目次 序 弁慶伝説のはじまり 壱 弁慶誕生の巻 三月三日桃の節句 弐 弁慶成長の巻 強い弁慶には訳がある 箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉) ①伝説に向かいし群像たち ②一瞬を駆け抜けた群像たち 参 弁慶凱旋の巻 義経の元を離れた訳は 箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉) ③『四都伝説』の意義 ―旅の心得― 四 弁慶、義経、静御前、北帰行の旅路(義経北帰行の道) 五 弁慶、義経、静御前、北帰行の旅路(義経飛翔伝説の道) 跋 弁慶、義経、静御前、永遠に
伝説は、ほっておいても存在し、成長する雑草のような「植物」ではありません。人の手を、自然の摂理の影響を受ける「植物」です。みなさまが触れ、読まれた「伝説」も、多くの人びとの思いや手がかかり、時代の洗礼を受けてきました。そんな隠れた部分を覗いてみると、伝説を訪ねる旅はもっと楽しくなることでしょう。
伝統は、民衆が支持しなければ語り継がれることなく消え去ります。どんなに為政者のプロモーションや教育があっても、民衆の心の中まで刷り込むことはできません。また、語り継がれる過程で、民衆に受け入れられるかどうかで語部は再編集します。異なる物語と融合し展開が広がることもあります。柳田國男先生の指摘される成長・変異する「植物」の所以です。
残るにも理由があります。民衆が、時の為政者が、時代が要請するのです。たとえば、民衆にとってはヒーロ待望であり、村の長にとっては不文律の戒めであり、為政者にしてみれば存在の正当化であり、求める人間像でしょう。
弁慶誕生の伝説は、いつ頃生まれしたのでしょうか。そしてなぜ消滅しなかったのでしょうか。そこから、旅するみなさんと一緒に考えてみましょう。
鳥谷芳雄著『歴史の風景を読む』(報光社)の「三、弁慶伝説のある風景」を参考にします。
弁慶伝説を取上げた史料を年代の古い順に13件紹介してあります。詳細は書籍を読んでいただくとして、当書籍から最も古い史料二点の概要を転用します。
『四国落』(幸若舞曲)
『四国落』がもっとも古い表記として取り上げられています。「この舞曲の上演史料の初出はいま知られている範囲で、天保八年(1580)二月二五日である」(『歴史の風景を読む』131頁)
幸若舞曲とは、室町時代から江戸時代初期にかけて流行った芸能のひとつで、能や歌舞伎の原型ともいわれています。 題材は、源平合戦や、源義経の物語、曽我兄弟の仇討ちなど、武将の活躍が中心です。『敦盛』は特に好まれ、織田信長のドラマは必ず演じられます。(※)
※「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」(人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり)。桶狭間の戦いの前夜、今川義元の尾張攻撃を知り、信長が『敦盛』の一節を唄い舞ったと『信長公記』に記述があります(1560年6月12日の前日です)。
『敦盛』は、1184年の一の谷の戦にて、源氏方の武将熊谷直美と平家方の元服間もない平敦盛(16歳)の一騎打ちにまつわる話です。戦う前より勝敗は明らかな力の差でした・・・この後は、無常さに悩むこととなりますので、みなさまでお読みください。
『四国落』は、頼朝に追撃される義経一行が船にて西国へと脱出をはかりますが、暴風にあい、平家の怨霊が現れます。それに立ち向かう弁慶の口上です。
ここで弁慶は、自分の生まれは「出雲の国枕木の里」で、三条京極で育ち、天台山(比叡山)で学んだと伝えます。興味のある方はインターネット上にもありますのでご確認の上、ご覧ください。
次に古いのが、『中務大輔家久公御上京日記』に記載された天正三年(1575)六月二二日です。
薩摩の領主島津貴久の四男又七郎家久の伊勢参りからの帰路の旅日記です。
「前日、大山参詣などをして米子で泊まった。当日の明け方、舟で中海を出雲の馬潟村で関料をとられていくと、手前に大根島、その向こうに枕木山がみえ、『枕木山とて弁慶の住し所有』とある」(同書117頁)。
新たに古文書が発掘されると歴史評価は変わります。現時点でこの二編を「弁慶伝説」が存在するともっとも古い史料とします。
さて、1575年ごろはどんな時代でしょう。
1575年、三河国の長篠城(今の愛知県新城市)をめぐって、3.8万の織田信長・徳川家康連合軍と1.5万の武田勝頼が戦った「長篠の戦い」がありました。
勝敗は戦国時代の大きな分岐点となります。勝利した信長は、越前一向一揆を治めると反信長勢力を屈服させ、天下人として名乗りを上げます。敗れた武田家は北条家と同盟を結びますが、衰退の道をたどります。時代の大きな変換期です。
