• ~旅と日々の出会い~
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未来のあり方を訪ねて 「たたら製鉄」の世界

-川を下り、峠を越えて広がる鉄の生活-

「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」雲南市・安来市・奥出雲町(平成28年4月25日認定)
 問合せ鉄の道文化圏推進協議会

はじめに 峠の向こう

幕末の志士坂本龍馬が本当に言ったかどうか分かりませんが、「業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ」。龍馬を描く作品はすべからく前向きに倒れて亡くなります。武士たるもの敵に背を向けるな。そんな死に方を求めた「武士道」より、新しい日本創りに向けた「前向き」の龍馬らしい死に様です。

文久2年(1862)3月26日の春、坂本龍馬と澤村惣之丞は道案内人とともに生地梼原町の韮ケ峠(にらがとうげ)を越えて脱藩しました。脱藩は大罪です。生死と決意をかけた行動でした。現在、榎ヶ峠から泉ヶ峠までの山道を『龍馬脱藩の道』と呼び、文化庁選定の「歴史の道百選」に選定されています。

峠を越えたとき、龍馬は澤村に、上士や郷士などという上下のない対等の呼び名「おら、おまんでいこう」と告げます。これからの日本、やらねばならない大義の前に己の意識変革を「峠」を越えるという境界に重ね合わせたのです。

峠とは、山道を上り詰めたという地理的な意味より、見果ての地への旅立ち、見知らぬ世界への冒険、過去との決別といった「志」を立てる場所でもあります。もちろん明るい事だけではありません。旅する人や商い人は、そんな逸話を聞きつつ厳しい峠を越したのでしょう。また峠の先の新天地に夢や思いを馳せたことでしょう。峠にはいろいろな物語があります。

雲南市・安来市・奥出雲町の三市町にまたがる「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」にも、神話に包まれた魅力的な「峠」があります。

中国山地

相手の視点で、越える意味

海外の旅行者にとっては、東京も、京都も、松江も、みんな同じ「日本」です。でも東京都民は東京を、京都府民は京都を、島根県民は島根を訪ねてほしい、話題にしてくださいと思うものです。

京都や広島に来た外国の旅行者を島根に呼びたい、出雲大社に来た旅行者を石見銀山や津和野に誘導したい、足立美術館の観光バスを奥出雲経由にできないか、境港のクルーズ船のお客さんを我が町に連れて来る方法はないか。私たちの町にも来てほしいと願います。

旅行者の皆様にとっては限られた予算と時間です。すべてを回るなんてできません。それに島根は各地域を繋ぐ公共交通機関が極めて不便です。レンタカーを使うか、観光バスを借りるしかありません。あるいは目的地や出会いを厳選するかです。

そこで雲南市・安来市・奥出雲町の三市町にまたがる「出雲國たたら風土記」では、「峠」と峠とまつわる神話や昔話を繋いだ楽しみ方と、たたら製鉄と自然との関係を通したSDGsへの気づきを紹介します。山も川も海も行政の境界線を越えて繋がっています。一つの地区で解決できません。自然の循環、自然の摂理から日本遺産を捉えてみることにします。

全体図

峠を越える

・峠

1)金屋子神神社 久比須峠  

安来市から尼子家臣の山中鹿之助が三日月に誓った「我に七難八苦を与えたまえ」の月山富田城を抜け、奥出雲の亀嵩・横田に向かう途中に久比須峠があります。奥出雲の馬木から進軍した尼子経久は月山富田城を奪還し、また三沢や毛利もこの峠を越え月山富田城に攻め入ったのです。たたら製鉄ファンや戦国ファンも、この街道と峠をお訪ねください。近くにはたたら製鉄や鉄鋼業とは切っても切れない「金屋子(かなやご)神社」があります。

金屋子神社は、全国1200社を数える金屋子神社の総本山です。総欅(けやき)造りの本殿と拝殿、そして石造りの鳥居は、かつての鉄鋼立国日本の尊厳さえ感じさせます。春秋の大祭には、たたらの職人や鍛冶屋職人、製鉄に関わる人たちが参拝します。奥出雲のたたら製鉄の御三家(田部・櫻井・絲原)には分社が祀られています。

異様な雰囲気は鬱蒼とした樹木だけでありません。彼方の峠から漂う神話によっても醸されています。

日照りの続く播磨(はりま)の国に雨を降らした神様は、「わしは金屋子の神である。西の方へ行き、そこで鉄を吹き、道具を作ることを教える」と告げ、白鷺に乗り飛び立ちました。ついたのがここで、たたらの高殿の建設を75人の子ども神が指揮し、ふいごなど75種類の道具を作りました。ある日、「村下(むらげ)」(たたらの技術者)が転んで死にました。金屋子神に言われた通りに弔うと、良い鉄を作ることができました。

