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5 島根半島・加賀潜戸と佐太神社(松江市)

-四つの異なる岩盤でできた島根半島の不思議と神-

事のはじまり

複雑な地形のリアス式海岸をもつ島根半島。東の端が松江市・美保関、西の端が出雲市・大社。それぞれの地から弓型の白洲の浜が列島へと繋がる。繋がった先に大きな山があり、大山(だいせん)と三瓶山という。半島と列島の間にあるのが中海と宍道湖。列島と繋がった島根半島には三つの断層が走り、四つの大地に別かれる。

かつてはアジア大陸に繋がっていた日本列島。何千億年の天変地異を経て地形も変化し、動植物も生滅を繰返し、人類がやって来て住み着いた。村ができ、村人は約束事を決め、食の安定のために自然を尊び、祖先を敬った。

暗闇に包まれた炎の前で、老人は爺さんや婆さんの話をし、その爺さんや婆さんが爺さんや婆さんから聞いた話を孫に話す。獲物が沢山とれた楽しい夜には勇気に満ちた輝かしい話を、飢えに悲しむ寒い夜には明日には獲物も沢山あると希望に満ちた話を。

稲作の拡大と生活安定で話も変わる。自然との規則正しい関係が、ひとの思考にも影響した。運任せの脈絡のない断片から、努力の積み重ねによる安定した連続した話へと。そこには約束や教訓めいたことも含まれた。恵みをもたらす自然への感謝と義務、怠ることへの畏怖と教え。やがて感謝や畏怖がお供え物という行動となった。老人の話す話も蓄積された連綿とした話となり、多くの人との繋がりで話も混じりあい、人類は想像という創作を知った。それが神話の原型となる。

ダイナミックな『国引き神話』

JR松江駅から大橋川を渡り、島根半島を北上すると一時間(車で)、紺碧の日本海が現れる。羽田空港から出雲空港に向かい機内から眺めると、大きく口を開けた巨大サメの歯のようなリアス式海岸が右手に見える。断崖絶壁の岬と湾曲に切り込んだ入り江。

これが神代の時代、八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノノミコト)が遠く朝鮮半島や隠岐の島、さらには能登から引き寄せて造り上げた「葦原中津国」の島根半島だ。『出雲國風土記』に残る「国引き神話」。

なんとダイナミックな話だろうか。山の上から遠くの大地に大きな鍬を掛け、えぐり取ると太い縄で引っ張り寄せた。その綱を縛り付けたのが今日の大山と三瓶山だ。

 ※『島根国』「風土記神話一話 国引き神話 ―出雲風土記」

島根半島

神話大国・島根の加賀潜戸(かかのくげど)

力持ちの神様に鍬で削がれ、縄で荒々しく引っ張られ、そして日本海の荒波に抗したからだろうか、海岸線は果てしなくゴツゴツとした岩場が続く。その一角にマサカヒメノミコトと佐太大神の神話の加賀地区・加賀潜戸がある。「潜戸」とは「洞窟」のことで、「潜戸鼻」と呼ばれる岬の先端には二つの洞窟がある。

加賀潜戸神話(後ほど紹介)、『国引き神話』の続きかと思いきや、まったくつながらない。これが「神々の国・島根」らしい神話大国の所以である。

・潜戸観光遊覧船と洞窟

潜戸観光遊覧船は、「マリンプラザしまね」から出航し、二つの洞窟をめぐる約50分の遊覧ができる。観光遊覧船から眺める紺碧の日本海と船頭さんの話す洞窟にまつわる神話は、美しい日本海の景色とともに、親と子にまつわる関係を説く。 (雨風の強い日は観光遊覧船が中止となります。事前に確認を)
岬の突端に位置するのが「新潜戸」、陸寄りの洞窟「旧潜戸」という。

「新潜戸」は、東・西・北の3方向に入口があり、全長二百メートルのトンネルで中ほどに鳥居がある。佐太大神(松江市鹿島町の祭神)がここでお成りになった(『出雲国風土記』)。「神潜戸」の別名もある。

「旧潜戸」は、上陸ができる。遊歩道とトンネルを進むと子どもの魂をまつる「賽(さい)の河原」がある。亡くなった子供が、親を思い、石を積んで塔を作る場所とされ、別名「仏潜戸」とも呼ばれている。

事前に「国引き神話」を読めば、紺碧な日本海と岩肌に、大地を引き寄せた八束水臣津野命の姿と意思をリアルに想像するだろう。それは果てしない海洋を渡ってきた人類の勇気と英知を想像させてくれる。
また旧潜戸では、幼くして亡くなった沢山の霊に静かに手を合わせて供養することも忘れずにすることだ。