海外との交流から技術や思想、文化が幅広く輸入され、農業とは別に商業・工業が著しく発達します。信長の台頭は、根源的な時代の変化の中で、どんな武将よりも早く明確に「天下統一」のイメージをもち、時代の変化を読み切ったからです。従来の常識や方法を否定した戦いや、既存体制(足利政権)を否定した天下統一の戦略に顕著に表れています。そのころ中国地方は毛利家の支配下でした。
ところで、芝居で演じられ、聞いた話を日記に記載するということは、すでに民衆のなかで弁慶伝説が口頭伝承されていたからです。しかし、口頭伝承ゆえに始まりを立証するものはありません。ここではみなさまとともに想像し推理をしましょう。(鳥谷芳雄氏が「四国落」をもっとも古い史料としたのも、この理由からです)
では、弁慶伝説がはじまったのはいつでしょうか。非常に難しいことです。誰かが意図的に伝説をつくったならば、なんらかな形で残っているかもしれません。しかし、神話を残した『古事記』『日本書紀』『風土記』でも、既に地域に残る話を編纂した書物です。元を求めれば口頭伝承の世界になります。
【仮説1】 弁慶が平泉で亡くなった直後? 頼朝の恐怖
義経の子供をお腹に鎌倉に護送され静御前は、頼朝の前で舞ったのち、男の子を出産します。頼朝は弓ヶ浜で殺すよう命じます。平治の乱で敗れた源氏の棟梁たちは死罪となりましたが、平清盛の恩情で幼い頼朝は島流しに減刑されました。ところが頼朝は、弟である義経の子孫の存続を許さなかったのです。
『島根国』の「全国の出雲の神々」のコーナーで紹介しました新宿の「熊野神社」を建立した鈴木九郎の祖先も、義経についたため東北を逃げ回りました。
義経にも、義経の逸話にも非情な頼朝です。義経の縁者も、家臣・関係者も、心情的な支持者も、徹底的に追撃したことでしょう。頼朝の生きてい間に、義経や家臣を公に偲ぶことができるはずもありません。全国には欲と名誉にかられた者で溢れています。人びとは思っても口にすることはなかったでしょう(落人伝説がいい例です)。そんな恐怖から断ち切れたのは、頼朝の影響がなくなる鎌倉幕府の滅亡後(1333年)だと仮定します。
【仮説2】 伝説が萌芽したのは? 室町時代
弁慶伝説が誕生したのは、鎌倉幕府滅亡1333年から長篠の戦1575年の間、424年の間と仮定します。しかし、幕府滅亡後すぐに頼朝の亡霊を、民衆が断ち切ることはできなかったでしょう。また伝説として残るには、民衆に浸透してこそ語り継がれます。数字に根拠はありませんが、前後30年をバッファとします。
(鎌倉幕府滅亡1333年+バッファ30年)-(古文書記載1575年-バッファ30年)として、1363年から1545年ごろに伝説ができたと仮定します。どんな時代でしょうか。
南北朝の内乱が1336年から1392年(これによって公家勢力が衰退)、室町時代が1429年から1459年。1467年が応仁の乱の時代です。1488年、加賀一向一揆、1493年、銀閣寺完成、1543年、鉄砲伝来。
戦国時代へと向かう混沌とした時代です。武士と朝廷の二元支配(幕府―守護体制と荘園公領体制)が崩壊し、戦国大名が乱立します。旧勢力の没落と新勢力の台頭は一族だけでなく、無名の楠木正成・正儀の台頭や、商人(斎藤道三)や貧農(豊臣秀吉)からの台頭を生み、その土壌を形成しました。新勢力の出現によって、主従の関係も血縁から地縁へ変化し、組織形態も大きく変わります(『鎌倉殿13人』を参考に)。
こんな混沌とした下剋上の混乱期を背景に、『弁慶伝説』は生れ、形成され、そして修正されたと仮定します。
枕木山の麓から安来―松江―出雲にかけてどんな政治・経済状況だったでしょうか。(このあたりから石見銀山の価値と意味が顕在化します)
【仮説3】 枕木山周辺の政治経済状況は? 月山富田城
1363年から1545年までの安来―松江―出雲―奥出雲の政治・経済・社会状態はどうだったのでしょう。また、「弁慶伝説」という植物を育む土壌となる民衆の生活や生活観はどうだったのか推測してみます。
それを紐解くのが安来市広瀬の「月山富田城」の歴史ではないかと仮定します。この時代の為政者の変遷から紹介します。(弁慶伝説旅ロードの折は月山富田城にもお寄りください)
松江城は戦国時代の城ではなく、1607年に関ヶ原の戦いの功績で来た堀尾忠によって築城されました。弁慶伝説誕生に直接関わることはありません。
月山富田城については、当サイトでも何度か取上げました(『温泉紹介』「さぎの湯温泉―月山富田城・戦国武将の夢が跡―)。ここで月山富田城の流れをおさらいしておきます。諸説ありますので、興味のある方は島根県教育委員会「古代文化センター」の出版物をご購入下さい。ここでは弁慶伝説の旅のお供としてのフラットな紹介です。