たたら製鉄の秘伝と繁栄とともに「ケガレ」を意味する神話、どことなく黄泉の国でのイザナギとイザナミの戦いを思い起こします。

金屋子神社
(古代史の小径・尾方金屋子神社より転用)

2)伊賀武神社 八頭峠

奥出雲から雲南市に抜ける佐白の街道沿いにあり、社頭には伊賀武神社・八重垣神社を併記した自然石の大きな社碑が建っています。広く長い参道を上りつめた正面に平屋切妻の拝殿が、奥に春日造りの本殿があります。本殿の右側高台には八重垣神社があります。

伊賀武神社の御祭神は五十猛命・武御名方神。八重垣神社は須佐男命・稻田姫命・足名槌命・手名槌命を祀っています。五十猛命は父神須佐之男命とともに降臨、森の神様です。八重垣神社は元々、八頭にあったがここに移されました。また合祀神として宇武賀比売命・天御中主神・天照大御神・月讀命・大山祇命・譽田別命も祀られています。

近くには天然温泉長者の湯があります。旅の埃を洗い流してはいかがでしょうか。

八岐大蛇伝説は、当『島根国』の「出雲神話と神々」をご覧ください。

伊賀武神社・八重垣神社方面

・たたら製鉄の資料館

三市町には展示を中心とした個性ある資料館があります。

1)安来市「和銅博物館」

和鋼博物館は、鉄の道文化圏(安来市・雲南市・奥出雲町)の文化館のひとつとして開設されました。近くには、神在月のおり、出雲大社へと向かう神様が旅の衣を整えた島や、黄泉の国とを繋ぐ「黄泉平坂坂(よもつひらさか)」(※)があります。また駅前には足立美術館行きのバス停があります。

 ※「五感で感じる、島根の旅」の「うつし世の風となりし黄泉の恋

「たたら製鉄」の歴史や匠の技を現物で展示するとともに、和鋼の普及やたたらの調査・研究に関する業務継承を目的としています。また玉鋼でつくられた日本刀をテーマとした展示や日常の道具へと製造される過程など、たたら製鉄と文化・生活との関りや交わりも丁寧に展示しています。

和銅博物館

2)奥出雲「たたらと刀剣館」

JR奥出雲駅の裏手、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が降臨した鳥髪山(船通山)を一望できる丘の上にあります。

八岐大蛇のモニュメントが出迎えてくれるたたらと刀剣館は、古代から現代まで続いているたたら製鉄の歴史文化の紹介と、日本で唯一たたら製鉄を続けている日刀保たたらの操業の様子をパネルと映像で展示しています。
たたら操業を支えている地下施設の実物大断面模型、送風装置の吹子の模型から、たたら製鉄の規模を想像できます。また別棟の日本刀鍛錬場では地元刀匠による日本刀鍛錬実演を実施しています(事前確認)。

  YouTube公式チャネル「島根国」奥出雲たたらと刀剣館

3)菅谷たたら山内(さんない)

雲南市吉田町には「菅谷たたら山内」があります。山内(さんない)とは、たたら製鉄の施設と働く人々の居住区が一体となった集落のことです。高殿、元小屋、長屋など当時の風景を今に伝えています。

大正10年(1921)までの130年間稼働した田部家のたたら製鉄は、砂鉄採取を行った砂鉄選鉱場跡や水路跡など砂鉄採取から鉄生産までの流れを見学することができます。

田部土蔵群
田部家土蔵群

・鉄師御三家

たたら製鉄には松江藩が認めた鉄師御三家があり、現在もたたら製鉄に関係する展示や地域活性化の事業を担っています。詳細は『島根国』が取材した記事をご覧ください。これからの町づくりなどの考えなど多岐にわたります。

1)田部家

たなべたたらの里のたたら製鉄の復元や地元の活性化には、たたら製鉄で培われた文化・考えが脈々と流れています。

2)櫻井家

可部屋集成館には櫻井家の歴史とともにたたら製鉄の文化を展示しています。また最近ではVIVANTの乃木の生家として撮影が行われました。

3)絲原家

鉄師頭取も務めた絲原家は国鉄木次線の開通にも尽力しました。たたら製鉄の歴史とともに地域との関りなど幅広い品々を展示しています。団塊世代の方ならご存知の『絶唱』の撮影現場となりました。

・峠を越えて

ジブリの『もののけ姫』をご覧になりましたか。実際のたたら製鉄とは異なる箇所が多々ありますが思いだしてください、山と谷、田畑と集落、そして自然の関わりを。

たたら製鉄というと関心は芸術品の日本刀に向かいます。たしかに他との差別化や文化の象徴として、「日本刀」を前面に押し出すのは分かります。大切なことです。が、ここでは「何を造るか」ではなく、自然との関係や他の産業との関係で「なぜ」をご紹介します。

