― 文化人類学的活用による町づくり ―
91歳を迎える酒井董美先生が20代前半から収集した昔話にわらべ歌。収集のためにと、あえて辺鄙な学校への異動を希望する。そこでの関係は、話してくれる方(語り部)と調査者ではなく、共に暮らす仲間としての関係だった。

温厚な酒井董美(ただよし)先生にお会いしたのは、webサイト『島根国』の設立準備期間の、とある日のことである。その頃は、『島根国』開設の直接的な理由となるコロナウイルス蔓延期で、松江の飲食店街に「県外者お断り」の看板が下がっていた。
コロナウイルスで仕事の大半(集合教育と講演会)を失ったオウコーポレーション(『島根国』運営主体)は、この苦難の時期をチャンスにと、かねてから計画していた島根県紹介サイトを立ち上げることにした。そのコンテンツのひとつが酒井董美先生の『山陰の昔話』であり、藤岡大拙先生の『島根つれづれ草』だ。
広告収入などでいつかは経費分を回収すると、システム運営管理のジャズインタープレイとともに計画をたて(あれから六年を迎えても実現できず)、島根県の文化領域の大御所である酒井董美・藤岡大拙の両先生に、大変失礼な話だが「原稿料は御払いできませんが、原稿執筆のご協力をお願いします」と頭を下げた次第である。
趣旨をきいたお二人から頂いた言葉は、「かまいませんから」の即答であった。
正直、私は安堵し、夢の実現の一端を掴んだ。それは勇気づけられたといっても過言ではない。
「島根に暮らす人と島根を旅する人をつなぐコミュニケーションサイト」をコンセプトにする『島根国』にとって、島根で文化推進活動を続けられる両巨匠のお力をお借りできることは島根の世界に一歩、足を掛ける意義でもあった。(心配してアドバイスする方も沢山おられた)
会社勤めのビジネス時代から、お客様となる会社・人との関係は日々のこまめな提案とコミュニケーションであることを徹底的に経験した私には、この出会い自体が楽しくて有難いことであった。
開設してから六年、当初の目標である「毎週月曜日に更新」は現在も続けている。それは目的(理念)の実現に向けての運営者にかせたミッション(使命)であると肝に銘じている。むしろ励みであり、感動でもり、日々の挑戦でもある。
紆余曲折、迷走しつつも続けられたのは、創設当初からご協力を頂いた酒井董美・藤岡大拙両先生の島根に対する熱い思いとあくなき挑戦の姿勢を感じつづけたからである。
また、両先生から学問や研究としての価値だけでなく、対話を通して築く関係、謙虚であることと挑戦の志、なによりも対決ではなく多様性を受け入れる度量の大切さを教えられた。それが続けることの意味として、そして続けるからこそ生まれる関係として『島根国』のなかに根付くことが出来た。
2026年4月より、酒井董美先生の新しい『島根のわらべ歌』を連載することになった。これを契機に、お世話になりっ放しの「酒井董美」先生について紹介することにした。(先生の人となりしについては、あらためて取材して思想や魂とともにお知らせする)。
酒井董美先生は、1935年(昭和10年) に松江市に生まれ、1951年に県立松江高等学校に入学(五期生)。現在の松江北高の前身である。また今年の三月まで放映されたNHK朝ドラの『ばけばけ』の小泉八雲(ラフカディオハーン)が教鞭をとった松江中学の後身でもある。五期生の同期に『ギャートルズ』の漫画家・園山俊二がいる。奇しくも『島根国』の運営主体のオウコーポレーションとジャズインタープレイの責任者の先輩にあたる。
酒井董美先生には、ご自分の日々と昔話やわらべ歌について綴った著書『随想 山陰あれこれ』(今井書店・2020年10月10日発行)と『随想 令和のあれこれ』(今井書店・2023年9月7日発行)がある。
1957年(昭和32年)島根大学教育学部中学二年課程修了。その後、1970年(昭和45年)玉川大学文学部通信教育課程卒業。島根県下の中学校・高等学校に勤務し、島根大学法文学部助教授・教授を務め、1999年に定年退官、名誉教授となる。その後、鳥取女子短期大学(現・鳥取短期大学)教授となり、2006年に退職。同年から2024年まで出雲かんべの里館長。現在は山陰両県の民話語り部グループに努めている。
山陰両県の口承文芸の収録・研究は、中学校勤務時代より始め、収集するためにあえて山間部や島部の、とくにへき地の学校勤務を希望した。これが、広範囲にわたる膨大な収集となった。また、学校教育と連動した生徒たちの部活動にも励み、地域文化の掘り起しや継承の源となった。
