東海道五十三次。江戸の日本橋から京の三条大橋まで124里8丁、487.8キロあります。
日本橋を起点とすると2里のところが最初の宿場、品川宿です。江戸時代、93軒の旅籠がありました。もう休むのかい、と思うのは現在感覚。旅立つものは、ここで言付を頼まれ、宴を開く。江戸に上るものは、旅で汚れた衣を着替え、訪問先と事前に下打ち合わせを行う。人が来れば人も迎え交わります。
もちろん交通拠点の宿場町です。人が交わるだけでなく、荷も来れば、商いもあり、おのずと歓楽も生まれます。旅籠といっても遊郭も含まれ、幕末には沢山の遊郭があったそうです。となると旅目的ではなく、旅にかこつけての遊びや密談もあったことでしょう。このあたりの宿場町物語は、ジョージ秋山の漫画『浮浪雲』をご覧ください。ご参考までに、五代目古今亭志ん生の落語『品川心中』も上げておきます。
『浮浪雲』。幕末の品川宿で問屋を営む『夢屋』の主人・雲。仕事は妻のかめに任せぱっなしで、酒と女好きの陽気な遊び人。ところが裏ではめっぽう腕が立つ仕込み杖の居合の達人。ひと声かければ「東海道の雲助が集まる」人望もある。そんな男だから討幕(坂本龍馬など)、佐幕(勝海舟など)に関係なく付き合ういなせな男。テレビドラマでは、夢を渡哲也、かめを桃井かおりが演じました。
品川宿を散策される折には、一巻一読されると想像も楽しさをますのではないのでしょうか。
第一京浜沿いの小山の上に品川宿と旧東海道、今は見えない東京湾を眺めるように品川神社があります。映画『シン・ゴジラ』でも品川神社が取り上げられています。東京湾から上陸するゴジラから逃げる人々が、品川神社の石段を駆け上ります。余談ですが、品川神社の奥を御存じの方は登らないでしょう。真偽はご自分の眼でご確認ください。
品川神社は、東京十社のひとつで、また東海道七福神のひとつです。ここにヤマタノオロチを退治したスサノヲ(素戔嗚尊)も祀られています。
祀られている神様は、つぎの三神です。
天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
宇賀之売命(うがのめのみこと)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
建立されたのは、1187年(文治三年)。
鎌倉幕府成立を「いい国造ろう源頼朝、1192」と憶えた世代ですが、今は「1185年」と教科書に掲載されています。1192年は頼朝が征夷大将軍に任命された年で、1185年は頼朝が守護地頭を任命する権利を獲得した年です。地位名より政治経済の実利的権限(荘園制度の崩壊へ)に、歴史分析の重点が移った証です。
1187年(文治三年)の鎌倉時代のこと。頼朝が海上交通の安全の守護神として、安房国の洲崎明神より天比理乃咩命を勧請しました。
1319年(元応元年)には、産業の守護神として宇賀之売命を勧請します。
1478年(文明10年)、川越の氷川神社にもかかわった太田道灌(※)が素盞雄尊を勧請します。ここから6月の天王祭が始まったと伝えられています。
※大田道灌と出雲の神様については、当コーナーの「七回、埼玉と江戸との結び目、氷川神社」「十三回、新宿西口の激変を見守ってきた十二社熊野神社」等をご覧ください。
境内には本殿以外にも貴重なものがあります。
・鳥居
お正月の箱根駅伝で有名な第一京浜から、仰ぎ見る急な50の石段がつづきます。
石段の前に、龍が施された珍しい石鳥居「双龍鳥居」があります。左右の端で一礼してからじっくりご覧ください。左の柱は昇り龍、右の柱は降り龍が彫刻されています。「東京三鳥居」のひとつです。
・猿田彦神社
猿田彦神について、『古事記』ではこんな紹介がされています。大国主が天照大神の命に「国譲り」を承諾すると、高天ヶ原からアマテラスの孫になるニニギが降臨します。その先導役を担ったのが猿田彦神です※。
