測になるが、朝廷や武家にかぎらず地方権力者にも広く活用された結果ではなかろうか。
・『延喜式神名帳』とは
延喜式神名帳は、法制書『延喜式』の巻九・十で、全国の神社の一覧表である。
全国五機七道(京都・奈良の畿内と七つの幹線道路沿い)の国と郡別に分け、神社の名前や社格(大社・小社)、座数(神様の数)などを表記した。全国で2,861社(3,132座)が登録されている。神様の由来や詳しい由緒は書かれていない。
載っている神社を「式内社」と呼ぶ。古代の格式高い神社を示す証しであり、地方政治や中央権力から見た重要性を知る手がかりとなる。
・延喜式神名帳の目的は
中央権力の目的として三つが考えられる。
1 国家予算の維持と管理(経済的理由)
・本来すべての神社支配だが、国がお供え物を配る財政的な余裕がなくなった。
・そこで国がサポートする神社を厳選し、お供え物を渡す対象を明確にした。
2 地方支配の強化(政治的意図)
・地方の強力な神社を国のリストに載せ、朝廷の権威下に入れる。地方の神の一元管理と中央への吸収。
・神社の力を管理し、地方の反乱を防ぎ、国の威厳と権威を保つ(国家鎮護)。
3 宗教ルールの全国統一(マニュアル化)
・都(中央)でも地方でも同じルールで祭祀(お祭り)を実行。平準化と支配管理。
・バラバラだった全国の神社情報を、1つの法制書(延喜式)としてまとめる。台帳の整備。律令国家としての施策。
要約すると、グラつきだした天皇政治のなかで、「どの神社が重要で、どこにどれだけのお金を出すべきか」を1冊にまとめ、管理と支配のための実務的・政治的なリスト。権威を全国に示そうとしたのが目的である。
・当時の時代背景
『延喜式』(延喜式神名帳)の編纂を指示したのは第60代 醍醐天皇(延喜5年905)。実務は藤原時平(菅原道真を太宰府に左遷)だったが、完成を待たずに亡くなり、弟の藤原忠平が引き継ぎ延長5年(927年)に完成。
時代背景から考えると、10世紀初頭(平安時代中期)、薄れゆく天皇の権威と勢力を立て直すために具体的な国家運用マニュアル(延喜式)が必要とした。
1 律令政治の立て直し(延喜の治)
・9世紀後半、税の手抜きや不正が増え、法律(律令)が形骸化した。みだれた古い法律や手続きの見直し。
2 地方の乱れと不穏な空気
・地方では重税に苦しむ民衆による世情悪化。また武装する武士(武士の原型、のちの平将門など)が現れ治安が悪化(中央権力から見て)。そのため地方勢力をコントロールする必要があった。
・政治が不安定になり「神様の祟り」や「天変地異」に恐れ、全国の神社の力を味方につける必要があった。
3 「神仏習合」と「怨霊」への恐怖
・仏教と神道が混ざり合う中で、神社も「格付け(社格)」し、国家の序列に組み込む必要が生じた。
・都を追放した菅原道真が大宰府で没した後(903年)、都で落雷などの異変が相次ぎ神威への畏怖が高まった。神々を正しく祀ることが朝廷の最優先事項となる。怨霊信仰。この後、平将門の乱から将門の首の怨霊騒動となる。
・失敗か成功か
制度そのものは急速に崩壊し、失敗した。
朝廷が目指した、国の予算で全国の神社を管理する仕組みは、直ぐに機能不全に追い込まれた。原因は、財政の悪化と律令制度そのものの崩壊である。
延喜式が完成した直後から朝廷の財政はさらに悪化し、地方の神社にお供え物(幣帛)を配ることもできなくなり、国が神社を一括管理するシステムは機能しなくなった。そして中央の命令を地方に伝える「律令制」そのものが崩壊し、武士の時代へと移り変わった。
ただ、今日的な意味では、古代を知ることができる意義深く価値のある文書である。
第一に、神社にとって朝廷に認められたステータスとなる。1000年以上も続く「国家公認の神社」として認められた。
第二に、神名帳にあることで、中世や近世に神社が荒廃しても、のちの時代に「由緒ある式内社だ」として復興できた。
今回の3島の歴史的な意味を探る大きな参考になったことにも示される。
今後、全国の神社を参拝、見学する折に、モノの考え方、見方にとっても参考となる所以である。
・醍醐天皇とは
後醍醐天皇は、一般人(臣下)の身分で生まれて天皇になった唯一の天皇。第60代天皇(在位:897年〜930年)。摂政や関白を置かずに自ら政治を行う「天皇親政」を約34年間にわたって進め「延喜の治」を築く。
『延喜式』の編纂以外にも紀貫之らに命じた『古今和歌集』、国の公式歴史シリーズ(六国史)の最後となる『日本三代実録』を完成。また財政の立て直しとして私有地を取り締まる「荘園整理令」を最初に出した。
ただ、菅原道真の左遷(昌泰の変)などから怨霊への恐怖と悲劇的な清涼殿落雷事件などが起きる。

■まとめ
・「なぜ」はつづく