そんな対話的な教育経験が、2022年(令和4年)4月からのZ00Mを使った「山陰の民話とわらべ歌ミニオンライン講座」へと繋がる。
注目する点は、①地域文化の発掘・継承、➁学校教育との連携、③島根全域の昔話やわらべ歌をテープレコーダーに録音したところにある。
このような業績で、1987(昭和62年)第27回久留島武彦文化賞受賞(日本青少年センター)、2008年(平成20年度)秋季善行表彰、2014年(平成26年)国際化功労者表彰(しまね国際センター)された。
主要著書(口承文芸関係)には、主なものとして次の書籍がある。
『山陰の口承文芸論」(三弥井書店)、『山陰のわらべ歌』(三弥井書店)、『ふるさとの民話―さんいん民話シリーズ・全15集―(ハーベスト出版)、『島根の民謡一歌われる古き日本の暮らしと文化―』(三弥井書店)、『山陰のわらべ歌・民話文化論」(三弥井書店)、『鳥取のわらべ歌』(今井出版)、『鳥取の民話』(今井出版)、『山陰あれこれ』(今井出版)、『海士町の民話と伝承歌』(今井出版)、『QRコードで聴く島根の民話』(今井出版)、電子書籍『島根・鳥取の民話とわらべ歌』(22世紀アート)他
整理されない煩雑した書斎を多く見てきた私にとって、酒井先生の書斎は、収集家としてより、むしろ整理と分析を常とするクリエイターの几帳面さが現れていた。パソコンを中心にして整理整頓された書棚と分類別けされたカセットとCD-ROMの書棚。このクリエイティブ性が酒井董美先生の聴き取り編集や解説に如実に表れる。
酒井董美先生の人となりは、次回の取材後にあらためて報告させて頂く。今回は先生の偉業をどのように学び継承するかについて、あるいは活用させて頂くかについて考えてみる。

・酒井董美先生の「解説」
当サイトの『島根国』をご覧頂きたい。録音した昔話やわらべ歌を文字化した文章の後に必ず酒井董美先生の「解説」文がある。語り部との出会いの逸話や録音当時の世相、昔話の分類と傾向が比較を通して述べられる。さらには同じ島根県でも出雲地方、石見地方、隠岐地方にある差異。同じストーリーであっても部分的に異なる話等を解説する。
聴き取りした年月日と語り部の生年月日によって、昔話自体ではなく、語られる時代ごとの感覚やものの見方や考え方も想像できる。島根県という同じ行政区でありつつも民衆文化の差異や価値観の相違を垣間見ることができる。
戦後の昭和の時代に重いテープレコーダーを担ぎ、舗装されないでこぼこ道の山間部や海岸淵を徒歩で、あるいは自転車で、収集された酒井董美先生。さらに収集後の几帳面な整理能力(分類とデータ化)。その総体が現在の記録に表現される。
興味深いのは酒井董美先生の姿勢である。昔話は古い話、貧しい人たちの口頭伝承だという経済観念や、文化遺産的価値がないといる偏見や、現在と比較した優劣の価値観などの先入観がない。さらに収集者の価値観で判定する視点を極力避けている。
あるがままに受け入れていく。それだけではない。解説にも示されるが、口頭伝承者とのコミュニケーション、人としての繋がりを大切にしている。とりわけ相手を敬い、昔話やわらべ歌にたいする尊厳は、収集家の価値観や予見を介在させない。
収集の独自性で、ありのままの姿を人と人の繋がりを通して記録する。可能な限り収集家の視点と価値観を介在させない。大学や研究者が行った収集の報告書と比べて酒井董美先生の紹介は、妙な権威や上位に立った論文意識を感じさせない。
論文発表のためのフィールドワークや、研究者としての記録ではない。町や村に生きるもの同士の対話のある関係である。学校の先生として赴任し、休みの日に報酬を得るのではなく、楽しみながら歩き続けた酒井董美先生の思想の体現でもある。学者視線ではなく生活者目線のコミュニケーション。その結果として昔話やわらべ歌が録音された。
研究論文目的の資料でないが故に、この記録には二次活用の可能性が無限大にある。それは著者の価値観によって編集された部分が極めて少ないからだ。言い換えれば、語り部の人間性が生きている。
語り部に近いが故に、収集した村や町への還元方法が考えられる。記録を記録として保存・展示すのではない。質を変えた新たな活用、観光資源としての活用である。
ヒントは、フランスの文化人類学者であり哲学者のレヴィ・ストロースの構造主義にある。


・文化人類学『野生の思考』の視点