※当サイト『出雲神話と神々』「九話 国譲り①」から「十二話 国譲り、その後」までをご覧ください。
その猿田彦神社が富士塚のところにあります。
・浅間神社
富士塚へと上る石段の脇にあるのが浅間神社です。(本殿への参拝後にお参りしてください。また富士塚に登るのも同じです)。
祀られているコノハナサクヤヒメは、降臨したニニギの求愛を受けます。父は美しいコノハナサクヤヒメとともに醜い姉も差し出します。ところがニニギはコノハナサクヤヒメとのみ結婚し、姉を送り返したので。そのために・・・。この続きは『古事記』『日本書紀』をご覧ください。
・富士塚
富士山に登らなくても同等の御利益を頂けるのが富士塚信仰です。富士山詣でのできない庶民のために、江戸時代は「お富士さん」と呼ばれた富士塚がありました。今は、ミニチュア富士とも言っているようですが、「お富士さん」に親近感を感じますね。
一合目から目印があります。五十ほどの石段ですが、急で狭い石段です。転倒にはくれぐれも注意してください。
頂上から見る景色は予想より良かったです。かつては、ここから富士山も拝めたことでしょう。
・ぶじかえる
「交通旅行安全守護」の御利益があります。これまでの神社参拝や島根旅行の無事のお礼を伝えました。撫でるべきかと思いましたが、このご時世、控えさせていただきました。
・宝物殿や神楽殿
品川神社の「太太神楽」は、徳川家康が関ヶ原の戦い向かう折、戦勝祈願として奉納されたものです。東京都の文化財に指定されています。
・「七つ石鳥居くぐり」
境内には七つの鳥居があります。彼岸中日に、七つの鳥居をくぐり無病息災を祈るそうです。一つ目の鳥居が、阿那稲荷神社の赤い鳥居の前の石の鳥居です。
・阿那稲荷神社
「一粒万倍の泉」。家業の繁栄を祈り、お金や印鑑に注ぐことも吉、持ち帰って家の四方にまくと商売が吉とのことです。地元の知人いわく、お金を洗って地元商店街で使用すると、万倍になって戻ってくるそうです。皆様確認してください。
・板垣退助之墓
「板垣死すとも自由は死せず」の自由民権運動家の板垣退助の墓が、品川神社の宝物倉庫の裏側にあります。お寺の移転や区画整理で、品川神社の境内を通らないと行けませんが、品川神社とは無関係です。
お参りした折、お酒が置かれ、きれいに掃除がされていました。後藤象二郎の墓石(青山霊園)とよく似ています。
・土蔵相模
江戸時代の品川宿は「旅籠百軒」といわれ、「相模屋」は旧東海道に面した品川でも有数の遊郭妓楼でした。外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで「土蔵相模」と呼ばれています。
1860年(安政7年)の桜田門外の変で襲撃をした水戸浪士は、ここで訣別の宴を開きました。
1862(文久2年)の品川御殿山に建設中のイギリス公使館焼き討ちの際、長州藩主高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らは、ここで密議の宴を上げ、出発しました。
そんな歴史的な建物で、昭和初期までありましたが、現在はマンションになっています。
水戸浪士や長州藩士の志士と土蔵相模の遊女との逸話は、幕末物の小説の一ページを飾っています。皆様で司馬遼太郎などお読みください。
・旧東海道
地元の皆様の協力で、旧街道沿いに松が植えられています。案内所も整備されています。品川神社や、近々ご案内します荏原神社参拝の帰り、東京湾のアナゴを食べるかたがた周辺を散策するのも楽しいと思います。歩けば、品川まで直ぐです。
品川神社 天比理乃咩命 宇賀之売命 素盞嗚尊 東京都品川区北品川三丁目7-15 最寄り駅 京浜急行「新馬場
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