これまで述べたことでは、なぜ隠岐諸島・壱岐・対馬に神社が多いかの理由ではない。『延喜式神名帳』を編纂した平安時代中期(927年)以前から3島には神社が多くあり、さらに中央権力から見て極めて重要な神社として認定する政治的・経済的・文化的な位置にあったということだ。
なぜ、神社が多いか。
中央権力からの指示であったか。それともその地に暮らす人々が多種多様な神社を求める環境や内部抗争にあったのか。それは学者の皆様の研究にお任せしたい。
ただ、歴史認識のひとつとして、ある時代の、とある政治環境で生まれた権力者の手に寄る『延喜式神名帳』の中で示されている事実は、たとえ民衆や隠岐の領主が神社を建立したとしても、中央権力が重要と認めた神社が多いという事実には変わりない。
なぜ、重要であったか。
なぜ、他の島や地域に比べて「名神大社」(延喜式神名帳のなかで特に神威が高い神社。また国に重大な災難や異変が起きた際に臨時の祭祀を行う神社)が多いか。出雲国より隠岐諸島が多いのか。
地元行政の申請方式で政府が認可する今日的な判定とは考えにくい。明らかに中央権力から見た判断であると推測する。
その判断の基準として、『延喜式神名帳』編纂当時の時代背景として、怨霊への恐怖と悲劇的な最期を補足した次第である。そこには対外戦略としての大陸との関係、対内戦略としての政治混迷がある。そのなかで隠岐諸島・壱岐・対馬は、中央権力から見て重要な要であった。
では「なぜ」か。今の『島根国』にはその解はない。疑問は果てしなく続く。
・神社の見方
『延喜式神名帳』に記載されなかった石清水八幡宮 香椎宮、八坂神社、熊野那智大社、藍竈神社、大原野神社、北野天満宮、伏見稲荷等。あるいは『延喜式神名帳』以降の神社、太宰府天満宮、日光東照宮、鶴岡八幡宮等。
神社参拝の折、神社の歴史とともに、『延喜式神名帳』との対比で考え・推測されることをお薦めする。そこには中央権力との関りが微かだが見えてくる。
・『なぜ、なぜ、なぜなの』
今回の旅は、なぜ隠岐諸島には神社が多いのかの疑問に始まった。それは『延喜式神名帳』を通しても解決していない。さらなる『疑問』へと発展した。その疑問は『隠岐諸島とは何か』に繋がった。もちろん『壱岐・対馬』も同様であり、その真逆として『佐渡島は中央権力にとってなにか』にもつながった。
前回、『隠岐ジオパーク』を通して、地質変動からの生態系や風土文化を考えた。そして『島根国』の頭の中は魅力に富んだ『なぜ、なぜ、なぜなの』が渦巻いている。そこに人間史の『神社と延喜式神名帳』の『なぜ、なぜ、なぜなの』が混ざった。正直、『島根国』のレベルでは無理だ、というのがひとつの結論だ。
隠岐諸島、途方もない旅に出たものである。
それは、隠岐諸島に限ったことではない。島根県、さらには日本中、いたるところが『なぜ、なぜ、なぜなの』である。
旅は楽しい所以である。
私たち『島根国』の隠岐諸島の『なぜ、なぜ、なぜなの』探求はまだまだ終わらない。というより入り口にさえ立っていない。では他の地域は出来たのかと言えば、まったくできていない。まだまだ『なぜ、なぜ、なぜなの』のままだ。手さえ付けていない。
今回の隠岐諸島の旅は、この『なぜ、なぜ、なぜなの』という意識に出会える切っ掛けを得たことが最大の収穫かもしれない。
『分からない』ということではない。『分からない』ということに気づいたことだ。そして『分かったふり』をすることではなく、『分かろう』と行動し続けることを諭された。『分からない』から『分かろう』としつづける。だから『分からない』ことを肝に銘じる。
海士町の役場をお訪ねし、町長の大江和彦さんに「心ひとつに、みんなでしゃばる(引っ張る)島づくり」のお話を聴き、わずかだが島を見て歩いた。そして隠岐諸島の食に、出会いに堪能した。でも分からない。施策を読んでも、ここに暮らし、またここに来る移住の人々の息吹や情念をわずかに感じても、島の魂は分からないことが多い。
永遠に分からないだろう。でも分かろうとするのではなく、『なぜ、なぜ、なぜなの』を持ち続けて、また旅に出かけたい。それが、その町と出会う心構えだと教えられ、確信した。
『島根国』は、このサイトを訪れる多くの人々に、次の『なぜ、なぜ、なぜなの』を送り続けることに意味があることに気づかされた。そしてそこに『島根国』の存在理由があることに、あらためて気づくことができた。それは隠岐諸島に出掛け『なぜ、なぜ、なぜなの』に出会った第一の成果でもある。
皆様にも、この『なぜ、なぜ、なぜなの』の旅を堪能してほしい。
追記
文中でも述べたが、表【『延喜式神名帳』にみる隠岐諸島・壱岐・対馬の神社】についての査証や仮説については、あらためて掲載させていただく。というのも、『なぜ、なぜ、なぜなの』の不思議や疑問がありすぎ、まだまだ不思議や疑問を見つける可能性が大であるからだ。またご意見を頂きたい。



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