産業を越える

たたら製鉄は俯瞰することで、特定の「産業」の枠を越えた文化的な意義と、自然との関係、今日的な言葉に置き換えれば「SDGs」へのヒントが見えてきます。

たたら製鉄の大まかな流れは、【①原料の発掘・分離→➁玉鋼の製造→③製品化の工程→④流通→⑤販売】です。
言い換えれば、たたら製鉄の「モノ」③だけではなく、「コト(事)」①~⑤全体に注目してください。

・棚田と森林

たたら製鉄は鉄鋼業や製造業だけでなく棚田や森林など、農業・畜産業や林業に広く関わり相互扶助の関係を築いてきました。
『島根国』掲載の尾方豊さんの『奥出雲とともに たたら製鉄により作られた景観』を引用して説明します。

たたら製鉄の原料となる砂鉄は、風化した花崗岩の砂の中に数パーセント含まれています。「1回のたたら操業に使う10トンの砂鉄を得るためには1,000㎥もの山を崩す必要がありました」。「先人たちはこの鉱山跡地をそのままにせず、長い時間をかけて美しい棚田、農地に変えていきます」。
鉄を創り出すためには良質の炭が必要です。「木炭を得る山林は一つのたたらで、年間110ヘクタール程度が必要となり、30年で生え変わるとすると、持続的にたたらを行っていくためには110ヘクタール×30で3300ヘクタールの山林が必要となります。この山も、計画的に輪伐をしながら、燃料の供給を持続可能なものとしていたそうです」

たたら製鉄は、鉱業と農業・林業が一体となった産業でした。そこには雇用関係とは異なる村落共同体の意味合いが強く残っています。

「明治の初めの資料によると、たたら炉1基に対して炭焼き、砂鉄の採取、製鉄、製錬鍛冶、そしてそれぞれの運搬と農業で1200人程度の人々が直接雇用され、家族を含めると4000人から5000人が暮らしていた、とても裾野の広い産業です」

新たに開発した農地に、山の下草や運搬の牛馬の堆肥を入れて豊かな土地に変え、その棚田でおいしい仁多米が作られています。
この景観と歴史はたたら製鉄と棚田の文化的価値として、国の重要文化的景観に選定されています(全国で44か所)。

棚田

・たたら製鉄が示すバリューチェーン

峠を越えたたたら製鉄のもう一つの魅力は、経営者であり事業業態が産業の壁を越えたところにもあります。ひとつつが棚田です。下記の図をご覧ください。

『島根国』の「地域と共に創る物語」のコーナー【シリーズ 社会・自然とともに「仕事するを哲学する」-第八回 覚書・奥出雲たたら製鉄旅を哲学した①】

バリューチェーン図

バリューチェーンとは、企業の事業活動を俯瞰し、どこで付加価値が創造されるかを表す考えです。事業は、原材料調達から製造、流通、販売、アフターサービス、さらには企画、マーケテイング、プロモーション、そしてブランディング等多岐にわたります。さらには資源の調達を受ける関係業種、事業の一部を担う関係会社などあります。それらの活動を通して価値を創出されます。しかし価値とは、企業や事業ごとに創出した価値を単純に合計できるものではなく、複雑に絡み合っています。

大切なことは、事業の結果(総体)として価値を評価するのではないのです。たとえば全体として生活者に求められる商品を提供したとしても、製造工程で環境破壊や原料確保の会社が不当労働行為を行っていれば、その総体の価値を認めることはありません。かつて公害運動の折、下請けだ、外部の会社だと言い逃れる発言がありましたが、現在は発注先の企業も責任を問われるのです。

奥出雲のたたら製鉄は江戸時代より、棚田の開発、森林の計画植林を実行してきました。自然との関りにも関心をもって下さい。

・山が枯れれば海も枯れる

有名な言葉です。山が破壊されれば、川を伝わり海へと流れる養分も閉ざされ、やがて海も枯れ、魚介類が滅びます。有害物質を流さないだけでなく、山を破壊しないことが自然の循環系と生物を守ることなのです。

しかし、たたら製鉄も完ぺきではありません。カンナ崩しで流された砂は斐伊川の底を埋め、やがて天上川となり洪水を引き起こしたのです。江戸時代の一時期、カンナ流しは松江藩の御達しで禁止となりました。貴重な砂鉄でも米をベースとした封建国家・徳川体制の経済的基盤を脅かしたのです。有吉佐和子の小説『出雲阿国』の最終場面は、出雲生まれの出雲阿国(いずものおくに)がカンナ流しの中止しを田部家当主に願います。
村落とともに存続したが故に、たたら製鉄は雇用関係だけでなく、そこに暮らす人々との関係も模索してきました。