・鎌倉時代
1221年 承久の乱(※)の功績で、佐々木義清が守護として赴任(この前は平家の領地)。
※ 承久の乱。後鳥羽上皇が鎌倉幕府(北条義時)討幕の命を出すが敗北し、隠岐の島に流される。
・南北朝時代
1343年 佐々木氏(京極)が守護となる。
1364年 山名氏が佐々木氏との戦に勝ち、守護となる。
1391年 明徳の乱(※)で敗れた山名氏から再び京極氏が守護職となる。
※ 明徳の乱。守護大名として11の国の領地(全国の領土の六分の一)を支配した山名氏の室町幕府への反乱。(※)
※当サイトにて掲載予定の『奥出雲横田とたたら』(高橋一郎著)の「横田の歴史 鎌倉時代から南北朝時代そして明徳の乱」を参照ください。明徳の乱による奥出雲の勢力分布の変化と領地・税の徴収者、寺社の変貌が掲載されています。民衆の姿を推理する資料です。
・室町時代
1392年 京極氏は系列の尼子を守護として代理赴任させる。
1484年 尼子氏自身が支配を拡大したので、京極氏が尼子氏を追放。
1486年 尼子経久、奪回。尼子氏の統治が続く。
1566年 尼子家、毛利家に大敗。
1569年 山中鹿之助(山中幸盛)らが、京都の東福寺で僧となった尼子勝久を擁立し、尼子家再興と立ち上がるも敗北。(『弁慶誕生の巻』母弁吉が安来の出雲路幸神社をご覧ください)
弁慶伝説が誕生し語り継がれ始めたのは、月山富田城の歴史から見れば、佐々木家と山名氏、佐々木氏と尼子家の対立の時代です。
経済は、農業と共に商業や工業も発展した時代です。人が交わる所に「市」が立ち、商いが栄えます。栄えれば生産物や製造物もさらに集まり発展し、交通路も整備され商業圏は広がりました。
一方、民衆の生活は、戦国武将の領地拡大の戦に、田畑や生活が荒れ、穀物は強奪され、犠牲者も増え、村も人も疲弊します。戦を活用して出世の道と兵士になるものもいれば、金儲けに商いを始めるものもいました。下剋上と共に百花繚乱の時代です。あるいは乱れた時代です。
激動の時代に生まれた弁慶伝説です。その意味するところはなんでしょうか。語り継がれた理由はなんでしょうか。
不思議なのは、誕生秘話や怪力もさることながら、村人から嫌われるほどの乱暴者で、島根を出る折には名刀を作らせた叔父を二度と作らせないようにと殺害します。このような理不尽な人物として弁慶を設定した目的はなんでしょうか。弁慶の母弁吉の容姿も同じです。
その解は、壇ノ浦の戦いによって平家を滅ぼすと義経の命によって島根に里帰りする弁慶伝説にあります。
いつの時代にも、物欲と名誉欲だけを求めるものがいます。戦国時代なら領土と地位です。裏切りも、理不尽な収奪も、殺害も横行しました。でも欲に対して、儒教や仏教に代表される人の道を説く教えや考えも普及し、理念として論理化されました。
新渡戸稲造先生(五千円札、現在発行停止)の著書に、日本人の道徳観や倫理・思想を世界に紹介した『武士道』があります。日本人の精神や思想、価値観の概念を「武士道」としてまとめています。武士特有の美意識、価値観のなかに、戦うだけの武士ではない武士の精神と思想が示されています。
戦国時代、武士階級に限らず裕福な民衆は『論語』を学びました。時代劇のドラマでよく見かける正座しての「論語読み」です。
『五常』。五つの徳目「仁・義・礼・智・信」の実行を、躾や礼儀ではなく精神として学び実行するよう心掛けました。武将が幸若舞曲の『敦盛』を好んだのも、己の生き様を私利私欲ではなく社会的な意味と捉えた「美意識」に共感し、手本としたからでしょう。
人が生きるのは物欲や名誉欲だけではありません。生活に占める比重に大小の差こそあれ、生きる意味や価値を考えるのが人です。戦災や災害によって極限の飢餓に陥れば別として、人は夢や希望、幸せを求め、近づこうと努力します。それが生きる糧ともなります。現代風に言うならば「自己実現」、「社会貢献」という高次な価値と目標でしょう。
弁慶伝説が武家の日記に記載され、武将が好む幸若舞曲の素材となったのは、「欲」の伝説ではなく、「生き方」の伝説として継承されたからでしょう。
当初、弁慶の森の祠は出会いと安産を叶える民衆の伝説として普及しました。それがいつのころか、信仰的な祠から「武士のあり方」「人のあり方」を説く弁慶伝説に編集されたのです。弁慶伝説は、戦乱を背景とし、ただ生きるだけでなく、意義を求める生き方、己を律する伝説へと変化したのです。柳田國男先生の「植物」として伝説です。
その根拠は、『千夜一夜物語』ではありませんが、話の続きは次回の「弁慶凱旋の巻」で紹介します。
⇒つづく
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