  ※参考『島根国』「風土記神話二話 加賀の潜戸と佐太神社」

遊覧船
海原

・佐太大神の神話

枳佐加比売命(キサカヒメノミコト)が佐太大神を産まんとしたとき、弓矢がなくなっていることに気づいた。「生まれる子神が麻須羅神(ますらかみ)なら、なくなった矢よ、出てこい」と祈願すると、黄金の矢が流れてきた。この矢で洞窟を射抜くと、暗い洞窟が光り輝いたという。加賀神社(佐太神社の摂社)の旧社地で、現在も祠が祀られている。また、射通した矢は沖の島までとどき、的島(まとじま)と呼ばれるようになった。

さて、枳佐加比売命は赤貝の化身で、大国主命神話「因幡の白兎」にも登場する。

加賀潜戸の光
洞窟

佐太神社と田中神社

レンタカーで加賀潜戸に出かけられたならば、帰りに寄って頂きたいところが、洞窟でお生まれになった佐太大神を祀る『佐太神社』と手前にある『田中神社』である。

・佐太神社

正殿に佐太大神(別名・猿田彦命)、北殿に天照大神、南殿に素戔嗚尊を祀る。これだけでも大変な神様たちだが、これ以外にも沢山の神様が祀られている。『古事記』や『日本書紀』を読むと、呉越同舟の神社、あるいは超越した神社であることが分かるだろう。

素戔嗚尊を高天ヶ原から追放したのが天照大神。その天照大神が素戔嗚尊の六代子孫の大国主命が治める国を寄こせと(国譲り神話)取上げ、孫にあたるニニギノミコトの降臨の道案内をしたのが猿田彦命である。(ところが降臨したのが出雲ではなく高千穂)

また、佐太神社の位置が微妙だ。島根半島のやや中央に位置し、島根半島の東側の出雲大社に祀られる大国主命、西側に祀られる大国主命の息子神の事代主を祀る美保神社の間に割って入った感がある。

このあたりは、是非、既に紹介した当サイトの『出雲神話と神々』をご一読願いたい。

佐太神社

・田中神社

佐太神社を正面に見て、橋を渡るとすぐ右側に下ったところにあるのが「田中神社」だ。意識しなければ必ず見落とす。そんなこぢんまりとした神社だ。佐太神社北殿(天照大神を祀る)の摂社で、悪縁を断ち切り良縁を結ぶ二つの殿が背中を向けて建っている、全国でも珍しいパワースポットである。

祀られているのが女の神様で、花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)と姉の磐長姫命 (イワナガヒメ)。
「国譲り神話」につづく南九州を舞台とした「日向神話」に登場する。高天ヶ原から日向の高千穂に降臨した天照大神の孫の邇邇芸命(ニニギノミコト)。木花開耶姫命(妹)と結婚するが、一緒に輿入れしたのが姉の磐長姫命。妹神は美人だったが、姉神は醜かったので送りかえした。 そのむくいとして生命に期限が出来たという。このあたりは『古事記』を読んでいただきたい。

さて田中神社、佐太神社の御本殿に向かっているのが西社で花開耶姫命を祀り、縁結び・安産のご利益が、東社は磐長姫命を祀り縁切り・長寿のご利益があるといわれている。

参拝方法は佐太神社の社務所で祈願護符を求め、まず東社に参拝して悪縁切りを願い、次に西社に良縁を願い参拝する。東社・西社の間で願いを込め祈願護符を二つに割り、悪縁切りの護符は東社、良縁結びは西社へ結ぶ。

逆にしたらどうなるか? 分かりません。御参りしたから良縁が訪れ、開運が授かるとは限らないように、すべては貴方の心がまえと行動次第だ。

田中神社

おしまい

神話とは不思議な物語だ。
島根半島は、八束水臣津野命が遠く朝鮮半島や隠岐の島、さらには能登の四つの箇所から引き寄せて造り上げた。事実、島根半島には三か所の断層が走り、四か所の異質な地質でできている。
古代人は見ていたのだろうか。それとも既に地質測量の知識と技術を持っていたのだろうか。どちらにしても、神話と島根半島の構成は一致する。

物の見方には幾多の方法がある。本の読み方もいろんな視点がある。
この領域の知識を習得するために本を読む形もある。その延長が、この著者の考えを習得するために読書を重ねる方法だ。一方、考え方を模索しているときに、幅広く学ぶひとつとして参考にする読み方もある。あるいは反対だが参考のために読むこともある。

『神話』をどう読むか。日本古来の思想として読む方もいるだろう。古典の物語として読む方もいるだろう。ひとそれぞれである。

ここで提案したいのは、「なぜ、こんな考え方をしたか」「なぜ、このような考え方が成立したのか」といった疑問を原点にした読み方をしてほしい。

それが今回の神話と一体化した島根半島の地層だ。みなさまのユニークで、鋭い思考を楽しみにしています。

島根半島の地図
■潜戸観光遊覧船は、「マリンプラザしまね」
 島根県松江市島根町加賀地内 0852-85-9111

■佐太神社
 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
 e-mail info@sadajinjya.jp
 0852-82-0668(TELは午前8時30分〜午後5時まで受け付けております)

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