目次 序 弁慶伝説のはじまり 壱 弁慶誕生の巻 三月三日桃の節句 弐 弁慶成長の巻 強い弁慶には訳がある 箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉) ①伝説に向かいし群像たち ②一瞬を駆け抜けた群像たち 参 弁慶凱旋の巻 義経の元を離れた訳は 箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉) ③『四都伝説』の意義 ―旅の心得― 四 弁慶、義経、静御前、北帰行の旅路(義経北帰行の道) 五 弁慶、義経、静御前、北帰行の旅路(義経飛翔伝説の道) 跋 弁慶、義経、静御前、永遠に
前回の『弐、弁慶成長の巻』で、叔父の刀匠成相定恒に打たせた長刀を手に、母弁吉の生国である紀伊國へと向かった弁慶でした。
ここで、島根の『弁慶伝説』を三倍楽しむために、『伝説』と弁慶の生きた時代について(源平合戦とその後)少しふれておきます。
民俗学者の柳田國男先生が、伝説と昔話について面白い説明をしています。
伝説が植物ならば、昔話は小鳥に似ている。伝説には生えている松の木のように、その地の自然や文化で育った独自な情趣がある。昔話はどこにでも飛んでく小鳥のように、全国至る所に同じような形式で話が残っている。沢山の話に触れてこられた現場主義の柳田國男先生ならではの含蓄ある言葉です。
さて、松江市の『弁慶誕生伝説』には、柳田國男先生のご指摘される、ここで生まれる理由があり、残る訳があります。
柳田國男先生の話を踏まえて弁慶伝説存在の理由を、「①伝説に向かいし群像たち」(伝説について)と「②一瞬を駆け抜けた群像たち」(歴史について)の二回に分けてお話します。
いかなる伝記も、その人物だけを描いた作品はありません。主人公とは別に、主人公が戦い・競争する相手(問題・課題)と、主人公を助け支援する人物(知恵・創造)が現れます。昔話は割と単純な三角関係(3人の人物の関係という意味)の構造です。例えば、桃太郎の場合、鬼と犬猿雉。一寸法師は鬼とお姫様。浦島太郎は快楽(乙姫様)と時間(玉手箱)。
これが伝説になると三角関係が幾つかでき、それぞれに物語が生まれて複雑になります。真の敵が現れ、仲間が裏切り、新たな味方が現れ、敵の娘と恋に落ち等々。しかし、構造を紐解けば三角関係を増やし、重ねただけの構造です。
物語が映えるのは、三角関係構造がしっかりできているかどうかです。映画がいい例ですね(『ハリウッド脚本術』が参考になります)。
さて、伝説には構造とは別に次の三点も大切です。
「弁慶生誕の伝説」といっても、数奇な誕生と、怪力で村の人たちに迷惑をかけ、やがて修行して立派な僧侶となり京に上った。そんな程度の話では『伝説』にはなりません。聞いても、「あっそう。それで」でしょう。貧しいが親孝行の子供いて、やがて大金持ちになる。そんな昔話の類です。
時代を越えて存続し、全国区の伝説になるには理由があります。
京に上った弁慶は源義経に出会い(五条の橋)、家臣となって平家滅亡(源平合戦)の働きをします。しかし兄頼朝の理不尽な怒りに、義経を助け奥州平泉へと逃亡しました(安宅の関)。極めつけは衣川の戦いにて義経を守り、立ったまま亡くなります(弁慶の立ち往生)。忠義と勇敢な生き様をもつ弁慶の人生です。
弁慶誕生の秘話が伝説として残ったのは、この後半の華々しい人生があるからです。むしろ、義経出会い後の人生が松江誕生を意味付け、伝説としたのです(紀伊國田辺説も同じ)。
人生の一部分だけを見るのでなく、人生の全体に位置付けて弁慶伝説を理解し、楽しみましょう。
弁慶に限らず誰でも一人の人生話は存在します。しかし社会や歴史から見れば、弁慶の人生は義経がいたから存在したと云っても過言ではありません。弁慶を理解するためには、義経の伝説を知り、義経の関係で弁慶の言動を推理することが、より弁慶伝説を面白くします。また、悲しくもなります。
弁慶の伝説だけに限ることではありません。人は一人では生きていないのです。多くの人に関わり、社会に生きることで、互いに影響しながら成長し、社会を構成しています。すべての伝説は、その当事者の生き様だけでなく、そこに係わる人々の生き様、そして社会環境を理解することで、より伝説の人物の考えや生き様を知ることになります。
義経とともに生き抜く弁慶の姿を通して、幼児期の弁慶の心や行動の訳を推理してみましょう。父山伏は何を伝えたか、母弁吉の愛はどう伝わったか、村の人々とのいざこざの原因はなんであったか。枕木山の生活、そして名刹での修業はなんだったか。その解は、義経と共に過ごした後半の人生の中にあります。