何を今さらレヴィ・ストロースかとおっしゃる方もいらっしゃるだろう。ポスト構造主義者との哲学論議は勘弁してもらい、さらに文化人類学とは何かの解説も省略する。文化人類学につきまとう、遅れたアジア・アフリカと進歩したヨーロッパといった西洋主義の発想や、侵略戦争に加担した学問のあり方あたりについても触れない。学問の基軸でもあるフィールドワークのあり方についても、また文化人類学派と社会学派の論議も、それぞれの本を読んでいただきたい。
酒井董美先生のスタンスを考えるならば、調査は誰のために(なんのために)行い、自分の立ち位置はどこかを重要する。
レヴィ・ストロースがフィールドワークを通して確立した構造主義を乱暴に整理すれば次になる。
表面的な『違い』の奥=深層には、共通の「構造」がある。その構造とは二項対立(対)による分類で整理できる。しかし同時に、その『違い』にも意味がある。それぞれの文化が社会や生活をどのように見、何を大切としているかは、その『違い』に表現される。
昔話のもつ普遍的な構造(ストーリーが類似するのではなく、物語の構造が同じ)を発見することで、それぞれの昔話の相違点が意味を持ってくる。
物語を二項対立でみると同じ構造なのに、なぜ、この地方ではサルが犬なのか。女が老父なのか。あるいは幸せになるのでなく不幸になるのか。構造が同じなのに違う現象が起きる。そこに意味がある。
その意味を紐解く要素として、酒井董美先生が添付した、語り部の地域、生年月日、そして録音日が重大なカギとなる。
レヴィ・ストロースの著書に『野生の思考』(1962年)という著書がある。このなかで進化主義的文化人類学派(モルガン)に警告を鳴らす。
進化主義的文化人類学派とは、アジア・アフリカ・中南米の「未開人」は、迷信に支配され論理的思考が出来ない。それに対し進歩した「文明人」であるヨーロッパ人は科学的で合理的な思考ができる。だからヨーロッパ人は優れているのであり、我々が未開人を指導しなければならないとした考えと行動である。いまでも某大統領や著名人に見かける。また日本人のなかにも欧米諸国と同じになった日本は、遅れたアジアを指導すべきだという考えをもつ人がいる。
「違い」を比較することは重要である。しかし、違いが価値の優劣や偏見に繋がることは避けなければならない。(昨今提言される多様化、ダイバーシティの考えにつながる)
『野生の思考』で指摘する。「文明人」と称するものは、抽象的な概念や数学的な記号を使って思考する。例えば「民主主義」「原理」「組織論」、あるいは「因果関係」「法則」「関数や集合」をつかって世界を理解・説明する。一方「未開人」(野生の思考)は、具体的な対象物である「動物」「植物」「自然現象」をつかって理解・説明する。(知識のない子供と同じだと進化主義者はいう)
現象だけをとりあげれば世界の理解の仕方も考え方も異なる。当然「文明人」の求める解には「未開人」は辿り着かないと。
レヴィ・ストロースは続ける。しかし、どちらの思考も同じで「論理」をつかっている。比較分類し、関係づけ、意味づける。その論理展開はまったく変わらない。抽象的概念か、具体的なものかの媒体(表層・現象部分)が異なるだけだと。
昨今のテレビで、山奥に移住した人たちの住まいづくりと生活が取上げる。山間への移住者たちは、憧れて住み着く。設計図があるのではない。ありあわせの材料や不要となった廃材を貰い、移住者や周辺の協力をえながら、材料や環境に規制され、長い月日をかけて器用に作り上げていく。
背後には(布石として)都市生活者の家づくりがある。都市生活者(近代化と文明の恩恵を受けたもの)は設計図を描き、それぞれの施工プロを集め、必要な材料や道具を完璧に集めてから、スケジュールにそって家づくりを始める。計画がまずあって、完全な準備からの実行。納期と品質と予算を管理し、起きたトラブルに法的に対応。
表層的なストーリー部分はまったく異なる。視聴者は、出来上がりつつある住まいを見てあり合わせの材料と思い付き、日曜大工のような手作り感と悠久の時間に驚嘆する。そして、こういう生き方もいいな、でも私にはできないと思うだろう。
テレビはドラマである。移住者を輝かせるためにあえて違いを強調する。予算がない、あり合わせ、手作り感。それがSDGsとか、自然派だとか、共存だ。住民の協力に都市部から消えた助け合うコミュニティを絶賛する。
伝えることはそこではない。行為の差異性、どちらが優れているとか、価値があるというのではない。
モノ造(家)り、生き方の実践はいろいろある。だが造る構造は同じである。大切なことは、家づくりの構造を通した生き方や考え方の具現化である。そこに生きる人の考え方、生き方である。異なる「素材」「概念」をつかって『思考する』とこに着目しなければならない。
