― 湖畔で思うまほろばの宴 ―
旅行にしでも、出張にしても、万全の準備だと思っても意外な物を忘れ、選択を間違ったりするのです。それに旅先の天候や環境の誤認に、宿泊所(ホテル・旅館)への思い込みもあります。違いに腹を立てることがありますが、そんなことも楽しい思い出です。地元の人との出会いや会話、親切や思いやりが心に染み入るからでしょう。
■灼熱と雷雨、高温多湿の日々(津和野・益田)
8月末(2023年)、『島根国』の取材と新たな出会いを求め、津和野と益田に旅立ちました。
灼熱の熱射と異常な高温、一日数回おとずれた雷雨とその後の多湿。取材だからと厚めのチノパンにワイシャツのいで立ち(ネクタイも準備)。暑ければ喫茶店に入れば凌げると思った安易な都会的な発想。予算の都合上(助成が得られなかった)、取材も撮影も交渉・計画も一人でこなすために撮影機材とは別に三脚・パソコンや書籍・資料、もしホームビデオが壊れたらと予備のホームビデオ一式で常時五キロ超えのビジネスリュック、そこに手持ちの着替えにお土産に現地で買い求めた書籍。輪をかけたのが私の好奇心とせっかく来たのだからあれもこれもの「ケチ」から生まれる探求心。範囲が広がっていきます。
まるまる三日間、重い荷物を担ぎ日陰のない一本道を二キロ三キロ歩いて取材先へ、終われば次の撮影場所へと三キロ四キロと歩きます。もちろん撮影のために山に登りました(山城)。高温多湿に首に巻いたタオルは重く濡れ、必ずおとずれるゲリラ雷雨でずぶ濡れです。物陰で着替えますが、流れる汗に意味はありません。700のペットボトルは二本三本と空きます。あの山には自販機がないだろうと予備も買いました。
さすが二日目は一部の移動にレンタルサイクルを使いました。ところが山から下るのは楽ちんですが、坂道を押して登るのは重労働です。何度、歩くのが楽だと捨てて行こうかと思ったことでしょうか。
こんな予期せぬことにも熱中症にもならず、挫けることなく取材と撮影ができたのは、訪ねた先々での労りの言葉と冷房に冷たい水、そして予想以上の楽しいお話が聞けたからでした。出会いに尽きると思います。
自分で言うのも恥ずかしいのですが、取材も撮影も頑張りました。でも若くはないことも教えられました。
二日目の昼食から喉も細くなり、夜のビールや日本酒も受け付けなくなりました(まったくではありません(笑))。楽しみにしていた津和野の酒でしたが、一銘柄を鮎で頂くだけでした。(それでも鮎は食べたかった)
ところが「知的好奇心」という欲は不思議なものです。胃袋が衰弱して食欲を失うとは真逆に、頭というか精神は「ハイ」になり、まだまだ頑張れるといろんな方にお尋ねしたくなるのです。訊きたくなれば訪ねます。この撮影と取材話は『島根国』にて随時、動画と文章で報告します。(津和野日本遺産、益田日本遺産、森鴎外、西周、雪舟、津和野という町、益田と柿本人麻呂、ディスカバージャパンと町、などなど整理中です)
こんなわけで大好きな地元のお酒を地元の店で頂くのは一軒でしか叶わなかったのです。それに夜になると店はほとんど閉まります。
■思い出の地で酒をのむ(松江)
疲れ切った私でしたが、松江に着くとかねてからの希望であった島根半島の海岸線にある「加賀の潜戸(くげど)」を訪ねました。佐太大神を祀る佐太神社と縁があります。個人的なことですが亡くなった高校の同級生の故郷でもあります。
※ 佐太神社の神話 当サイト、『出雲神話と神々 風土記神話② 加賀の潜戸』
8月も末の平日の昼、洞窟を巡る観光遊覧船は私一人の貸し切り状態です。亡くなった友人の知人や中学の同級生にも会いました。それが潜戸の遊覧を一層神秘的に、そして感傷的にしました。
思い出は人を感傷的にします。心の襞に新しい思い出を残し、そしてずっと気になっていた思い出を連れ去るのです。
通っていた高校には、中間・期末の試験が終わった日に映画を観に行く伝統がありました。高三の一学期、亡くなった友人から高倉健の任侠映画を誘われました。そんなに親しくもなく、話すこともなかった彼からの誘いは意外でした。すでに後輩の女の子と『卒業』を約束していた私は、なぜ誘ったかの理由を尋ねることなく断ったのでした。サイモンとガーファンクルの曲と共に、『卒業』の思い出は色あせることなく残り続けました。当時、入店を禁止された喫茶店で何を話したかは忘れたのですが、彼女の告白は憶えています。
