目次 序 弁慶伝説のはじまり 壱 弁慶誕生の巻 三月三日桃の節句 弐 弁慶成長の巻 強い弁慶には訳がある 箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉) ①伝説に向かいし群像たち ②一瞬を駆け抜けた群像たち 参 弁慶凱旋の巻 義経の元を離れた訳は 箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉) ③『四都伝説』の意義 ―旅の心得― 四 弁慶、義経、静御前、北帰行の旅路(義経北帰行の道) 五 弁慶、義経、静御前、北帰行の旅路(義経飛翔伝説の道) 跋 弁慶、義経、静御前、永遠に
弁慶にまつわる伝承は、宍道湖・中海・大山(鳥取県)にまたがります。
弁慶は、仁平元年(1151年)3月3日の桃の節句に生まれました。松江市内から美保関に向かう途中、中海に面した松江市長海(ながみ)町に、現在、「弁慶森」と呼ばれる小山があります。ここが誕生の場所です。松江駅から車で20分強のところです。
弁慶の母の名前は「弁吉(べんきち)」。紀伊國(和歌山)の田辺に生まれました。奇しくも弁慶誕生の伝説の地としてあげられた国です。
母・弁吉は、紀州(和歌山)田辺の郷士・誕象(たんしょう)の娘です。ところが、器量が悪く結婚相手が見つかりません。困った両親は縁結びの出雲國に旅立たせることにしました。
弁吉は、両親が熊野権化に祈って授かった娘です。熊野権化の主祭神の一柱は、家津美御子(けつみみこ)で、素戔嗚尊(スサノヲ)のことです。元々出雲に縁があったのです。今流のラノベ(ライトノベル)なら「責任とってよ~」といったところでしょうか。
安来市の出雲路幸神社に来た弁吉は、七日七晩の願をかけました。
「出雲路幸神社」は、京都の同志社今出川キャンバスの近く、寺町通今出川上るにもあります。さらに少し上る鞍馬口通りの加茂川にかかる橋が「出雲路橋」です。平安京ができる以前、この辺り出雲氏が暮らしていたと伝えられています。出雲阿国(いずものおくに)も暮らしていたのではという逸話もあります。偶然かもしれませんが、近くの本満寺には、尼子家の家臣・山中鹿之助の墓があります。山中鹿之助は、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に誓った戦国武将です(自然と恵み「さぎの湯温泉」に関連記事があります)。出雲とは非常に縁の深いところです。また弁慶と山中鹿之助とを関係づける逸話もあります。
弁吉は満願の夜に神の声を聞きます。その啓示に従い枕木山の麓の長海村に行き、暮らし始めます。
三年過ごしたある日、突然、若い山伏が現れます。出雲の神の結びで来た夫だと名乗り、桃の枝を渡すと弁吉とともに空高く舞い上がりました。懐妊した弁吉は鉄を欲しがり、鍬をかじります。十枚目の鍬をかじっているときに弁慶が生まれました。身ごもって十三か月目の3月3日の桃の節句(1151年)のことでした。
鉄分を必要とするのは理解できます。なぜ鍬を食べたのでしょうか。「たたら製鉄」と結びつけたのでしょうか。京都の清水寺には弁慶の金棒と鉄下駄があります。強靭さの象徴でしょうか。
牛若丸に会うまでは乱暴者であった弁慶の誕生日が桃の節句なんて、と可笑しなことですね。でも、ひな祭りは女の子のための行事ではなく、「五節句(ごせっく)」の「上巳(じょうし)の節句」です。
古代中国や日本では、季節の変わり目に次の季節を無事迎えられるようにと「節句」といい節目をつくりました。かつては沢山あったようですが、江戸時代に5つに絞り「五節句」としました。
五節句は、1月7日の「人日(じんじつ)の節句」、3月3日の「上巳(じょうし)の節句」、5月5日の「端午(たんご)の節句」、7月7日の「七夕(しちせき)の節句」、9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」です。
3月3日の上巳の節句は、川で身を清める習わしがあり、禊祓(みそぎはらい)の考えとして定着しました。桃の節句となったのは、この季節に桃の花が咲いていたからです。
弁慶の出生日が3月3日としたのは、禊払いの願いを込めたのではないのでしょうか。
では、なぜ禊払いをする必要があったのでしょうか。
さて神の子・弁慶、生れた時から超人でした。すでに髪は長髪ふさふさ、歯はサメのように二重に生えそろい、右肩には「大天狗」の文字がありました。さらに一部を除き全身鉄で覆われています。完全でないのは、弁吉が十枚目の鍬を食べている途中に生まれたからです。そこが、「弁慶の泣き所」で脛でしょうか(?)。
また産湯も弁慶自らが井戸を掘り、汲み上げたそうです。
さて、昔話というと「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさん・・・」といった曖昧な始まりが定番です。ところが、島根の弁慶伝説は具体的です。「弁慶誕生」を新聞記事風に1H5Wにまとめると、こんな感じでしょうか。
これだけ具体的だと、この伝説になにか目的と意図を感じませんか。また、そこが弁慶伝説のおもしろいところです。
弁慶が誕生した本庄の「弁慶森」を紹介します。
JR松江駅から車で20分強、赤貝で有名な中海に面した庄原の町です。
弁慶森の入り口から山道を少し進むと苔むす石段が続きます。大木に包まれた平坦なところにでると、石でできた小さな祠があります。弁吉が祀られている弁吉女霊社です。玩具の刀が数本と木製の薙刀が二本供えられ、安産祈願と書かれています。
かつてはこの祠に、弁慶自筆による弁吉の来歴や弁慶出生にまつわる話や、弁慶が修行を終えて諸国修行に出るまでのいきさつなどしたためた長文の巻物「願文(がんもん)」が納められていたそうです。貴重なものなので明治以降は、弁慶森から250メートルほど出たところにある永見神社に移転・保管されています。長見神社の拝殿に、願文のコピーが展示されています。
さてさて、この弁慶、どのように成長したのでしょうか。それは「二話弁慶成長 強い弁慶には訳がある」に続きます。
※掲載写真について
「本庄の町」「枕木山」は、鳥谷芳雄氏より提供して頂きました。著作権は鳥谷芳雄氏に帰属します。
美保神社のある美保関、大根島の由志園、水木しげるロードなどの見学コースに弁慶伝説を加えてください。
美味しい海産物や鰻料理を堪能できます。
⇒つづく
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