台風が来たら、雪が降ったらどうする、電気は、ガスは、虫嫌い、泥棒が来たらなど、家電製品や車を買うときのスペック比較となる。(情緒的価値より機能的価値)
ビジネスマンの頃に、数年に及ぶお客様先のシステム開発と運用に一時期かかわった。そのときにシステム変更という大きなトラブル・課題に遭遇した。あのころ一度立てた計画(プロジェクト)は変更できなかった。しかし、社会環境の変化のなかで常にシステムに変更が伴う。この時に教えられたのが、変える思考、プロジェクト変更力だった。
計画と完全な準備、計画に沿った実行という管理スキルだけでない。変化する状況にあって、制約に限定づけられながらも手元にあるもので考える創造力。モノ造りという意味では構造は同じであり、考えた方にはいろいろある。困ったら依頼者とコミュニケーションを取れ。
この考えを体現しているのが、その後に出会うベンチャー企業の「失敗から学ぶ」の精神だった。とりあえず初めてみる、変更すればいい、『野生の思考』でもあった。
・記録された「昔話」の活用
酒井董美先生の収集された昔話やわらべ歌は、本となり出版されている(『島根国』でも掲載)。QRコードが付いているので録音された昔話やわらべ歌を聞くことが出来る。これ自体価値のあることである。
これを地域の活性化と連動した観光資源への展開を考えてみた。
酒井董美先生も館長をされた「出雲かんべの里」で、生活のレベルまで掘り下げた展示や語り部の朗読がある。また当サイトでも紹介した奥出雲町の古民家を活用し、農業体験と連動した『百姓塾』もある。
『出雲かんべの里』サイト
『地方創生の活動』『泊まれる博物館から体験交流型宿泊施設『百姓塾』へ、村づくり』
ここでは建物に規制されない活用である。
酒井董美先生が記録された昔話やわらべ歌を構造的に分析・分類をする。それを地域的(場所)に分け、構造の似たものを紐づけ、一覧のマップにする。ここまでは過去の分析である。
次に共通点のなかから差異点を引きだす。大切なのが時間軸である。語り部の生年月日と記録した日付で、差異の特徴を時代背景とともに分析する。
共通点を紐づける。例えば松江に行く方に、その地域と同じ昔話とわらべ歌をもつ地域(例えば奥出雲町)を紹介する。直ぐに行かなくてもいい。旅から帰った後に因果関係を調べる。それは奥出雲町に限らない、全国へと繋がる。旅に求める視点が変わってくる。その地の独自性と普遍性。
「ものの見方」という観光地見学ではなく、「ものの考え方」という観光地を考えるとこが特徴である。名所旧跡や既存の立派な建物ではなく、むしろ自然や流れる歴史か大切である。
まずは一つ二つテスト的に作ってみる。そのためには、酒井董美先生の知恵と経験を聴かなければならない。なぜならば言語化されていない沢山の思い出や逸話が頭と心に刻まれているからだ。

酒井董美先生の研究のひとつに『弁慶伝説』もある。弁慶は松江市の本庄に生まれ育ったという話である。『島根国』でも大きく取り上げたので、詳細はそちらを読んでいただきたい。
・『歴史と人物』『義経は天にはばたけ、弁慶は大地に立ちつくす』
【目次】
箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉)
箸休み 弁慶・義経・静御前の『四都伝説』(松江・京都・鎌倉・平泉)
弁慶誕生の伝説の書籍として次のものがある。
弁慶誕生伝説は三重県など幾つかの説がある。どちらが正しいとか、どちらが科学的だとか、どちらに証拠が多いという競争するのではなく。互いにあるものとして認め合い、その構造的な共通性と異質性を探ると面白い結果が出るだろう。三重を旅して島根に来る。弁慶伝説の比較の旅にも面白味が増える。
文化人類学的な活用は、名所旧跡や物語や言い伝えに新しい視点を提供する。それは共通という考えと、モノの考え方の多様性である。
今回は先生が録音し編纂された昔話とわらべ歌を構造的に分析し、それぞれの特徴や独自性を整理することで、新しい島根県の魅力づくりなると提案し、終えることにする。酒井董美先生の人物紹介はあらためて取材の後に報告する。
最後に、現象に流されてはいけない。島根だけを強調するのでなく異文化(他の地域)と共調しよう。



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