それから四十年もたった年、小規模な同窓会に出席しました。二次会の帰り幹事でもある彼と二人になったのです。私の宿泊ホテルの方向と彼の行く方向が同じだったのです。松江を横断する大橋川に掛かる橋を渡り始めると彼は高校時代の身の上を話し、唐突に「なぜ、あの時、映画を断ったのだ」と問うたのです。「相談したいことがあった」と立ち止り、私たちが通った高校がある右手前方の空を眺めたのでした。思えば二次会のカラオケ・スナックの先に任侠映画の映画館がありました。[すこし話そうか]と帰郷の折には寄る店を指さしました。意外なことに彼は「またな」と人通りもない路地に消えたのです。それが彼と話した最後となったのです。指さした店の女将さんが別居中の奥さんであることを知ったのは、彼の葬儀に出掛けた友人からの電話でした。
この取材で私の肉体も内臓も疲れ切っていました。酒もほとんど飲めない状態でした。しかし、楽しい出会いと意義ある話に、そして広がる『島根国』の未来に精神はハイテンションの状態が続いています。
新しいことを始めるには年を取りすぎたという方もいます。たしかに肉体的には続きません。しかし、だからこそ精神は真逆に燃えようとするのです。若き頃は自己主張が特権だとしたら、年取った今は人の考えを聞き、生き方を見ることが大切だと思っています。そんな生き様もあるのではと思ってもいます。
宿泊の最終日、むしょうに温泉が恋しくなりました。身体も心も欲したのです。しんじ湖温泉のたちよりの湯もある「すいてんかく」の露天風呂と冷水を一時間ほど繰返したのです。それが私のパワーを呼び戻したのです。
整った身体と心で宍道湖の湖畔に座り、口にできなかった津和野や益田の酒を想像の中で飲みました。松江の酒も、奥出雲の酒も、出雲や大田や隠岐の酒も現れました。昨年、田部たたらの里の取材をした折にお聞きした新酒蔵のお酒も過りました。口にしていない田部竹下酒造の『奥出雲前綿屋(おくいずもまえわたや) 試験醸造 純米吟醸』です。本当の味は知りません(その夜飲みました)。『世界の花』『天界』も現れました。みんな美味かった。私の胃袋は復帰したようです。飲めなかった分、島根の酒が若き日の友の顔と一緒に次々と現れるのです。
酒はいいものです。酔えば酔うほどに今も昔も未来もみんな一緒にするのです。
来月(9月)、コロナ過で延期となっていた高校の「古希の集まり」が開かれます。誰が来るのか、何を話すか想像しました。酒を飲むほどに酔うほどに、きっと映画に誘った彼も来、断った理由を尋ねます。彼だけではありません。他高の友人も、年上のあの人も、年下の君も笑っています。これからの増々老いた私たちも来ます。酔えばすべて夢まぼろしなのです。
酒と出会いはこんな風に喜びと夢を連れてきます。だから人は旅立ち、一杯の盃に感謝するのです。
沈む夕陽を眺める前に、これから会う友やこれから飲む酒を想像し、友の待つ飲み屋に向け腰をあげるのでした。
■田部竹下酒造とは
2022年に誕生した新しい蔵元です。
田部竹下酒造の名前にある「竹下」とは、蔵元「竹下本店」のことです。
竹下本店は、大政奉還の前年の1866年、たたら製鉄の田部家から醸造権を譲り受け創業しました。「出雲誉」「出雲大衆」「我が道を行く」などの銘柄がありました。(当サイト『島根国』でも「食と酒 友からの酒に歯車が動きだす ― 胸襟を開くことができなかった宴 ―(我が道を行く)」としてとりあげています)
竹下登元首相や歌手のDAIGOの生家である「竹下本店」ですが、後継者不足により事業を田部家に譲渡(返却)し、2022年、田部竹下酒造が設立されました。田部家については、当サイト『地方創生の活動 地域創生と市場創造を目指す「たなべたたらの里」(雲南市吉田町)』をご覧ください。
「本能的に美味いと響く理(ことわり)を追求する」を酒造りの姿勢とし、「33歳の濱崎杜氏を迎え、11月に1本目の新酒を仕込み、年末に「試験醸造酒」が完成しました。初年度となる2022年から3期目の2024年まで旧竹下本店の設備で80石ほどの醸造を計画し、2025年からは新蔵での醸造を開始する計画です」(webサイトより)
試験醸造酒
株式会社田部竹下酒造 (雲南市掛合町)
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