限られた自然との関係では限界があります。ただ、学ぶところはあります。

斐伊川

・アウトドア『パタゴニア』が提示したこと

企業の事業領域を越える意味で、『レスポンシフル・カンパニーの未来-パタゴニアが50年かけて学んだこと』(ダイヤモンド社 2024/1/30刊)の書評でもご覧ください。著者はパタゴニア創業者ヴィンセント・スタンリーとイヴォン・シュイナート。帯の解説は「持続可能な世界を目指していま企業が努力すべこと」

これが模範だとか、あり方だとは思いません。ただ自然との関係で、企業がどうあるべきかを、会社とは、働くとはとの関りを含めて活動の50年を振り返った記録として問題提起として参考になります。

環境を考えるということはひとつの事業や企業活動で完了することではありません。これまでの環境問題は、自分は、わが社は削減に努めていると自己完結の活動でした。バリューチェーンという事業全体を考える今、結果だけで評価されることはないのです。
その考え方も第三次産業が教えたというよりは、第一次産業の自然と最も接する産業の一部の憂える人々の声からでした。

時という峠を越えて 

・なぜ

歴史クイズの多くは「なぜ」の疑問から始まります。「どうして山の上に城があるの」「どうして殿様とお百姓さんに分かれるの」「なぜ、鎖国したの」。小学生の子供とお城見学にいけば、答えられない質問に辟易します。でも疑問に感じることは当然なことです。

名所旧跡の看板やパンフレットには、5W1Hの「whenいつ」「whereどこで」「who誰が」「what何を」のような大方の人が認める過去の出来事(事実)は列挙してあるものの、「howどうやって」の説明は少なく、「whyなぜ」にいたってはほとんどありません。評価が分かれるというより、提供者・発信者の価値観が露になるからです。

すべてにおいて「なぜ」は大切です。これが未来へと繋がる財産となります。意地悪な質問ですが、ガイドの方に「なぜですか」と尋ねてください。少しでも誤魔化したら考えたことがないか、諸般の事情で言えないかでしょう。(受験勉強にも必要ないようですが)

・越えて

「出雲國たたら風土記」を体験して、従来の見方を変える、概念の壁を越えてみてはいかがでしょうか。歴史的な産業は、社会や自然といかに関わってきたか、なぜそのような形態になったか。

旅行者の皆様にとって、提示された物、展示された物を「歴史的な遺産」として見て終えることから、中国山地の自然や社会との関りで考えてみる。「なぜ」。その思考の延長に自然環境やSDGsの関りで持続可能な資源を考えてみる。見せる側(地元)と見る側(旅行者)の求める意識の違いに気づくはずです。

・たたら製鉄から学ぶ

自然との関係を考えるとき、未来へどのように活かすか、その視点を学ぶ教材です。それがここにはあります。

産業と自然。対峙する矛盾の権化のような概念ですが、対立として語り続けても発展はありません。共存か、新たな創造か、そこに活路を探してみるのです。
そのためには、見せるとか、売る、見に行く、買うという経済関係ではなく、共に創る関係を模索することが大切です。

青臭いことを言えば、たたら製鉄は観光資源だけでなく、自然との共存の教材にもなるのです。

語らいの場

おしまい 現象から本質へ

山に登ったらゴミは自宅まで持ち帰る。当たり前のことだと思います。でも最寄り駅のごみ箱は登山者の捨てたごみで溢れています。食べ歩きについても、どうしてゴミを持ち帰るとか所定の場所に整理して捨てられないのだろうか。「ありがとうございます」ってなぜ言えないのだろう。

出会い、感動し、共感した、その心を持ち帰りたいものです。迎える側も同じです。素晴らしい箱物(施設や遺跡)だけを用意するのでなくて、貴方の笑顔も思いやりも届けたいものです。

たたら製鉄の自然との関りは完ぺきではありません。自然を破壊することで鉄は生み出されてきたのです。人間も自然を破壊することで文化を築き発展してきました。存続とは「破壊」です。だからこそ自然との関りを変え、自然の存続のために何かを成すのです。その気づきを、モノとしてのたたら製鉄の見学でなく、広い意味でのたたら製鉄に触れることで、感じ・会得してもらえれば幸いだと思います。みんなで成し得る道を模索検討する、その気づきとしての見学を楽しんで下さい。

船通山
■ 問合せ先

鉄の道文化圏推進協議会

〒699-1511 島根県仁多郡奥出雲町三成358-1
Tel. 0854-54-2524

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