弁慶のイメージは、義経との関りだけで形成されません。義経と静御前の悲恋話によっても記憶に残ります。義経の子を宿しながらも頼朝の前で舞う静御前の苦悩。義経へ一途な思いを詠った歌。赤ん坊を由比ガ浜に捨てられ一人鎌倉を去る結末。さらには頼朝の妻北条政子の存在。一方、敵方でもある平宗盛や知盛、後白河法皇、源頼朝、北条義時、藤原秀衡の生き様や関係によっても描かれるのです。そんな歴史のトータルな中に弁慶伝説は存在するのです。
弁慶誕生の伝説は、弁慶の生涯だけでなく、同時代を生き抜いた義経や静御前の悲しみ、そして多くの名もなき人々の喜怒哀楽が底辺を支えているのです。
鎌倉幕府を書き留めた『吾妻鏡』など書物もあります。しかし口頭伝承を中心とした時代では、書物を目にするのは一部の特権階級です。大衆は口頭伝承か芝居小屋です。そこで沢山の大衆に受け物語だけが広く伝わり、繰返し上演されるのです。受けなければどんなに素晴らしい話でも広まることもなく消えます。語部(かたりべ)も受けなければ語りません。
松江弁慶伝説には、枕木山の祠をはじめ小島の弁慶島や「願文」があります。研究者には宝物でも、大衆にとってはどうでしょうか。弁慶伝説は遺跡があったからではなく、残る理由が別にあり、遺跡が存続の媒介を果たしたとするほうが正解です。
その別にあった理由が、大衆が気に入った物語です。今でも変わりません。
平家滅亡となる壇ノ浦に代表される瀬戸内海での源平合戦であり、『判官びいき』と言葉に残った義経と頼朝の確執であり、歌舞伎の『安宅の関』に代表される義経逃亡であり、義経と静御前の悲恋の吉野山と鎌倉等々です。そんなドラマチックな物語に係わった弁慶だからこそ人々の心に残り、松江の『弁慶生誕伝説』は語り継がれたのです。
伝説は、そこに暮らす人々の興味と心を抜きには存在しません。伝説とは、大衆が育て、語り継ぐのです。柳田國男、折口信夫、南方熊楠、金田一京助、文化人類学者のレヴィ=ストロースたちが現場を求めたのは自然なことです。
しかし、大衆の自然発生性によって伝説が生まれ存続するには厳しいものがあります。そこには伝説を活用しようとする大なり小なり活用者(あるいは時の権力者)の存在があります(場合によっては人ではなく集落の意思や掟である)。権力者の活用として考えるトップダウンと、大衆からの願望というボトムアップが、上手く融合した話が継承され『伝説』として残ります。伝説が残る条件です。
注意することは、すべてがすべてこの関係構造があって始まるのではありません。当初は大衆の中で語部が伝えて広まった話もあります。消えるものもあれば、その地独特の言い伝えとして残も話もあります。
伝説として残るのは、伝説がいろんなものを巻き込んで自立した権力やイノベーションへと変容するのです。話は自然発生的に村落の掟(不文律)となり、村民が互いに監視し合う秩序の役目を果たこともあります。また知恵者が現れ、伝説を媒介として村落の支配や拡大、団結を図る道具ともします。制度の面だけではなく、尊敬と繁栄の「祭り」にも発展します。伝説は伝説という話だけでなく、掟や娯楽、そして制度や文化に姿を変容して残るのです。祭りが非日常性ゆえに時としてエネルギーの爆発を生むのも、伝説に整理されない情念が内在されている証です。
さらに、人の手(意思)によって掟も祭りも、機能的で効果的なものへと変容します。伝説に係わる祭りはエンタテインメント性を帯び、集客を図る運営者の創意と楽しみたいと思う参加者の願いが一致し、いろんな人を巻き込んでいきます。それは伝説の新しい発展であり伝説の普及です。
2012年に実行された『神々の国しまね 古事記1300年』。島根県とプロデュース会社がいて(トップダウン)、協賛するお店やファンがいる(ボトムアップ)。その相乗効果で島根訪問者の拡大と集客を図りました。古事記1300年のコンテンツ、県とプロデュース集団、支援団体という三角関係の構造です。
伝説は忘れられないために、いろんな人や集団によって活用されます。しかし、すべてがすべてうまく進むのでもありません。伝説を支える大衆という人々が評価を下すのです。
さて、弁慶伝説はいつごろ生まれたのでしょう?
詳細は②の「瞬間を走り抜けて群像たち」で紹介しますが、弁慶誕生が誕生したときでしょうか。それとも母弁吉や自分の経緯を弁慶自身が書き留めた「願文」(弐にて紹介)が見つかった日からでしょう。
そんなことはありえません。そんなころの弁慶に大衆は興味をもちません。持ち始めるのは、弁慶が義経に従って平泉で亡くなった以降です。弁慶の偉業が義経と共に残ってからのことです。
弁慶と義経誕生から鎌倉幕府滅亡までの年表をご覧ください。
次回、『弁慶伝説』はいつ誕生したかのお話をします。(これ私どもの仮説ですので)
⇒つづく
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